見出し画像

1950年代、熱狂のステレオ写真黄金時代を旅する

かつて、写真が単なる平面の記録ではなく、手を伸ばせば触れられそうな「体験」そのものだった時代がありました。それはデジタル技術が影も形もなかった頃、重厚な金属製のカメラとフィルムが織りなす、ある種の魔法の時代です。
本題に入る前に、今回の旅の羅針盤となる「PSA」について少し触れておきましょう。PSA(Photographic Society of America:米国写真協会)は、1934年に設立された世界最大級の写真家団体です。プロ・アマチュアの垣根を越え、世界中の写真愛好家たちが技術を競い、芸術性を追求したこの場所は、まさに写真文化の最前線でした。
今回、私たちはタイムマシンのダイヤルを1940年代終わりから1960年代初頭へと合わせます。手元にあるのは、当時の写真家たちの情熱が詰まった『PSAジャーナル』のアーカイブ。ページをめくれば、そこには「ステレオ写真(3D写真)」という、驚くべき視覚体験に魅せられた人々の熱狂的な記録が残されていました。
これは単なる技術史ではありません。レンズを通して世界を「ありのまま」に残そうとした、愛すべき写真家たちの冒険の物語です。


二つの眼が捉えた新しい世界

1950年代、アメリカの写真界に一つの革命が起きていました。それは35mmカラーフィルムの普及とともにやってきた「立体への渇望」です。戦争が終わり、人々は世界中の美しい風景や家族の姿を、もっとリアルに、もっと鮮明に残したいと願っていました。
その願いに応えるように登場したのが、ステレオカメラです。人間の眼と同じように二つのレンズを持つこのカメラは、右目用と左目用の二枚の写真を同時に撮影します。それを専用のビューワーで覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていました。風景は奥行きを持ち、人物はまるでそこに生きているかのような存在感を放っていたのです。
PSAジャーナルの1950年代初頭の記事を紐解くと、この新しい表現手段に対する興奮が紙面から溢れ出してきます。当時の写真愛好家たちにとって、ステレオ写真は単なるギミックではなく、「真実を写すための最終兵器」だったのかもしれません。

ハードウェアの革命児たち

この時代の主役は、なんといっても「ステレオ・リアリスト(Stereo Realist)」というカメラでした。1950年代のPSAジャーナルの広告ページには、このカメラが誇らしげに掲載されています。
「人生で見たままを、そのままに」
そんなキャッチコピーが聞こえてきそうな広告の数々。デビッド・ホワイト社が製造したこのカメラは、堅牢なボディと精密なレンズを持ち、瞬く間に愛好家たちの憧れの的となりました。1954年2月号のジャーナルでは、カメラやビューワー、プロジェクターといったアクセサリー類が、測量機器メーカーの精密さをもって紹介されています[1]。

David White Company Advertisement: PSA Journal, Vol. 20, No. 2, p. 2, February 1954.

それは単なる趣味の道具を超え、所有すること自体がステータスとなるような輝きを放っていました。
しかし、市場は独占を許しませんでした。写真界の巨人、コダックも黙ってはいなかったのです。1954年の終わりから1955年にかけての記事を見ると、コダック・ステレオカメラの存在感が増してくるのがわかります。より使いやすく、より大衆向けに設計されたこのカメラは、ステレオ写真を「マニアのもの」から「みんなのもの」へと広げる役割を果たしました。

PSA Journal 1955-07: Vol 21 Iss 7

さらに、ベル&ハウエルなどの映画機器メーカーも参入し、市場はまさに群雄割拠の様相を呈していました[2]。当時の写真雑誌の広告欄は、各メーカーが技術の粋を競い合う、熱い戦場だったのです。

TDC Stereo Vivid & Bell & Howell: PSA Journal, Vol. 21, No. 11, p. 54, November 1955.

コミュニティの形成と「ステレオ部会」の誕生

ハードウェアの普及とともに、それを使う人々のコミュニティも急速に成熟していきました。PSAの歴史において、この時期の最も重要な出来事の一つが「ステレオ部会(Stereo Division)」の設立と発展です[3]。

Stereo Division: PSA Journal, Vol. 18, No. 3, p. 182, March 1952.

1951年から1952年にかけての記録を見ると、PSA内部でステレオ写真の位置づけが確固たるものになっていく過程が見て取れます。それまでは「その他」のカテゴリー扱いだった立体写真が、独立した芸術形式として認められた瞬間でした。
シカゴ・ステレオクラブをはじめとする各地のクラブが活発に活動し、彼らは毎月のように例会を開き、互いの作品を批評し合いました。ジャーナルには、各地で開催されるサロン(展覧会)の案内や結果が詳細に掲載されています。「Who's Who in Stereo(ステレオ写真界の紳士録)」といったランキングも発表され、写真家たちは星の数(スター・レーティング)を競い合いました。
特に興味深いのは、彼らが共有していた「悩み」です。1953年1月の「ジョニー・アップルシードのメールバッグ」というコラムでは、ステレオ写真の標準規格についての議論が交わされています[4]。
「標準サイズはどうあるべきか?」
23×24mmというフォーマットがデファクトスタンダードになりつつある中で、マウント(スライド枠)のサイズや投影時の仕様について、真剣な議論が戦わされていました。これは、新しい文化が定着する過程で必ず通る「産みの苦しみ」だったと言えるでしょう。

暗室の錬金術師たち

ステレオ写真は、撮って終わりではありません。その後の処理こそが、愛好家たちの腕の見せ所でした。当時の記事を読むと、彼らがいかにこの工程に情熱を注いでいたかがわかります。
特に「マウント」の作業は、繊細かつ根気のいる仕事でした。撮影されたフィルムを左右正しい位置に、しかも立体視したときに違和感がないように調整して固定しなければなりません。0.1ミリのズレが、鑑賞者の頭痛の原因になるからです。
1955年5月の記事では、新しいカラーフィルム「エクタクローム」の登場が話題になっています[5]。従来のコダクロームに比べて感度が高く、処理も早いこのフィルムは、ステレオ写真家たちに新たな表現の可能性をもたらしました。彼らは自宅の暗室(あるいは台所やバスルーム)を実験室に変え、現像液の温度管理に目を光らせながら、最高の一枚を創り出すために夜を徹していたのです。
また、投影(プロジェクション)も大きなテーマでした。偏光メガネをかけて見るスクリーン上の立体映像は、まさに魔法のような体験でしたが、それを実現するためにはシルバースクリーンや強力な光源が必要でした。ジャーナルの技術的な記事では、スクリーンの明るさやプロジェクターの冷却問題など、極めて実践的なノウハウが共有されています。

芸術としての立体写真

技術的な課題を乗り越えた先にあるのは、やはり「表現」の問題です。1951年11月号には「The Stereoscopic Art(ステレオスコピック・アート)」というタイトルの記事が登場します[6]。

Stereo Column: PSA Journal, Vol. 17, No. 11, p. 680, November

これは、ステレオ写真が単なる記録写真を超え、芸術の域に達しようとしていた証拠です。平面的に見れば美しい構図でも、立体にすると散漫に見えてしまうことがあります。逆に、平面ではつまらない被写体が、立体になると驚くべき存在感を放つこともあります。当時の写真家たちは、この「第3の次元」をどう使いこなすか、試行錯誤を繰り返していました[7]。
前景に花や枝を配置して奥行きを強調するテクニックや、人物を配置して空間の広がりを感じさせる手法など、現代の3D映画にも通じる視覚言語が、この時代のアマチュア写真家たちによって編み出されていったのです。特にネイチャーフォト(自然写真)の分野では、ステレオ写真は絶大な威力を発揮しました。複雑な植物の構造や昆虫の生態を記録する上で、立体視は科学的にも価値のあるツールだったからです。

成熟、そして次世代へ

1950年代後半から1960年にかけて、PSAジャーナルの紙面におけるステレオ写真の扱いは、熱狂的なブームから、落ち着いた成熟期へと移行していきます。
1960年7月のジャーナルでは、カナダの展示会リストの中にステレオ部門の記述が見られます[8]。また、各地のクラブ活動報告も続いており、ブームが去った後も、真に立体写真を愛する人々の手によって文化が守られ続けていることがわかります。
しかし、時代は徐々に手軽さを求める方向へとシフトしていきました。装填が簡単なインスタマチックカメラや、より高画質な一眼レフカメラの台頭により、手間のかかるステレオ写真は徐々にメインストリームから外れていきます。それでも、この時代に蒔かれた種は決して消えることはありませんでした。

色褪せない魔法

1950年代のPSAジャーナルに残された記録は、写真というメディアが持つ可能性を信じ、技術と芸術の狭間で格闘した人々の熱いドキュメントです。
彼らが覗き込んだビューワーの中の世界は、半世紀以上が過ぎた今でも、その輝きを失っていないはずです。もし、あなたの家の屋根裏部屋や、古道具屋の片隅で、二つのレンズがついた不思議なカメラを見つけたら、ぜひ手に取ってみてください。そこには、かつて人々が夢見た「飛び出す魔法」が、静かに眠っているかもしれません。
このブログ記事が、かつての3D写真家たちの情熱に触れる小さな旅となれば幸いです。


脚注

[1] David White Company Advertisement: PSA Journal, Vol. 20, No. 2, p. 2, February 1954.
広告文には「Stereo-REALIST Cameras, Viewers, Projectors, and Accessories are products of the David White Company... manufacturers of precision instruments for engineers and surveyors(ステレオ・リアリストのカメラやアクセサリーは、エンジニアや測量技師のための精密機器メーカーであるデビッド・ホワイト社の製品です)」と記されており、同社が測量機器メーカーとしての精密技術を背景に、カメラの高品質さを「THE CAMERA THAT SEES IN 3 DIMENSIONS — THE SAME AS YOU(あなたと同じように3次元を見るカメラ)」というキャッチコピーと共に訴求していたことがわかります。
[2] TDC Stereo Vivid & Bell & Howell: PSA Journal, Vol. 21, No. 11, p. 54, November 1955.
1955年11月号にはベル&ハウエル(Bell & Howell)の部門となったTDC(Three Dimension Company)の「TDC Stereo Vivid」プロジェクターやカメラに関する記述があり、大手映画機器メーカーがステレオ写真市場へ参入し、激しい技術競争を繰り広げていた様子がうかがえます。
[3] Stereo Division: PSA Journal, Vol. 18, No. 3, p. 182, March 1952.
この号では、新たに設立された「Stereo Division(ステレオ部会)」について、初代委員長Frank E. Rice(APSA)の声明が掲載されています。それまで単なる記録や遊びと見なされがちだったステレオ写真が、芸術形式としてPSA内部で正式な地位を確立し、急速に組織化されていく過程が記されています。
[4] Johnny Appleseed's Mail Bag: PSA Journal, Vol. 19, No. 1, p. 6, January 1953.
コラム内で「Stereo Standards(ステレオの規格)」についての読者からの質問に答える形で、23×24mmというフォーマットが、Stereo RealistやKodakの採用により事実上の標準(デファクトスタンダード)になりつつある状況や、ASA(米国規格協会)による標準化の動きについて言及されています。
[5] New Color Film: PSA Journal, Vol. 21, No. 5, p. 5, May 1955.
"Shoot it! This is the new color film. Kodak Ektachrome Film..." という見出しで、新しい「エクタクローム」フィルムが登場。従来のコダクローム(ASA 10)に比べて感度が3倍(ASA 32)になり、現像処理も早くなったことで、より暗い場所や高速シャッターでの撮影が可能になったことが、ステレオ写真家にとっての大きなニュースとして取り上げられています。
[6] Stereo Column: PSA Journal, Vol. 17, No. 11, p. 680, November 1951.
この時期のジャーナルでは、Owen K. Taylorらによるステレオ写真に関するコラムが連載されており、単なる技術解説にとどまらず、ステレオ写真独自の表現論や、平面写真とは異なる「3次元の芸術(The Stereoscopic Art)」としての可能性について議論が交わされていました。
[7] Is it Creative Art?: PSA Journal, Vol. 20, No. 6, p. 43, June 1954.
1954年6月号の記事では、「Is it creative art?(それは創造的な芸術か?)」という問いかけと共に、ステレオ写真が単に現実を模倣するだけでなく、芸術として成立するかどうかの議論が展開されています。「Sun Sculpture(太陽の彫刻)」という言葉を用いて、ステレオ写真がグラフィックアートよりも彫刻に近い性質を持つ可能性についても言及されています。
[8] International Exhibitions: PSA Journal, Vol. 26, No. 7, p. 47, July 1960.
ブームが落ち着きを見せ始めた1960年の号でも、カナダを含む国際的な展示会リスト(International Exhibition)の中にステレオ部門(Stereo Division)の記述が確認でき、熱狂的なブームが去った後も、愛好家たちによってその文化が着実に守られ、継続されていたことが記録されています。


PSAジャーナルにおけるステレオ写真(立体写真)に関する記録(1950-1960)

PSAジャーナルにおけるステレオ写真(立体写真)に関する記録を、時代順に整理しました。初期の機材売買から専門部会(Stereo Division)の設立、そしてコンペティションや賞の確立へと発展していく様子がうかがえます。

1950年 - 1951年:初期の記録と活動の芽生え

1950年11月: 「売ります」欄に、1900年頃メキシコシティで入手された古いフランス製ステレオカメラ(Mackenstein, Paris)が掲載されており、初期からステレオ機材への関心が存在したことがわかります。
1951年5月・8月: 目次に「STEREO... Owen K. Taylor」という記載があり、記事として取り上げられ始めていました,。また、サロン(展覧会)の募集要項に「SS - stereo slides(ステレオ・スライド)」というカテゴリーが登場しています。

1952年:ステレオ部会(Stereo Division)の設立

1952年1月: ステレオ写真への関心の高まりを受け、PSA内に「ステレオ部会(SD)」を設立する動きが具体化しました。「創設者グループ(Founders’ Group)」が募られ、初代委員長としてDr. Riceの名前が挙がっています。また、当時「アメリカで最も主要な3次元カメラ」とされたStereo Realist(ステレオ・リアリスト)の広告も掲載されています。
1952年4月: 目次に「STEREO Division... Don Bennett」と記載されています。
1952年8月: 会員申込書に「STEREOISTS(ステレオ写真家)」という区分と、「Stereo」のチェックボックスが設けられました。
1952年10月: 理事会での投票により、正式に「ステレオ部会」の設立が決定されました。この背景には、「退役軍人のためのステレオ・スライド(Stereo Slides-for-Veterans)」プログラムを通じて25万枚ものスライドが集まった実績があり、これが新部会設立の大きな推進力となったことが記されています。

1953年 - 1955年:活動の本格化と技術的指導

1953年2月: ハリウッドのベバリーヒルズ・ステレオクラブのサロンで、Dr. William Firestoneの作品「Main Street in Banff」が最高賞(Sweepstake Award)を受賞したことが報じられています。
1953年3月: 英国制作のステレオショー「Tri-opticon」の上映や、快適な鑑賞のための被写界深度に関する技術的なアドバイスが掲載されています。
1954年1月: ステレオ・スライド・コンペティション(Frederick T. Wiggins Jr.担当)がPSAのサービス一覧に掲載されました。
1954年9月: f/2.8レンズを搭載した新しい「Super Realist」カメラ(モデルST-42)の登場が報じられています。
1955年5月: 1955年の「Tops in Stereo」の最終順位が発表され、Jack Stolpなどがリストアップされています。
1955年9月: Herbert C. McKayによる連載記事「The Stereo Window(ステレオ・ウィンドウ)」が掲載されています。

1956年 - 1959年:教育プログラムとサービスの拡充

1956年6月: Realist社から新しいステレオビューワーが発表されました。
1956年7月: 投影用ステレオのマウント方法(Mounting stereos for projection)に関する記事が掲載されています。
1957年1月: "Mr. Stereo"による「ステレオにおける外的要因(Extrinsic Factors In Stereo)」という記事が掲載されました。
1957年4月: PSA録音講義プログラム(Recorded Lecture Program)に「No. 22 This Is Stereo(これがステレオだ)」が加わりました。
1958年5月: ステレオ部会の「Who's Who(人名録)」や、スター・レーティング(星による格付け)のリストが掲載され、Samuel De Virgilioなどが名を連ねています。
1958年9月: フィラデルフィア大会において、ステレオ写真が重要な役割を果たし、特別上映が行われることが予告されています。
1959年7月: トレーディング・ポスト(売買欄)にて、Stereo Realist f:3.5カメラが129ドルで販売されている記録があります。

1960年以降:賞の確立と継続的な活動

1960年1月: ジョン・ポール・ジェンセン(John Paul Jensen)がステレオ部会のAids and Standards(用具・規格)担当として記載されています。
1960年3月: 部会サービスとして、個人向けのスライド分析サービス(Personalized Slide Analysis)が提供されていました。
1960年11月: 1960年のPSA展におけるステレオ部門の各賞が発表されました。主な賞は以下の通りです:
Emde Stereo Award: 最優秀ステレオ・シーケンス(組写真)に対して(1位はG. W. Becker)。
Realist Achievement Award: ステレオ写真への最大の貢献者に対して(Dr. Harold Lutes)。
Realist Slide-of-the-Year Award: その年の傑作スライドに対して(Mattie C. Sanford)。
Paul J. Wolfe Memorial Award: 最優秀ポートレートまたは人物習作に対して(Sidney E. Anderson)。


PSA [Photographic Society of America] Journal : Free Texts : Free Download, Borrow and Streaming : Internet Archive


いいなと思ったら応援しよう!