日本ステレオ伝【第1話】:序説 ─ 19世紀の視覚技術とゾンビメディアの符合
19世紀の視覚技術であるステレオ写真は、日本では大衆化せず、独自のDIY文化を持つ愛好家たちによって探求されました。ステレオクラブ東京のロゴとメディア考古学における「ゾンビメディア」概念の符合を入り口に、日本におけるステレオ写真の独自の歴史を紐解きます。
2023年ISU世界大会と日本ステレオ史の再考

2023年秋、茨城県つくば市で国際ステレオ写真連合(ISU)の世界大会が開催されました[1]。この大会に向け、私は公式サイト用に日本のステレオ史年表の作成に着手しました。当初は、輸入された西洋の視覚技術が日本でどのように受容されたかを時系列で整理する目的でした。しかし、過去の文献や当時の愛好家たちが残した記録を調査する過程で、日本のステレオ史が西洋を単に模倣した直線的な進歩の歴史ではないことが明らかになりました。それは世界的な流行の波とは異なるリズムで発展した、日本独自の技術受容のプロセスでした。
メディア考古学におけるゾンビメディアとの符合

日本のステレオ史を考察する上で、実践と理論の興味深い符合が存在します。日本のステレオ写真愛好家団体であるステレオクラブ東京は、2012年よりゾンビのキャラクターをロゴマークに使用しています[2]。これは、過去の遺物とされたステレオ技術が愛好家の手によって現代に蘇る様を表現したものです。奇しくも同年、メディア考古学の分野においてユッシ・パリッカらにより「ゾンビメディア」という概念が提唱されました[3]。これは、廃棄された古いメディア機器が新たな用途を与えられて蘇る現象を理論化したものです。この実践(ロゴ)と理論(学術概念)の2012年における符合は、日本のステレオ史が単なる過去の技術史ではなく、死と再生を繰り返す動的なプロセスであることを示唆しています。
大衆化の不在と能動的なDIY文化の形成
19世紀の西洋において、ステレオ写真は巨大な産業へと成長しました。しかし、日本においては幻燈などの成熟した既存の視覚文化がすでに存在していたため、個人で没入するステレオスコープは大衆的な普及には至りませんでした[4]。商業的な大成功を収めなかった一方で、メインストリームから外れた場所では独自のDIY(Do It Yourself)精神が形成されることとなります。高価な既製品に依存せず、2台のカメラを固定して連動装置を自作し、レンズや木材を加工してビューワーを構築するといった、技術に対する能動的なアプローチです。大正から昭和期にかけてステレオ普及に尽力した吉川速男をはじめ[5]、歴史の表舞台には立たなかった多くの愛好家たちが自らの手で視覚技術を探求しました。
本連載の展開:幕末からの歴史的考察とバイアスへの意識
次章以降では、時代を幕末へと遡り、日本におけるステレオ技術の受容史を時系列で考察していきます。黒船来航とともに持ち込まれたステレオカメラが当時の日本人にどのように認識され、その後どのような歴史的展開を辿ったのかを検証します。その際、歴史的資料もAIも決して中立なものではないという前提に立ち、当時の社会的背景や記録者のバイアスを常に意識しながら情報の読み解きを行っていきます。
脚注
[1] ISU World Congress 2023 (国際ステレオ写真連合2023年世界大会)
日本の茨城県つくば市で開催された、世界中の立体写真愛好家が集う国際大会。筆者が日本のステレオ史を「年表」としてまとめる直接のきっかけとなった出来事です。
[2] STEREOCLUB Tokyo (ステレオクラブ東京)
日本のステレオ写真愛好家が集うクラブ。2012年から使用されている「ステレオゾンビーズ」のロゴは、時代を超えて生き続ける立体視の楽しさを陽気に表現しています。
[3] Zombie Media: Circuit Bending Media Archaeology into an Art Method (ゾンビメディア:メディア考古学を芸術手法へと回路を曲げる)
ユッシ・パリッカらによる2012年の論文。廃棄された古いメディアがハッカーやアーティストの手で新たな命を吹き込まれる現象を理論化し、奇妙な符合を生みました。
[4] 日本ステレオ伝試論1【メディア考古学編】
筆者が以前に執筆した考察記事。日本の豊かな既存の視覚文化(幻燈など)が、ステレオスコープの普及を阻んだ背景について触れています。
[5] ステレオ写真の撮影と鑑賞 (吉川速男)
大正・昭和期の日本でステレオ普及に奔走した吉川速男の著作。彼のような熱量あふれる「孤高の変人」たちのDIY精神が、日本の奇妙で豊かなステレオ史を牽引しました。
