ひとりでなくひとつ
「さて。いくつか真実をかいてきたが。これだけが真実ではない!ということが理解されたかね?」
『″すべてはひとつでありつながっている″という真実のほかにも″すべてのものがわたしである″などの真実があっての真理。無為自然。ありのまま。無我に。空に。ほんとうのわたし・・在るもの』
「″ありのままの自分″という言葉がある。だが。真のありのままには″自分″はいないのだ。しかしながら。すべてのものを自分というならそうだろう」
『そこに。真我や神などの概念も観念もないところに。ありのまま』
「人間は″自分が何かをやっている″と思っていたい。″私″という個人でありたい。そこに自我のトリックがあり。無論それはなんら問題なく。毎日せかいに展開されているのだが」
『私ひとりが・・私だけが・・私がいるから・・私とあなた・・』
「すべてが自分である、という視座から事象をみてみるとどうだろう。とても滑稽なせかいではないかね」
『え?』
「他者のようにみえる自分のご機嫌をうかがい、あれこれと気を回し、自分と遊び、自分にあいさつし、ビジネスでは自分と名刺交換もするだろう」
『たしかに!🤣自分である他者のせいにして、まるで自分は悪くない!と主張したりもしますね😂私とはひとつだけ。自分とはひとつしかないのに。おもしろいです✨』
「でもね。残念なことに。トキにその相手が。せかいが。あなたが掴んでいる観念をあなたにみせてくれていることに気づいてはいないのだよ」
『!!この世の。ここ、鏡世の仕組み💗』
「イエスや仏陀やクリシュナやマハラジなど。聖賢たちはただひとつのことだけを伝えている。″あなたが穢れているのではなく。あなたの鏡が汚れているだけなのだ。そこに付いた穢れを落としなさい。ただ在ることで。自我フィルターを通さず、つまり観念を落とせば。ほんものが顕れるから!″と」
『私はすべてのために存在し、すべては私のために存在している世界。そのうえ私の掴んだままの観念を、ほんとうのわたしではないものをみせてくれるなんて、世界は愛でしかありません😍』
「あなたのように気づいたならまだいい。観念通りに経験できる現世ゆえ。聖心にまだ戻らずとも。″すべてのものが自分である″と気づいたことで。その観念は変化し、即ちあなたが映し出す鏡世は″あい″に変化するからね」
『病を患うことも激減し、薬も必要なくなる?』
「せかいがすべてのあなたなら。自分で自分に苦しみをあたえるかね?」
『あたえませんよ🤣🤣🤣』
「だが何かを目標に、何かを達成するため苦しむことを楽しむ御方もいる。その御方がどんなに苦しそうにみえようとあなたが″無理しないで″、″もうやめなよ″といっても余計なおせっかいになるだろう」
『ええ。・・わかります』
「混乱しないかね?」
『え?』
「この方も真実では自分なのに。言葉をかけるべきなのか、それともそっとしておくべきなのか?などと」
『・・そうですね、そこです。そこは考えると混乱します』
「いわなかったかね?在ることで解き放たれる聖心のスペースはあなたの内側にも外側にもひろがっていると。ほんとうのあなたは無境界で無条件のあいである、と」
『!・・考えてる私がいるということは、単に私が煩いながら想像しているだけ!?』
「真理はひとつじゃ。ほんとうのあなたに戻るなら直接的な答えは″在る″。考えとは過去であり、知的探求にはおわりがあるようでどこにもない。それは実体なきものだからね」
『観念を落とすにも″在る″?』
「あなたが在るを選択すれば。旅の時間は短くなる。すべては自動で起きていることをしり、せかいがあなたを自動でゴールまで連れていってくれるだろう。″え?もうおわったの?″、″え?いつのまに?″などと」
『あ・・幾度か経験あります。なんだか。すべてのものが完璧に流れているかのような💖』
「あなたはまだ。この何でもない奇跡であり、同時にとてつもない奇跡をしらないかもしれない。しれば。あなたのその慈悲はせかいを包みこみ、あいしかみせないからね✨」
『どうなります?そこでは私は??』
「聖心に戻ったとき、あなたはこう云う。″私はなにもしらない。でも、誰もがひとりでなくひとつだったのだ″と」
『まさにあいのみわざ。かみのみわざ。縁TIMEの変態YOU!!😭😭😭』
「絶対無の絶対有じゃ❗🤣🤣🤣」
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あなたにいつも拈華微笑💖