利き手が片方しかない人の生活が想像できない
自分は両利きかクロスドミナンスというやつである。
どっちなのかはよくわからん。
正直、もともと左利きで矯正されてこうなっているのか、それとも本当に先天的に両利きなのかもよくわからない。
歯科矯正の歯磨き教室で「歯ブラシ持ち替えなくていいんだよ笑」といわれて、え、歯ブラシって片腕でやるもんなんですかとわけのわからん学びをした記憶がある。
自分の幼少期は時代的に、矯正してでも右利きで生きろという流れはあったものの、その意見に納得ができず、腕は二本あるだろ、使えるのに使わないのは意味が分からない、と反発して大人が見ていないところで左手も使う偏屈クソガキであった。
結果、小学生時代の習字では、右手で習字のでかい文字、左手で名前を書くという暴挙をしていた。そっちの方が全体のバランスが見える。
ただ、右利きを装うのが苦痛だったなどという記憶は全くない。しかたねーな大人が納得しないなら目の前では右手でやってやるよ、別にどっちでもできるし、みたいな感じであった。
ただ、思うに、普通の右利きの人が右手に能力値を100割り振って生活しているのに対して、自分は右50、左50の能力値の割り振りで生きているような気がするのだ。
つまり両利きというよりも右でも左でもしっくりこない、中途半端な感覚なのである。
具体例をいうと、基本的に両手どちらでもペンを使って文字も絵も描くことはできるのだが、どちらかというとレベルの違いで
右手の方が字が上手い(直線作業が得意)
左手の方が絵が上手い(曲線作業が得意)
なのだ。別れるなそこ。
ボールは右で投げる方が速いが暴投ぎみ、コントロールが良いのは左である。統合してくれ。
あとテニスを初めて学校の授業でやった時、裏打ちという概念が消失していた。右に来たら右で打つ、左に来たら左で打つ。そして普通に下手。
また、片腕だけでなにかの作業する際の持久力がカスである。疲れたら逆の手に変えてきた弊害である。
箸だけは親による矯正の目をかいくぐれなかったため、右のみで使い続けており、左手ではそれほどうまく使えないのだが、これは単純に経験の差だと思われる。
ふと思い立って夕飯を左手の箸で食べてみたところ、食べ終わるころにはそれなりに使えるようになった。
そういった感じで日常的に右手も左手もないと生きていけない状況にあるため、利き手が片方しかない人間がそれで生活できているという事実が心底想像できない。
どうやって生きてるんですか。片腕に対する負担がすごくないですか。純粋に不思議である。
ただ、両利きでもあまり良いことはない。
良かったなと思ったのは自分のネイル塗るときくらいだ。
友人とネイルの話になった時に、「右手に塗るのがむずかしいよね!」と同意を求められると、「んぬぅ……」みたいな曖昧な返事になる。すまん、別に難しくない。
また、なにかをする際、右手を出すか左手を出すかで一瞬迷うことがある。判断が遅い!
ただ、自分はこういった人間に多い左右盲ではない。それだけは謎である。
世の中は基本的に右利き用に作られているため、改札やお玉などの左利き苦戦トラップにもその時の気分で普通に引っかかる。
両利きってなんだかんだ生きづらくね?
