日本ステレオ写真史【第一部 未踏】
なぜ日本では「19世紀のテレビ」が流行らなかったのか?
写真が好きな方なら、レンズを覗き込んで立体的な世界に没入する、あの不思議な感覚をご存知かもしれません。今でこそVRゴーグルなどで身近になりましたが、その原点はおよそ180年前、19世紀のヨーロッパにありました。「ステレオスコープ」と呼ばれるその装置は、左右の眼で見るための2枚の写真を使い、驚くほどリアルな3D体験を生み出す画期的な発明でした。

当時の欧米では、このステレオスコープが爆発的に流行します。ロンドンの会社は年間30万台ものビューワーを売り上げ、家庭には世界中の風景やニュースを写した写真カードが溢れました。それはまさに「19世紀のテレビ」と呼ぶにふさわしい、一大マスメディアだったのです。

しかし、不思議なことに、その熱狂は日本には届きませんでした。黒船が来航し、新しい文化が怒涛のように流れ込んできた幕末から明治の時代。日本人はこの「魔法の箱」をどう受け止めたのでしょうか。なぜ、あれほど西洋を熱狂させたステレオスコープは、日本では大衆の心を掴むことができなかったのでしょう。
これは、西洋の「テレビ」が日本でたどった、もう一つの物語です。
海を渡ってきた「覗き見る」視線
日本のステレオ写真の歴史は、1859年、一人のスイス人写真家ピエール・ロシエが長崎の地に降り立ったことから始まります。彼の任務は、日本の風景や人々を撮影し、ステレオ写真として西洋で販売すること。つまり、日本の最初のステレオ写真は、日本人が世界を覗くためではなく、西洋人が未知の国「ニッポン」を覗き見るための「輸出商品」だったのです。

しかし、その視線は一方的なものではありませんでした。幕末の江戸、日本橋のたもとでは、人々が露店に置かれたステレオスコープを覗き込み、異国の(少しきわどいエロチックな)ステレオ写真を笑いながら楽しんでいたという記録が残っています。そこには、輸入された視線を逆に楽しむ、したたかで好奇心旺盛な江戸っ子たちの姿がありました。
やがて、横浜の写真家・江南信國(えなみ のぶくに)のように、西洋人が求める「エキゾチックな日本」のイメージを巧みに作り上げ、手彩色を施した美しいステレオ写真として世界に再輸出する戦略家も現れます。

日本のステレオスコープは、このように「輸入される視線」「覗き返す視線」「再輸出する視線」という、三つの複雑な視線が渦巻く中で、その歴史をスタートさせたのです。
強力すぎた「見えざる帝国」との戦い
しかし、この複雑さだけが、ステレオスコープの普及を阻んだ理由ではありませんでした。当時の日本には、ステレオスコープが入り込む隙もないほど豊かで強力な、先住民ともいえる視覚メディアたちがすでに存在していたのです。
印刷メディアの王様「錦絵」
葛飾北斎や歌川広重の風景画は、旅に出ずとも名所を楽しめる「仮想旅行」の役割を果たし、歌舞伎役者を描いた役者絵は、現代のブロマイドのように人々の心を満たしていました。しかも、一枚数銭という安さ。高価な輸入品であるステレオスコープが太刀打ちできる相手ではありませんでした。

参加して楽しむ「遊び絵」
見る角度を変えると絵が変わる「鞘絵(さやえ)」や、絵に隠された謎を解く「判じ絵」など、江戸の人々はただ絵を眺めるだけでなく、視覚的な遊びに慣れ親しんでいました。自ら参加する楽しみを知っていた彼らにとって、装置を覗くだけのステレオスコープは、少し物足りなかったのかもしれません。

物語を共有する「幻燈」と「のぞきからくり」
ガラスに描いた絵をスクリーンに映し出す「幻燈(げんとう)」や、箱の中の絵を弁士の語りと共に楽しむ「のぞきからくり」は、大勢で一つの物語を共有する、共同体の娯楽でした。一人静かに没入するステレオスコープとは対照的に、この賑やかで共有された物語体験こそが、日本の人々の心に響いたのです。

巨大スペクタクルの「パノラマ館」
明治23年、浅草に開業した「日本パノラマ館」は、360度の巨大な絵画と精巧なジオラマで、観客をまるで本物の戦場にいるかのような錯覚に陥らせました。この圧倒的な没入感と、大勢で興奮を分かち合う祝祭的な空間は、当時の人々にとって最高のエンターテイメントでした。

孤高の道を歩み始めた「魔法の箱」
結論として、ステレオスコープが日本で流行らなかったのは、文化が未熟だったからではありません。むしろ逆で、あまりにも豊かで成熟した視覚文化の「帝国」が、すでにこの国に存在していたからです。
経済性、体験の共有、物語性、そして文化的な親しみやすさ。その全てにおいて、既存のメディアはステレオスコープを圧倒していました。こうして、西洋の「テレビ」になる道を閉ざされたステレオスコープは、商業的な成功とは無縁の、ごく一部の愛好家たちの手の中で、静かに生き延びていくことになります。
しかし、物語はここで終わりません。表舞台から姿を消したこの「魔法の箱」が、この後、日本独自の創造的な文化をひっそりと花開かせていくことになるのです。第二部 継承に続く…

