完全考察『パストライブス』縁や運命をテーマに据える真の意図
🎬あらすじ
韓国で暮らす12歳のノラとヘソンはお互いに恋心を抱いていたが、両親の都合でノラは海外移住することになる。2人はうやむやのままに離れ離れになってしまう。
12年後、2人はネットを通じて再び出逢う。韓国と米国、遠く離れていたもののネットを通じて触れ合う時間に比例して距離も縮まっていきお互いに強く意識合っていった。
しかし相反する物理的な距離と心の距離は2人の間に歪みを生み出してしまい、2人を遠ざけてしまう。
それから更に12年後、36歳になったノラは結婚して夫とニューヨークで生活していた。そこにヘソンが12年越しに彼女の元に現れる…

🖋️解説
韓国と米国を舞台に、情景を感じさせつつ淑やかさ香る映像に交錯する繊細な感情を丁寧に重ね合わせた2024年に公開された大人のロマンス映画。
監督であるセリーヌ・ソンがニューヨークのバーで、アメリカ人の夫と韓国から訪れた幼なじみの間で通訳をしていた経験がそのまま再現されていて、この時に彼女が「自分の過去の人生と現在の人生の間で翻訳しているような感覚」を感じ、それが映画のきっかけになったとのこと。
海外に移住してしまった幼馴染みのノラへの想いは消えることなく、兵役中もヘソンの心に燻り続けていた。その気持ちが別れて12年後に2人を繋ぎとめるが遠く離れた距離が2人を別つことになってしまう。
互いに求めながらも譲れない環境に最初に根を上げたのはノラだったが、それは裏を返せばノラの想いのほうが強いことでもある。それに耐えきれず距離を置くという選択肢を選ぶ背景には、移住をして異文化というつらい孤独の中で積み上げてきたものを手放すことができなかった。
ヘソンにも同じく目標があり、互いに譲れない気持ちと物理的な距離が重い障害となって2人に伸し掛かっていく。

やがて2人は互いにパートナーを見つけることとなる。ノラは勿論、女性にとって時間は重要であり、それが必然的にタイミングという要素も高めていく。そんなときに出逢ったアーサーは最愛というより最適といったほうがしっくりくるのかもしれない。
でもヘソンの心にはノラの面影がずっと残り続けて、それがパートナーと離れる事情へと繋がっていく。ノラが結婚前に韓国に行ったときにヘソンが会おうとしなかった理由でもある。
一人っ子だから経済的に裕福でなければいけないとの言い分も結局のところ理由づけでしかなく、ノラの存在はそれほど大きいものであったからこそ、彼が渡米する意思を固めていった必然へと結ばれていく。
再会して話すうちにノラは予想していた通り、ヘソンの自分への想いがあることを確信する。遠回しに“あなたのように理想を追う人には結婚は難しい”と伝えるもヘソンには届いていない様子に表情は曇る。
そしてメリーゴーランドの前で12年前に連絡をくれた理由を問う。今はもう子供じゃないと
帰宅したノラにアーサーが彼に轢かれるか?と聞くと、彼から感じるのは郷愁に似た感情であって魅力ではないという。しかし24年の時を経て直に逢ったヘソンを語るノラの表情にアーサーは懸念を抱く、ノラ自身もまだ気付いていない感情を察していた。
ベッドでアーサーは2人の運命的な再会に弱音を吐く。自分以外の男性と出会っていた“if ”を探りはじめ、やがて自分が彼女を満たしているのかという疑問へとすり替わっていく。
そんな夫にノラは、ここが自分のいる“べき”場所であると伝えるが、アーサーには(客観的にそうなるのが当然である)という意味の“べき”が引っ掛かり問いかける。彼と同様に人生を豊かにしてくれる存在であるか問われたノラは勿論と返す、それは確かに事実だった。

アーサーは彼女のことを強く想い、深く愛していた。それが彼女を深く理解したいという気持ちを生み、韓国語を学ぼうとする姿勢にも繋がっていた。しかし深く理解したいという想いが、言葉の壁の先にある辿り着くことのできない場所を気付かせ、彼を不安にさせる。アーサーは必要以上に優しく大人であり過ぎていた。
次の日の夜、ヘソンと顔を合わせたアーサーは彼の隣で微笑むノラの表情に再び不安を覚える。訪れたバーでの会話の中でヘソンはノラが選んだ移住という選択肢を正しかったと受け入れる。このとき彼女の表情が少し固まったのは、自分のことを諦めた彼の気持ちに気付いたから。その後にヘソンが語る“もしもこうだったら”という話は、諦めたからこそのものでもあった。

そして「君は君だから 僕は好きだ」と素直な気持ちを伝え「君は去っていく人なんだ」と受け入れる。
自分たち2人の間には前世できっと何かあったが今の人生では結ばれるべき相手ではないと語るノラには自分の気持ち、ヘソンへの想いに自覚が芽生えていた。
ノラのいないカウンターでアーサーはヘソンに来てくれたことに感謝する。それは来てくれたことで妻の意思が固まったことに対して、そして身を引いてくれたことへの感謝だった。
青いシャッターの前でヘソンを見送るとき、来世の2人を聞かれたノラが“わからない”と優しく濁したのは、きっと来世でも結ばれることはないことを悟っていたから。それでも彼のために必死に押し殺してきた感情が見送ったあとに溢れだす。
ヘソンも“わからない”という答えに“そう思う”と同意したのは、彼もまたノラと同様に悟っていたから。そこまで深く互いに理解を深めながらも結ばれることのない2人、ラストシーンでクルマの窓から遠くを見つめるヘソンには、それでも決して消すことのできない想いは残り続ける…

🤔考察
12年という暦のような一定の周期で出逢う2人は運命的であり、公園でメリーゴーランドを背に会話する印象的なシーンは、それが再び巡り会うことの暗喩になっていて、恐らくそれが本作のポスタービジュアルにもなっている理由と思われる。
子供時代に2人が遊んでいた公園で、向かい合わせに2つの大きな顔の像にノラとヘソンがそれぞれの像に乗っているが、その中央を遮るかのような一本の木が挟まれている。

24歳のとき、ヘソンがロープウェイの景色を見せながらビデオ通話しているときにノラが“会いたい”といったときに途切れてしまった電波。
36歳のヘソンがノラに会いにNYへ到着したとき降った大雨。2人が再会した場所の背景にある壁画には背中合わせの2人の人物が描かれている。

そして2人が乗った地下鉄の車内、向き合う2人の間に挟まれる一本のポール。フェリーで2人で写真を撮るも間にある距離。

これら劇中で示されてきたその全ては、結ばれる運命を信じていながらも実際には逆方向に働いてしまっている皮肉を伝えている。子供時代の最後で2人がY字に分かれた別々の道も、再び交わることのない運命を示す隠喩。ラストシーンで再びその光景が挟まれる理由もそこにある。
2人の最初の出会いも描かれていないのも同じ理由で、結ばれる運命を描くのであれば運命的な出会いは必然的ともいえる。
再会した日に2人がそれぞれ帰宅して夜に寝静まったあと、灯火の消えるメリーゴーランドのカットが挟まれたのも、もう巡り会うことのない2人の運命を示唆している。

タイトル「Past Lives」の「前世」という意味が暗に示すのは先のない未来。この作品は運命や縁という理由でなければ説明できないほどの初恋への深く強い想いを胸にずっと抱きながらも、その運命は相反する方向へ影響してしまう切ない皮肉を描いている。

