せいなるこえ
「自我を生きるか。幽霊でないものに微笑むか」
『それは・・。自我を生きてもまったく問題ないとしるうえで?』
「うむ。すべて赦されている」
『それでも。イライラしたり何かを無理矢理変えようとしたり、思考になったまま何かの行為をすると・・?』
「誰かさんにとっては。一般的に病や鬱とよばれる状態になるだろう。大なり小なり思い煩い、やまい患う」
『残念ですね。正体はかみさまなのに』
「かみさまゆえに、じゃよ。観念通り経験できる現実、現世なのだから」
『考え方通りに写される鏡世!世界が気に入らない、心地よくないなら考え方を変えれば外側は変わる・・真剣さが仇となる?』
「成熟し。悟った者は在る。身体的な静止を意味するものではないぞ。何をしていても空のやすらぎに″在る″」
『在る・・。それは個人的ななにかではない実在』
「自我であれ、幻想せかいであれ真剣に楽しんでいるならいい。生活のために働き、学ぶ。だが。なぜ苦しむ必要があるのか」
『・・教えてください!聖人はどのように生活し、どのように行為を?』
「″これは私がやっていることではない″と完全に気づいている。自我と同一化せず行為し、心も知識も超越した聖心と同一化し行為している。それは実在だけを観続けるということにほかならない。あいだけを観続けることにほかならない。全体にエネルギーを注ぐことにほかならない」
『で、では自我を生きるひとは個人だけにエネルギーを注いでいるのですか?思考や身体という″偽りの自分″と同一化しているということは、幻想にエネルギーを注ぎ続けているのですか?』
「そうだ。そしてまた。そうではないとも言わねばならない」
『?』
「なぜなら。自我を生きる者もまた。在るのために。空のために。″わたしとは何か″をしるために存在し、奉仕しているからね」
『その御方の目的がお金持ちでも?』
「そのような方から見ると自我なき聖人はとてもつまらない人間に映るかもしれない。通常のお金持ちと呼ばれる方々の求めるものは自分(だけ)もしくは家族やチームなど、ごく限られた枠組みだけを満足させることが人生の目的であるからね。たとえ救済が目的であれ、どこかで自分は賢いと思っているゆえに。真理に気づけば一瞬でせかいを救えるなどとは考えもしないだろう。だが。どのように思われてもあなたは気にせず在る。なぜなら思いとは過去であり、分別・価値判断・決定をあなたがしているのなら。それはいまここを生きてはいない」
『なにひとつ分けない・・分かれていない』
「とうぜんだ。かみさまはなにも分けないだろう」
『・・!いつだったか。一瞬でここへ産まれたのです。あれはすべてがじぶんだからこそ?』
「魂とは。霊魂とは。ほんらい自由自在なものである。その自由さ、至福はあなた本来の姿でもある」
『マスターの仰る聖心。真実では何も分かれていないからですね✨』
「在ることで。境界が消えてくると。コエが聴こえる。まんなかの聖心から。人によっては耳元やあたまの周囲からかもしれない。全イチそのものの。ほんとうのあなたの。かみさまのコエじゃよ」
『思考からの解放はそこから?』
「まんなかに透明なスペースがあることに気づいただろう」
『・・ええ🧘♀️』
「ほんもののあなたと。聖なる自己と再会したくば。そこから静寂へ入るといい。沈黙。無我。空。もはやそこではあなたは存在できない」
『知識も観念も心も超え。ゼロに充ちていく💖』
「真我を探求する者にとって。それだけが真実だ」
『個は幻想であり。実在のひとつしか知らない✨』
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あなたにいつも拈華微笑💖