「」にみちる
『まだまだ多いですね。森や川、景色、花や緑、他者(鏡)、世界・・眼前に広がるものすべては自分であることに気づいていない方・・。まっさらなスクリーンの聖なる自己が、現象の変化すべてを映し出しているのですが』
「正確には常にほんとうのじぶんとつながっておることを忘れておるだけじゃよ。自我(分離)は存在していたいからね。悟りを求める探求者さえ。あたかも″私は悟った!″と思っていたい」
『悟りは存在しません。ところで、お気に入りの高級車を手放したとか?』
「私が手放したわけではない。空を一度でも観た者はもう。物語(人生)の登場人物にはなれない。ほんとうのわたしの内側でそのようなカタチをした自動車と呼ばれているものが少し移動しただけじゃよ」
『すべては手に入れている、本当の自分がやっているわけではない。これ。自我(思考の自分)を本当の自分だと錯覚している御方からすると。まったく理解不能な領域ではありませんか?』
「そうだ。また、そうではない。ともいえるだろう。なぜなら、ほんとうのじぶんからたとえ一瞬でも離れたことがあるものなど、どこにもいないからね。″在る″は常に。充満しており。ほんとうのすがたは誰もが自己充足した域で微笑んでいる。そこが天国とよばれている場所であるが。変化しかないこの世(鏡世)にいると、まさか自分が生まれても死んでもいない至福存在そのものであるとは。そう簡単にはおもいだせないかもしれないね」
『無、空に在っても。人間は活動的な生き物ですからね💦ホントはぜんぶ錯覚や思い込みとはいっても、何かをやっていないと自我(個の私)は″死″んじゃいますから・・』
「自我の死は、消えることなきほんとうのあなたがここに満ちていることにつながるがね」
『❗❗』
「道端に咲く花を見て、きれいだねと誰かは言う」
『?』
「しかしそれはまだ。その花のほんとうの美しさをしらない」
『どういう意味ですか?』
「その一輪は単独ではけして咲けない。花を霊止(ひと)に例えてごらん。外側ばかり見てると、その他者(鏡)の本質はみえてこない。犯罪者は悪いヤツだ!と決めつけている自分がそこにいるのなら。その自分こそ、己の内側を見つめなおしてもいいだろう」
『・・・。犯罪者なんて実在していないことに気づく!!?』
「色即是空じゃよ。もし。真実をみたいなら。ハート(聖心)に問うてごらん。そこには穢れなどどこにもないから✨」
『観念教育を受けて育った方々からツッコミきそう😂』
「なぁに。己をしらないだけじゃよ。常に自由で。自己充足。無限の聖なる自己を。色⇔空(くう)とは元いた我が家(聖心)に還ることだからね」
『みんなの本当のスガタ。いっさい穢れてませんね💖』
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あなたにいつも拈華微笑💖