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怖い指導を受けた側として、今思うこと。⑤

「正解を探す」と、「自分で探求する」は違う

最近、スポーツを見ていて、ずっと考えていることがある。

それは、「考えてプレーする」という言葉の意味だ。

昔の自分は、「考えているつもり」だった。

でも今振り返ると、実際にやっていたのは、「バッティングやスローイングの正解」を探すことだった気がする。

ただ誰かに教えてもらって試す。
正しい形を探す。
言われたことを再現する。

もちろん、その中でも本人なりに工夫はしている。

でも、それは「なぜそうなるのか」を深く掘っていく探求とは、少し違うものだったようだ。

自分は今、10年近くテニスをやっている。

最初は、スクールで習っていた。

教えてくれるコーチは本当に上手かった。

フォームも綺麗で、人気もあった。

でも、自分は全然上手くならなかった。

4年くらい続けても、感覚が繋がらない。

最初は、「自分にセンスがないんだ」と思っていた。

でも、ずっと「なぜ自分は打てないんだろう」を考えていた。

そこから少しずつ、理論的な発信をしている人の動画を見るようになった。

力学、身体の使い方、再現性、タイミング。

そういうものを、自分なりに分析し始めた。

途中で片手フォアハンドをやめて、両手に変えた。一般的には少数派だと思う。

当時のコーチからも、あまり推奨されている感じではなかった。

でも、自分の身体を観察した時、「こちらの方が合理的だ」と感じた。

だから、自分で決めた。

そこから、海外選手の映像をスロー再生して、試して、崩れて、修正して、また試して。

ほとんど独学で、少しずつ形にしていった。

今は、誰にも習っていない。

でも、テニス仲間からは、
「なんか久しぶりですが、前より上手くなってますね」と言われる。

例えば、サーブでトスを上げる時、左膝を最初から曲げていると、その後うまく曲がれない。

だから、最初は伸ばしておいた方が、あとで軽く曲がる。

そういう、一つ一つの小さな原理が繋がってくる。

そして、それが今はとても面白い。

なぜなら、「自分で発見できる」からだ。

多分、自分はようやく、「スポーツを探求する」という感覚を知ったのだと思う。

昔の自分には、その感覚がほとんど無かった。

「なぜ」ではなく、「これで合っているか」を探していた。

だから、形を作っているだけで
「なぜそうするのか」が、自分の中で繋がっていなかった。

最近色々分かってきた気がする。

形を真似てもダメだと言うことを。

真似ている形は
一連の流れの途中だったりする。

それが一体どう言う意味を持った動きなのか。
そんなことを考えることなくできるセンスの持ち主ももちろんいる。

ただ私の様な凡人で
再現性もままならないやつは
なぜを知っていると、
センスを持っているようになれるのではないかと考えている。


それが自分を知った上で工夫することじゃないかと思うし、本当の意味で
自分で考えているになる気がする。

「正解を探す」と「自分で探求する」は、似ているようで、まったく別のことだと思う。

そしてそれは、スポーツだけの話ではない気がしている。

次はラストです。長いw

「施術家の、どうでもいい研究」——このタイトルにしたのは、気軽に書き続けるためだった。でも書いてみたら、私には、これが一番大事な研究だった。
まだまだ伝えたいことが沢山ある。







身体のことを仕事にしています。
考えをまとめたりするためで、
HP以外で施術家の人柄を少しでも感じてもらえたらと思って書いてます。

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