おちたらおち
『まだ学びたい私がいるのかな・・』
「ふむ。それも自然におきておる」
『難解な真理を段階ごとに🙏もうすこしお付き合いいただいても?』
「よいぞ。ほどかれるまでの」
『やわらかめで💗』
「最近のはかなり。やわらかい表現にしておるがの」
『ですよね😅』
「新たな概念や観念を掴まぬようにの」
『ええ。空あそび。ハートは決めつけませんから✨』
🟣わける前(自我生成前)
「ハート輝き。ほほえむ」
まだ「私」と「世界」の区切りが
概念として固まっていない状態。
🟡こども自我
「思いどおりにならない😭」
世界とぶつかる。
まだ観念そのものになっており、それに気づけない。
なぜ空回りするのか。
なぜ人と衝突するのか。
思考さんは結論好きだから。
「悪いのはあいつだ」
「私はこういう人間だ」
「相性が悪い」
などと物語を完成させる。
ドップリゲンガーな状態。
🟢おとな自我
「思いどおりにならないが、がまんする😌」
世界を管理し始める。
掴んでいる観念は多い。
せかいは変化し続けるのに。
思考さんは固定したがる。
怒りを抑え、
感情を飲み込み、
「大人だから」と耐える。
以前より成熟したように見える。
しかし、
抑え込まれた思いは、
身体という現象に現れることもある。
原因は見えにくい。
観念や抑えこみ続けた感情が、
身体への現れと関わることもある。
そのため。
現象だけを薬で抑えることが。
当たり前になってしまうこともある。
🔴成熟した自我
「相手にも事情があるのう🙂」
世界と調和しようとする。
人間性を育て、
我をあまり出さなくなる。
自然や植物、
小さな幸せにも目が向きはじめる。
以前よりずっと優しくなる。
ここまで来ると、
思考さんもかなり洗練されておる。
しかし、
まだそこには
「優しくありたい私」
「人間性を高めたい私」
「考えている私」
など「私」がおる。
🟠ほどけはじめた自我
「あれ? この『私』も思考さんの物語か😳」
ここで初めて、
問題は
考えることではなく、
考えているものを
「私」だと思い込んでいたこと
だったと気づき始める。
思考さんは敵ではない。
ただ、王様ではなかった。
しかしまだ。
「救いたい私」
「学びたい私」
「本物と偽物をわける私」
など。
微細な「私」がのこる。
🔵にじみはじめ
「慈悲ふかまる😌」
ここでは。
無理に愛するのでなく。
自然とそれがにじむ。
安心感ふかまり。
欲も強くなくなる。
思考さんも、
必要なときだけはたらく。
しかし。
もう主人公ではない。
観念も次々と。
おちる。
⚪そのまま
「ありがとのう☕🍩」
あるいは
「・・・」
ほどけるでもなく、
にじむでもなく、
ただ、
そのまま。
ただ、
ほほえむ。
『🟣は、うまれたてってこと?』
「うまれてもないかもの」
『⚪と違うの?』
「🟣はしらん」
『うん』
「⚪もしらん」
『🤣』
「だが」
『うん?』
「🟣はしらずにわかれてない」
『うん』
「⚪はすべてわらって」
『うん』
「ありがとのう、じゃ」
『全愛すぎ!🤣🤣🤣』
「そこに我はないからの」
『私はいない。すべてわたし😌』
「思考さんは」
『うん』
「すぐ答えやゴールにしたがる」
『仕事熱心😂』
「ありがたきはたらきもの」
『でも王様じゃない🍩』
「よき道具かな」
『ありがとのう😆』
「今日も忙しそうじゃの、思考さん」
『思考さんは学ぶの大好きですからね😆』
「ふむ。内側で分離できるようになったの」
『あ!そういうこと!?😳』
「やわらか真理講座じゃ」
『💖』
「なんじ、ニンジンを愛せよ」
『隣人でしょ🤣』
「おなじじゃよ」
『え?』
「🥕も👩👩👦👦も″🍩″」
『・・・😌』
「愛そうとする我はおらんというジョークじゃがの」
『🍩の御業かー🤣🤣🤣』
「学んでおるのは思考さんであると見抜く」
『おかげでまたゆるみました✨』
「思考さん🍟も🍩が変化したスガタじゃがの」
『🍟即是🍩ですね』
「🍟⇔🍩」
『段階もないってオチ😆』
「さいしょからの」
『🤣🤣🤣』
「☕」
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