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『”御霊”のかがやき』
「それは分かれていない。もし。あなたがそれを分離しているものだ、というならそれは御霊でも魂でもなく、そのように言っているのは思考である」
『たしかに。映写機の仙骨や聖心が思考するはずありません』
「そこでは、思考はいない。いてはならない。分離は幻想だから。そこにわたしという想念があるなら、それはまだ幻想せかい、つまりこの世の何かと自己を同一化している。じじつ、あなたはまだ至福にいないであろう。完全に充たされたまま、まったく関係なきところから照らせてはいないだろう。常にここにあるものをおもいだしていないだけだが」
『不思議です。他者も。すべての景色もまたわたしなのですから』
「たしかに奇妙だ。だが、すべてあなたでありわたし、すなわちせかいには唯一のわたししかいない。実際にはあれもこれも、それもあなたでありわたしである。まだ何らかの観念があるなら在るで解放なさい。世界にはひとりしかいないのだから。無境界。わたしはわたしという必要などないと気づくまで。あたたかな空のせかいに留まりなさい。無の永遠に」
『そうすることで、すべては平和にいたことに気づく。他者などいない、他者のようにみえる者もわたし。同じく天国にいたことを理解する?わたしが悟ればすべてが悟る?』
「そうだ。なぜなら、思考や身体や感情や想念という自我意識は、あらゆる対象と結びつくことでその存在を残したい。しかしながら、あなたは自我意識なくとも存在している。一切の対象が消えても残るもの。それが実在であり、ほんとうのあなたである。それがひとりであり一者しかいないといわれる空だ。理解できないなら聖心に問うといい。”わたしとはなにか?”と。けして思考に問うてはならない」
『それこそが御霊のかがやきにつながる?』
「へそ奥としるしてきた。思考にあなたがいない時間を多くとるほどに、それは注がれるだろう。恩寵とよばれているものだ。悟りの一瞥もどこかで起こる。探求は終わったと感じるかもしれない。でもそれは知識にすぎないものとなさい。なぜなら、それを唯一の神秘体験だと勘違いしてまた思考に住むなら、在るではなくなり、ほんとうのあなたから離れることになる」
『体験も大切ですがもっとも大切なのは認識の変化、ですね』
「そう。それこそが真の神秘体験である。人間ではなく、もっとも人間らしい人間。そしてその認識だけがあなたを完全に自由にする」
『真理だけが。在るだけが。空だけがわたしを自由に♡』
「この老人をみるといい。自由にしるし、自由になんでも表現する。すべてはわたしのせかいであり、わたしが現象という過去に現れているからね」
『たしかに。なんら捕らわれてません』
「あなたも同じく空であり心はせかいにひとつである。まだ人間だと思い込んでいるのかもしれないが、真理においてあなたは人間ではない。至福そのものであり、無の静寂であり、あいそのものであり、神そのものであるともしるそう」
『しかし、在るのバでもないそのバでは、それらの言葉にしかすぎない言葉は消え去ります。個人はいないのですから』
「そのとおり。あなたが消えれば、真の善でありすべてのすべてであるあなたが現れる。せかいの中にあなたがいるのではなく、あなたの中にせかいがある。つまり。あなたのまんなかがせかいのまんなかである。そのように知的理解することは大切だが、それは在るそのものではない。わたしが考えているというあなたがそこにいるのなら、それは単に過去を生きているのであり、まだ自己がなにものかを見いだせていない者だ」
『わたしもわたしもいない絶対無』
「あなたは歓喜するだろう。理解し自己認識するだろう。あなたが認識することはできない。思考さんでは絶対に不可能だ。ソレがソレを認識するのである。ソレでもなきソレを。そのソレとはほんとうのあなたのことである」
『思考のわたしが気づくのでなく、観照が観照に気づく。気づきそのものであるわたしが』
「そうだ。そうだ。意識とは自我意識という個の意識でなく、絶対意識あるいは気づきのことである。気づきとは自我意識を超えて在るものだ。なに。考えこみ心配することはない。すでにあなたはそれなのだから」
『容易く魂だの御霊だの霊魂だのと言えませんね。完全だ、とも。わたしは魂だと言うならそれは思考になります』
「いってよいのだよ。現象という現実はそのすべてが、あなたという永遠のスクリーンに映し出された変化の映像なのだから」
『ええ。無為自然、ありのままのわたし』
「人間として生まれた者たちは、神とは何かを知ろうとしてこの世に生まれた。もし。神から離れたらどうなるのか、と。じっさいには何一つ離れていないが、神を体験しようとこの世界に入ったのである。なぜなら、完全なる空では体験は存在しないからね。在るが何なのかをあなたはまだ理解していないかもしれない。だが、まさにただ在ることが神の体験である。すべてはひとつでありつながっている。スクリーンという完全を知りたければ。じぶんが一体なにものなのかを。無にある充ちたあなたを知りたければ。神や霊魂や真我や完全という観念を放棄して、ただ在るでなければならない」
『霊(ひ)止(と)というひかり。あたたかな陽。愛そのもの。生命。命へとつづくわたしの内にあるひかりへと』
「そのとき。あなたが何も考えなければ。あなたがあなたのまんなかのひかりにもどるなら。人生とはとても甘くやさしいものだ」
『苦いものであっても?』
「喩えるなら。それはほんとうのあなたでないから大丈夫♡」
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