不謹慎にもほどがある【こころのままに、とりとめもなく(12)】
これは、お義父さん・お義母さんへの懺悔だ。
この夏、苦い思い出ができた。
それは、リアルでは誰にも言えなくて、申し訳ないけど、思い出すとどうしても笑ってしまう出来事だ。
昨年、義父が他界したため、この夏は初盆である。
夫との交際中からよくしてくれていた義父を粛々と弔うはずだったのに、まさかのアクシデントに襲われた、とても苦しかった数分間の話。
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義父は、福井県の出身。
就職をして生活の場となったのは愛知県だったが、定年後は、福井に戻った。理由は2つ。主たる理由は、病気の兄の世話をしながら暮らす年老いた母親に寄り添うため。もう1つは、大好きな釣りを楽しむためだった。

伯父や母親が亡くなったあとも、義父はひとり、福井での生活をつづけた。妻や子・孫の暮らす愛知を離れてまで戻りたかった福井。余命宣告を受けた義父は、故郷の菩提寺の墓に入ることを願った。
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大病を患った義父は、愛知に戻って療養しており、葬儀も愛知で行われた。しかし、納骨をするため、四十九日の法要だけは、福井の菩提寺へ向かった。

初盆は、お墓での迎え火や送り火はせず、仏壇のある夫の実家(愛知)でお迎えさせてもらった。
これが、アクシデントのはじまりだ。
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義母が、仏壇の前で、みんなでお経をあげるという。お墓には行かないんだし、それくらいはしないとね、という気持ちで座る。用意してくれていた般若心経のコピーを受け取り「大本山は永平寺で……」といった宗派などの話を聞いた。
そして、問題の……いや、魔の般若心経タイムがスタートする。
多くの方が、お通夜や告別式、お年忌などでお経を耳にされたことがあるだろう。そのほとんどは僧侶によるもので、抑揚をつけず一定のリズムで唱えられていたのではないだろうか。
しかし、お義母さんによる読経は、私の知るそれではなかった。
抑揚があり、所々に入るスタッカート。
例えば「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」の部分なら「しきふーいーくっう⤴。くうふーいっしーき⤴。しきそくぜっくーう⤴。くうそくぜっしーき⤴。」といった具合だ。
そして、思わず「ふふっ」と息が漏れてしまった。
止められないのだ。怒られているときに笑ってしまう人と同じで。まずい状況だと思えば思うほど止められなくなっていく。
葬儀などでは、僧侶の声が大きいし、合わせて唱えている人も多い。けれど、義母の読経には合わせられず、最初は声を出していた夫も止めてしまった。義母以外、誰も声を発していない、とても静かな8帖ほどの空間。
これはやばい、弔いの場で笑うなんてもってのほかだ。非常識な人間だと思われてしまう。焦った私はあわてて鼻をすすった。鼻水なんて出ていない。なんなら、カッサカサだ。さっき漏れた笑い声をカモフラージュしたくて「神様、仏様、お義父様ー」と心中で唱えながら、すすりまくった。
何度かの笑いの波を耐え、すすりすぎによる乾燥で鼻の中が痛くなりそうなところで、ようやく般若心経は終わった。いまだかつてこんなに長い般若心経があっただろうか。生きた心地がしないとはこのことだろう。
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さいわい、誰にも「笑ってた?」と聞かれることはなく、カモフラージュは成功したようだ。あるいは、みんなも耐えていて「あれは笑っちゃうよね」と、同情してくれていたのかもしれない。
来月には、一周忌の法要がある。
一周忌も福井の菩提寺には行かないようだ。
となると、また、お義母さん独特の般若心経を聞くことになるのか?正直もう耐えることはできない。いかにごまかすか、対策を練っておかねば。
お義父さん、お義母さん、
不謹慎な嫁でごめんなさい。
