それかそれ以外か
「ぜいたくな人生だねぇ」
『・・まったくそんなことありませんよ💦今日なんて、スーパーの半額シールが貼られる時間をねらって買い物したのですから😂』
「あなたがねらったわけではない」
『え?』
「それにしても。ぜいたくものだ。せかいイチのしあわせものである💗」
『で、ですからこの物価高で困ってるほど、ぜいたくとは無縁です💦』
「一時的な現れじゃよ。思考や身体という現れと自分自身を同一化しているだけにすぎぬ。ほんとうのあなたは一度も。せかいに現れてはいない」
『い・・いえいえっ!ここにこうして生きてますから❣』
「だから。ぜいたくものなのだよ」
『どういうことですか・・?』
「生きてるということは、生まれたということだ。生まれたということは死という消える体験をすでに予約している」
『た、たしかに💦』
「だが。実は不死という我が家(聖心)から。一歩も動いていないのだ」
『え、演じている!?・・人間を』
「自我(あなた)は。死ぬのがコワイ👻消えたくない😱と不安になったり悩んだりする。それはあなたが完璧に役割を演じているともいえよう」
『・・は、はぁ』
「しかしながら。あなたの人生というとても手の込んだひとり芝居には。つまり。どこまでも広がる聖心(あなた)というジョークにはオチがある」
『いったいどんな?』
「その瞬間、わらうだろう。″なんだ、一度も消えることのできる″私″なんていなかったじゃないか″と。そうして。もともと在った沈黙に還る」
『え?』
「喩えるなら。波が海に還るとき。波というそのカタチは変わるが。水そのものは一滴も失われないことと同じじゃよ」
『も、もしそうなら。消える体験もまた、一時の変化ではありませんか?』
「一時、でもない。しかし。″私(個人)″という執着が強ければ強いほど。オチの開放感は大きくなるだろう。あなたはこの最高の舞台で。その最高のオチの伏線として踊り続けておるのじゃよ」
『ちょ💦舞台なら!観客がいるはずです。そのひとたちは??』
「ご明答。観客は、ほんとうのあなただ。もし望むなら。観客側の視点も楽しめるが?」
『ぜ、ぜひ!🤍』
「くつろぎ。コーヒーでも飲みながら。ときどきスマホもいじりつつ人生という舞台をみるなら。まずは。舞台と客席のあいだに距離を作り出す方法からじゃ。思考とまんなか。自我と真我のあいだという例えでもよいぞ」
『・・どうすれば?』
「思考が起き(現れ)たとき。自我と完全に同一化している状態のあなたは、″私はこう考えている″、″あの人が悪いんだ″などと、物語を作っている。過去や未来をイメージしてそこに自分という演者を置き、なりきっている」
『と、当然ですよ!!え、私の物語ってダメなの?💦』
「ダメとか悪いとかいうオハナシでもない。事実をハナシているだけじゃよ。よいかね?距離を作るにはまず。思考や感情や反応は自然(勝手)に起きているとしりなされ。現れはなんであれ起こる。そこに良いか悪いかを判断すること以前に、″あ、いまこういう思考が現れてる″とみなさい。それはあなたが考えたくて考えたことではないのだ。雲(思考)がただ流れているのだからそのままにさせるだけでいい。大空であるあなたが。いくつも流れてくる雲を追いかけ続けるかね?それは疲れるだけだろう」
『追いかけるほど、自我が強くなりまた。身体も疲れる気がしますね💦』
「そうだろう。それが現代人のストレスとなり現れる。だがストレスも思考も身体の反応も。現れは現れにすぎない。誰かにイラついたとき。なんらかの感情が起きたとき。SNSをみて何かと比較したとき。その現れをみるだけでよい。それは実体のないものだ。一方。現れることのないあなた(聖心)は気づいている側である。ただ観照するだけでよい」
『なるほど。・・でも。それだと″私″がいなくなりませんか??』
「鋭いねぇ。″私″とは思考が言っているからね。でも。ほんとうのあなた(聖心)が消えることはありえないから安心なさい」
『そうは言われても・・現実逃避のようにも💧』
「もういちどいおう。ほんとうのあなたとは聖心(ただ気づいている静かなる意識)じゃよ」
『・・・あっ!そうか!!″私″はもともとなかったんだ💚』
「おもしろいだろう。神の御業(ジョーク)じゃ。消えることなき存在が、消えるフリを味わっている。実在しない個人を楽しんだ挙句に、だよ。これ以上のぜいたくがあるかね?」
『で、でも生活するには″私″が必要では?』
「それは道具だ。社会生活では会話もあり、行動もある。思考や名前という道具を使うことも必要だろう。それらは実在しないが。現象の道具としてのラベルである」
『・・なるほど』
「あなたが勘違いしないために。こうも言っておこう。思考を消そうとする必要はない。また。″私はこのような人間だ″と決めつける必要はない。目の前のだれかとオハナシするときも。思考と思考が会話していると気づいてなさい。そのようにしておれば。あなたは無為自然な状態に近づく。現れたことも消えることもない至福に気づく。それは最初から。あなたの内側にずっとあったものだ」
『至福がずっと!?💖』
「あまりにも。自我と同一化していたため。実在を忘れておったのじゃよ」
『・・なぜでしょう?』
「あなたが消えることはありえない。しかしながら。自我のいう死は。消えるという体験を可能にする。その体験を存分に味わうために。″私は消える存在(自我)である″と本気で思い込む必要があったのじゃよ」
『本質は現れてもない聖心なのに❗❓真我はどこまでも無限なのに!?・・ジョークにしたってエグすぎでしょ🤣🤣🤣』
「あなたは安らかに還る。実在の意識(それ)に気づいたから」
『我という 思考の波を ボクと呼び 海をわすれて ひととき遊ぶ』
「こ、こら。短歌はわしの役割じゃ!」
『ジョークですよ💚分離(幻想)体験を楽しんでるのですから😆』
「まったく・・。ほんとうのあなたはいつも。満ちている。あなたは一度も″それ″以外のものになったことはない」
『じゃあ、この半額シール生活も神の演出(現れ)ですね🤣』
「うむ。かなり凝った演出である。すべてのものがあなたであり、そうでありながらあなたは。どの役にも縛られてはいないのだから」
『わたしのぜいたくもの🤍』
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あなたにいつも拈華微笑💖