「誰かがやるだろう」で、命が静かに消える
おじいさんが、目の前で倒れました。
あの朝の出来事を、私は今でも鮮明に覚えています。
2009年。26歳だった私は、税理士試験の授業へ向かう、いつも通りの朝を過ごしていました。東横線の渋谷駅。通勤ラッシュの人波に流されながら、ただ階段を下りていた、そのときです。
前を歩いていたおじいさんが、突然、音を立てるように仰向けに倒れました。
泡を吹き、白目をむき、体が痙攣している。
一瞬、時間が止まったように感じました。
けれど、止まらなかったのは時間ではなく、人の流れでした。
周囲には何十人もいたのに、誰も足を止めない。視線を向けても、すぐにまた歩き出していく。
あの違和感にも似た光景を、私は今もはっきり覚えています。
気づいたら、体が先に動いていた
私はすぐに駆け寄り、通りすがりの男性3人に「手伝ってもらえますか!」と声をかけました。
1人には駅員とAEDの手配を、残りの2人には移動の補助をお願いし、安全な場所へ運びました。
上着を脱がせ、AEDの電極パッドを貼り、電気ショックを行い、胸骨圧迫を続ける。
そこに怖さはありませんでした。
ヒーローになろうと思ったわけでも、使命感に燃えたわけでもありません。
考えるより先に、声が出て、体が動いていました。
大学卒業後、私はボランティア活動として消防団に入っていました。こうしたAED訓練を何度もしていたのです。その記憶が、身体の奥に染み込んでいました。
特別な勇気があったわけではありません。
ただ、日頃から備えていたから、反射的に動けた。それだけのことです。
人は止まらない、流れは止まらない
あのとき、全く止まってくれない周囲の人たちに怒りはありませんでした。
もし訓練を受けていなければ、私も立ち止まれなかったと思います。
ただ、衝撃的な違和感は残りました。
「目の前で人が倒れていても、人は立ち止まらないんだ」
それは冷たさというより、危険から身を遠ざける人間の本能のようにも感じました。
自分の中にも、「誰かがやるだろう」と距離を取ってしまう部分があると分かっているからです。
この記事を書きながら、私は韓国で起きた 大邱地下鉄放火事件 を思い出しました。誰かが動くだろうと待ち続け、多くの命が失われた出来事です。
みんなが動かないと、誰も動かない。
傍観者は悪人ではありません。
ただ、危機に対する意識の“割合”の問題なのだと思います。
ほんの少し、自分側に針が振れるかどうか。
そのわずかな差が、生死を分けることもある。
その事実を、私たちは忘れてはいけないと思っています。
可能性は、最後まで残っている
電気ショックと心臓マッサージを続けても、意識が戻ることなく、そのまま駆け付けた救急隊に運ばれていったおじいさん。
正直に言うと、私はおじいさんは助からないかもしれないと思っていました。
「意識戻らなかったし、もう高齢だし、難しいかもしれないな……」
そう思っていたからこそ、後日「無事に助かりました」と聞いたときは、嬉しさもありましたが、驚きが勝ちました。
人は、そう簡単には死なない。
可能性がある限り、できることをやる意味はある。
そう思わせてくれた、貴重な体験でした。
その後、神奈川県や東京都から表彰していただきました。
けれど、私の胸に残っているのは別のことです。
日頃からの備えが、その瞬間の運命を決める。
地震も、火事も、事故も、起きた瞬間には多くの人が動転します。
そこで自分が的確に動けるかどうかは、日頃からその状況を想定して備えていたかどうかに尽きる。私はそう確信しています。

「自分ごと」にするという選択
子どもの頃、私は消防士に憧れていました。人を助ける人がヒーローだと思っていました。
もしかしたら今も、私の意識はどこかその延長線上にいるのかもしれません。
けれど私は、「当事者になる」というのは、ヒーローになることではないと思っています。
大事なのは、目の前の出来事を「自分には関係ない」と切り離さないこと。
ほんの少しでいい。
一歩だけでも動いてみる。
その瞬間、人は傍観者から当事者に変わるのだと思います。
私は、移民問題や老後資金、少子高齢化、お金の話など、「わざわざ波風を立てなくてもいいのに」と言われるテーマを、あえてnoteで取り上げることがあります。
正しさを振りかざしたいわけではありません。
ただ、目の前の問題から目を背けたくないのです。
あの日、渋谷駅で人の流れが止まらなかったように、社会にも“止まらない流れ”があります。
誰かが言うだろう。
誰かがやるだろう。
誰かが日本をよくしてくれるだろう。
その空気の中で、自分だけでも立ち止まれる存在でいたい。
「自分なら何ができるだろう」と考え続ける自分でいたい。
ただ時代に流される傍観者ではなく、時代を体感してもがく当事者として、
考え、行動していきたい。
それが、あの日から続いている私の人生哲学なのかもしれません。
あの日の一歩は、今も続いている
あの日、倒れたおじいさんの命は、私が一人で救ったわけではありません。
声をかけられて立ち止まってくれた人。
AEDを持ってきてくれた駅員さん。
駆けつけてくれた救急隊の皆さん。
みんなが少しずつ“自分ごと”として動いた結果です。
最初の一歩は、「大丈夫ですか?」という、とても小さな声でした。
けれど、その一歩がなければ、何も始まりませんでした。
私はこれからも、できるだけ“傍観者”ではなく“当事者”でいたいと思っています。
この記事を読み終えたあと、あなたの中で、ほんの少しでも何かが動いたなら嬉しいです。
あの日の朝の一歩が、これからも意味を持ち続けると、私は信じています。
萩原 寛太郎

