つまりなく流れるもの
「すべてを知り、真我のコエを聴き、霊とも会話し、私はいったいどこまできたのか。もうこのせかいでやるべきことは終えたように感じます」
『安心なされ。あなたはどこにも動いていない。旅をしていたのはあなたではなかった。思考者でないということは。行為者ではないのだから』
「❗❗私がなにかを行っていたように思っていただけで・・実はそれは自我さんでしたか!?」
『自我はどうしても存在していたい。だが、真理には。私はいない。自我とは実体なき幽霊である。それでいてすべてのものが空である』
「全イチ・・行為者でなく、ハートだった・・」
『あなたの好きな御霊や魂とよばれているものと、聖心はおなじものだよ。なんら違わない。表現方法が異なるだけである。聖心にゆだね、全イチであってごらん。生死などないことに気づく。すべてのものがあなたなのに、なぜあなたが消えることなどできようか』
「!!」
『あなたは特別なチカラを得た者だけが。いわゆる死者とよばれる者の声を、霊と会話できると思い込んでいる。じつはそれは誰もがやっていることなのだ。完全にすべての思考はやってきているのと同じように』
「😨」
『あなたは知らずに特別感を楽しんできた。しらない、ということをしらずに。それでもその自我から離れるトキはくる。飽きたり楽しめなくなるトキはくる。だがいつも。ほんとうのあなたは、空は笑うのである』
「川にポイ捨てしても問題ない。真理ではなにも存在していないのだから。川が人間のせいで穢れているのでなく、そのように観ている私の鏡に穢れが付いているだけ」
『よきかな。とは、あなたが真実という河に流れはじめたトキ。その聖心からのコエである。善とは頭の中になく、真ん中にしかないのだから』
「よろしいですか、すべてはよいでしょう✨」
『行為者はいない、というジョークなあいだからね』
「ゼロに充たされて」
『在る。そこにはいかなる問題も、苦しみも存在できない。それだけがただひとつの真実である』
純粋に楽しみなされ
コドモのように純粋に楽しめるなら
なんであれ、それをするといい
そこに善悪はない
分離はない
価値判断はない
自我と同一化せずに
また
自我とひとつになりなさい
自我はあなたではないのだ
これは思考で捉えると矛盾する
だが
全イチをしるものは
ハートが輝いてしかたないだろう
それはじぶんのすべてを愛するということだ
全イチとなってやり遂げるということだ
あいのまま
流れるということだ
同一化しないということは
個人が存在しないことにほかならない
また
全イチとなるときにも
個人は存在しないのである
ハートのコエとは常に
個人の声を超越した
全イチそのもののコエだ
在る
在ることにより
変化の
幻想のすべてを
赦し続けるといい
せかいには
すべてのすべてである
あなたしかいないのだから✨
にこやかに
にこやかに
すべて完璧
すべて完全
すべてよし
すべてよし
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あなたにいつも拈華微笑💖