みわざ
「あなたしかいないよ。せかいには」
『たった”ひとつの私”しか』
「目に見えるすべて。それらがどのような形態であれ状態であれ。あれもあなたなら、それもあなたであるからね。私もまたあなたである」
『まったき、事実ですね』
「たしか。過去に。おまえは~だ!と言われとても傷ついた、と」
『・・ええ』
「学びのため。起きた」
『ほんとうの”私”が傷ついたわけではない』
「だれも。だれにも。ほんとうのあなたやほんとうのわたしを傷つけることなどできない」
『無。空は。”それ”は物質ではないけども。喩えるなら。天空を切るようなもの。大海を切るようなもの。宇宙を割るようなもの』
「では傷ついたのはなにか?」
『え?』
「あなたでなければなんなのだろう」
『え・・え!?』
「知的理解しようとすると迷うだろう。なぜなら知的理解では真実はみえないからね。ほんとうの理解はできない。知識は無論、中心へ導いてはくれるが、真の理解は知識では得られない。真我とは?空とは?つまり。あなたとは何か?の答えはすべてを超越しているからだ」
『ハートから思考をみる。やってくる思考をみる。思考に気づく。それは喩えるなら。宇宙と地上の間に大気圏を創り出すようなものかもしれません。もちろん。宇宙が聖心なのですが』
「おまえは~だ!」
『!』
「さて。どこで起きたかね」
『わたしの中です。内面です』
「それは当然だ。せかいがあなたなのだから。ゆえに何をしてもいいが誰かのせいにはできない。こどものように誰かのせいにしてもいいがね。で?内面のどこだろう。よく考えてみなされ」
『・・・』
「感情か。思考か。想念か。心か。それともまったくの無意識か。あなたがマハラジのような賢者なら。微笑ましく見守っているかもしれない」
『あの・・これにはどういう意味が』
「なに。考えすぎることはない。たんなるゲームだから。あなたがクリアになるまでの」
『どうすればいいんですか。考えろと言ったり、考えるなと言ったり💦』
「理解した!とおもってもトキは経ち。また異なる理解は訪れる。観念や想念。精神。信念。正義。そのようなじぶんではないものを解体し、手放し、放棄していくほど。それは深まるだろう(だから理を解くというのだが)」
『内面が現象に現れる?』
「個人的な”私”がクリアになると全体的な”私”(そこでは私もあなたも消滅する)がクリアになる。心でなく聖心が顕れる。そのイマココでは。あなたは他者をみても、”わたし”だと認識するだろう。とても古い時代を見ているように感じるかもしれない。あれは過去の”わたし”だと思うかもしれない。それでもイマココにすべて存在している。もし。目の前に助けを求める御方あれば。真理ではなにも起きていないとしても。頭ではなく、聖心に聴き。その”わたし”を助けるといい」
『なるほど・・。でもそれは。見返りなき、”無私”ですよね』
「そうだね。私の声は無視しなさいとはいうが、目の前で助けを求める者を無視するなんて人間のすることじゃない!🤣」
『ジョークですか!ジョークですね🤣✨』
「・・さて。どうだろう。己を理解する運命にない者には。まったく認識できない”空”のお話しだからね」
『またまた。誰もが在るであり、あいであり、すなわち”空”でしょう??』
「そうだね。あなたにしか意味を付与できない」
『あい・・ですね』
あなたしかいない
人間と他のもの
という考え方すら存在しない
それは幻想である
このせかいに
人間だけが独立して
存在することは不可能だからね
よって
あらゆる生き物が
ひとつの生命
の異なる形態に過ぎない
つまり”何か”と”何か”を
明確に区別する境界線などどこにも存在しない
それは”ひとつ”なるものの変化である
幻想である
それなのに区別、分別、決めつけをするのが
あなたの観念である
すべてはひとつ
この聖なる自己認識を
人は目覚めや覚醒、悟りと呼ぶ
そのトキー
あなたも存在しなければ
わたしも存在しないことが
明確に理解される
悟る人など存在しなかったのだ
と
だが
この認識が起きるまでは
決して
理解されないだろう
”それ”が”それ”をしること
これが聖なる自己認識である
そのために
この幻想せかいはあり
人生という旅、空間や時間という幻想が
あたかも実在しているかのように存在している
在る
日常において
観念に気づきながら
在るといい
帰還はまもなくだ
すでに聖心にいるのだから
空のこころ
空のせかい
”それ”をおもいだすこと
それが進化である
「冒頭に戻ろう。では。傷ついたのはなにか?」
『それは実在しないのです。実在しませんが、その存在しない過去に対し。このようにしか癒えません👏』
「なにか?」
『人生のすべてはあいであると💖』
「身体のまま。神域に。もうクリア寸前だね👼👌✨」
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あなたにいつも拈華微笑💖