あなたを観るあなた
『わたしのためにすべては存在し、わたしはすべてのために存在している世界。だから無理に愛そうとしなくとも存在しているだけでわたしは愛・・』
「そうだね。表面的なフォローとはまったく関わらないところで、あなたもわたしも。はじめからすべての存在をフォローし、フォローされている」
『すべてはひとつにつながって・・』
「そう。だからこそフォロー数、フォロワー数、ブロックされたなどお気になさらず。あなたがそこにいて。ここにいて。はじめてあらゆる体験が可能になるのだから。なにもせずとも生きている。それだけであいである」
『もう”じぶんの夢は叶っている”と気づくとよいのでは?真実では、観念とおり・・思い通りに誰もが経験しているのですから』
「そこに気づくまでにトキを要する者もいるだろうね。だが、その気づきに間違いはない。いかなる存在もすでに夢を叶えている」
『真我を忘れたままでも、自我という夢を掴めているのです。自我は幽霊であればこそ、夢を楽しんでいると想えるのです』
「あなたのように気づきを深めるには少々段階を踏むことも必要だろう」
『思考者である者は観念を生きる。気に入らないことがあるならその観念を変えればいい。そうすると気に入らないことは起きなくなりますからね♡』
「そうだね。現世は。鏡のせかいはそのようなしくみ。観念を見せられる。世界に教えられる。鏡の他者が。鏡の世が教えてくれる。現象という過去の現れとしてね。それでいて常世は。空のせかいはひとつ。完全なあいにみちているゆえに何ら問題はない」
『在り続けることで。思考でなく聖心で観ることで。掴んでいた観念は恩寵により消えていき、空に至る』
「うむ。理はそんな感じだね」
『そもそも空なせかいですが、空に至り。己とはなにかをしると。すべては救われていることに気づく。完全に救われていると』
「そう。だが、困難なのは自我さんを自分だと思い込んでいるゆえに、真我という目の前に広がっているほんとうの自分、聖なる自己の輝きに気づきにくい。せかいとはあなただ、と聞いても思考で考え続けてしまうからね」
『おっしゃる通りです。理解しようとする思考から離れなければ・・まんなかと思考さんとの距離をつくりだし、まんなかに戻らなければ。すべての存在は平和にいたという真実に気づけません』
「なにも起きていないあいというジョークにもね」
『いくら真理を言葉で現しても。それを思考で捉えている方々は、フォローを外していきますね』
「まったく問題ない。自我という夢を楽しんでいるのだから。それに言葉は言葉にすぎず。このように繰り返しても、思考とまんなかの聖心との間に距離を作り出さねば真理にはなれない」
『たしかに。大切なことです。あいを観続ける。ただ在るということは』
なにも間違っていない
自分を責めずに
あなたは
ただそこに
在るだけで
せかいを
すべてを
映し出しているのだから
感情であれ
想念であれ
観念であれ
あらゆる
自我であれ
喜怒哀楽と
しっかり
むきあい
それを
楽しんだら
つぎは
ずっと
まんなかに
いたことを
おもいだすといい
せかいの
すべては
あなただったということを
すべては
あいだったということを
感じるといい
意味を与えられるのは
あなたしかいないゆえに
あなたから
変わるだけで
せかいは
完璧に
異なる
かおを
みせるのだから
鏡をみても
反転するだけ
すでに
夢は叶っている
あなたは
あなたのかおを
直接に
みれないのではなく
せかいという
あなたの
ほんとうのかおを
はじめから
直接に
みているのだから
まだ
真我が
みえないなら
おとしていきなされ
人生とは
生きるとは
その鏡についた
観念を
おとしていくことである
おとしていきなされ
穢れなど
どこにもなかったと
あなたが
映る
あなたを
うつくしいと
いつまでも
どこまでも
褒め讃えられるまで
まんなかの
スペースへ
すべては完全
あなたは
完全である
真我はいつも
ほほえむ✨
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あなたにいつも拈華微笑💖