ガウヴァオンはどこまでレジェンドか?
セクハラ疑惑に揺れるアンドレ・ガウヴァオン。そのアンドレ・ガウヴァオンのアソシエーションであるATOSから離脱者続出しており先日はカイナンも離脱を表明した。
騒動の舞台となったATOS本部ではアンドレ・ガウヴァオンと妻は解任され、ヘッドコーチには19歳の娘サラが就任することが発表された。
負の側面が強くなったアンドレ・ガウヴァオンだが、ここで現役時代について振り返ってみたい。
◯ムンジアル成績
アンドレ・ガウヴァオンといえばレジェンド中のレジェンドという位置づけだがムンジアルの成績だけだと、そこまででもない。
IBJJFムンジアルのウィキペディアページの優勝回数のスクショ。

ムンジアルの優勝回数5回というのはすごいのはすごいがそれでも5回以上は27人いる。現役選手ではエリック・ムニス(6回)やガブリエル・ペッサーニャ(10回)、マイサ・バストス(6回)は更に上を行っている。
それでもアンドレ・ガウヴァオンはIBJJF殿堂入りしてるから凄いという人もいるかも知れない。しかし嘘かホントか噂レベルIBJJF殿堂入り条件のムンジアル優勝4回なんて話もあり、それが本当だとするとムンジアル優勝4回は過去30回のムンジアルで38人いる。
これは年間で1.2人だ。厳密には過去は女子は階級数も今は昔より少なかったため単純に計算できないが、おそらく殿堂入りも年1人かそれ以上のペースで増えていくのではないかと思われる。
ただしアンドレ・ガウヴァオンの特徴的なのは優勝年が2005年、2008年から6年間のブランクがあり2014年、 2016年、2017年と続いている。
シャンジも2008年から飛んで2015年。コブリンヤの2009年から飛んで2017年。6、7年空くというのは唯一ではないもののかなり珍しい。彼らは世界王者返り咲きのために努力を続けていた証だろう。
蛇足になるがこのウィキペディアページの優勝年はところどころ間違いがあって、湯浅麗歌子が優勝したのは1990年代ではありません。またアンドレ・ガウヴァオンの優勝年も2008年が重複していますが、二度目は2017年の間違いです。
◯ADCC成績
アンドレ・ガウヴァオンがムンジアルのブランクの期間に活躍するのがADCCだ。
アンドレ・ガウヴァオンの場合はムンジアル、ADCCの両世界大会で活躍した合わせ技レジェンドという立ち位置が近い。
下記がADCCの階級、オープンの優勝回数とスーパーファイトの勝利数。ADCCのウィキペディアページのスクショ。

階級、オープンの優勝回数とスーパーファイトの勝利数の最多はゴードン・ライアンの7回。アンドレ・ガウヴァオンはこれに続く6回。意外にも階級と無差別は一度づつしか優勝しておらず、あとはスーパーファイトだった。
アンドレ・ガウヴァオンの場合ムンジアルよりもADCCでの存在感のほうが強い。
またアンドレ・ガウヴァオンを凌ぐゴードン・ライアンだが、アンドレ・ガウヴァオンと異なりムンジアルを含めてギありのメジャータイトルがない。
ADCC、ムンジアルの双方で活躍した選手としてはADCC優勝4回、ムンジアル優勝6回のガビ・ガルシア。ADCC優勝4回、ムンジアル優勝5回のマルセロ・ガルシア。ADCC優勝3回、ムンジアル優勝4回のホイラー・グレイシー。この辺がアンドレ・ガウヴァオンと成績的には近い存在だろう
ちなみにただ単純にムンジアル優勝回数。ADCC優勝回数、スーパーファイトの勝利数を足すとマーカス・アルメイダのムンジアル13回、ADCC2回の計15回が最多。こちらはゴードン・ライアンとことなり相当ムンジアルに偏った成績だ。
ただし違う年代、違う階級、違う性別ではなかなか比較しづらいのがADCCでマリオ・スペーヒーやマーク・ケアーは4回ではあるものの、現在のように2年に一回開催ではなく毎年開催時代だから回数も多い。
またカビ・ガルシアは4度の優勝を誇るが女子選手のためスーパーファイト出場歴がない。同様に4度の優勝を誇るマルセロ・ガルシアは77kg級のため無差別級の優勝がない。そのためスーパーファイト出場歴がない。
違う年代、違う階級、違う性別て比較しづらいのがADCCではあるものの、アンドレ・ガウヴァオンが最も注目度の高いスーパーファイトで勝ち続けたのは偉業だろう。
◯ATOS創設者として
アンドレ・ガウヴァオンのもう一つの特徴はATOSという巨大な柔術アソシエーションを形成したということだろう。
過去のムンジアル王者、ADCC王者も自分のアカデミーを設立した者は少なくないが、巨大なアソシエーションに成長させた柔術家は少ない。メンデス兄弟のAOJも数年前独立するまでははATOS支部だった。
ゴードン・ライアンにしてもヘンゾ、ジョン・ダナハーから独立して自分の道場を持っているが、巨大なアソシエーションな発展はさせていない。
その辺はチェックマットを創設したレオナルド・ヴィエイラに通じるものがある。ただしレオナルド・ヴィエイラはムンジアル1回ADCC2回しかない。
ガウヴァオンの場合は現役時代の2008年のわずか26歳でATOSを創設した。そのATOSは2012年にはムンジアルの男子部門で団体優勝している。少数精鋭の新興アカデミーが入賞するというのはドリーム・アートやAOJで散見され唯一の例ではないがうまく行った証だろう。
アメリカから飛び出し世界の津々浦々までアソシエーションとして拡大した背景は、20代の現役バリバリのアンドレ・ガウヴァオンの知名度もさることながら、2010年代ごろにはじまったIBJJFの方針として帯の認定は同一アソシエーション内というレギュレーションがアソシエーション拡大の追い風だったかもしれない。
◯まとめ
ガウヴァオンはADCC的にはレジェンドでムンジアルの成績だけならば今のようなレジェンドではなかったかもしれない。ただしジャンジやコブンリンヤ同様に長期間のブランクの後に王者返り咲きを成し遂げ出ている。
またATOSという巨大アソシエーションを作り上げた事が更にアンドレ・ガウヴァオンをレジェンドに押し上げた感がある。
本当にセクハラしたのであれば擁護できないが、今までの成績を見るとアンドレ・ガウヴァオンは柔術界に足跡を残したという人物であることは間違いない。
