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2026/03/29

続き


このたびつげ義春がお亡くなりになってから1つ気づいたのは、AI生成画像でドヤる人が皆無だということでした【ドヤれぬ者とはおれカネゴン】

それはもっともなことで、つげ義春の絵はAIで生成しても面白くも何ともならないからだと思います
たぶんやってみた人はたくさんいるのでしょうが、どうにもこうにもコレジャナイものしか出てこなくてすごすご引き返すしかなかったのでしょう

AIに限らず、すぐ生成できるものはすぐ飽きる、これは宇宙が熱死するまで変わらぬ真理でしょう

なおたった1つ、偶然の産物だと思うけど、以下のAI生成画像は奇跡のようにそれっぽいものを引き当てているのでございます

つげ義春が漫画人生において獲得した最大の特徴は「何度でも繰り返し見たくなる」ことにあるとカネゴン思います

彼の漫画を見たものは、ほぼ例外なく繰り返し繰り返し読みたくなり、そして半数近い人々がその絵を模写してみたくなり、またその半数近い人々はそれをもじったりパロディにしたくなるのでございます

そしてカネゴンは、つげ義春に限らず「なぜこれほど何度でも繰り返し見たくなるのか」が気になって仕方がないのです


もちろんつげ義春といえども、最初からそのような技を身につけていたわけではないのは明らかです

そして技といいつつも、これは絵を描く技術の問題ではないのです

あえていうなら「好かれる技術」
絵がどれほど緻密で手抜かりがなくて完成度が高くても、好かれなければおしまいです
一度読んで「ああ面白かった」で済まされ、二度と思い出してもらえなければ先行きは細る一方です
かといって愛想を振りまけば好かれるとも限りません
マイルス・デイビスがニコリともしないのにカワユク見えることからもわかるように、愛想と売れ行きは線形関係にないのです

つげ義春は便所部屋で苦悶したり人妻とのただれた逢瀬を反芻したりしながら、何とかして自分の漫画を「好かれる」ものにすべく、途方もない作業とフィードバックを繰り返してきたのでしょう

では何が「好かれる」のかといっても、それを測定する指標は、自分自身の中にしかありません
他人が示す指標など一切当てにできません

つげ義春は、せめて自分の好きなもの、好きだと思ったものを次々と漫画に投入してフィードバックを反映し続けるしかなかったのだろうと、そしてそれ以外のテクニカルなものを顧みる心の余裕などなかったのだろうとカネゴン思うことにしております


ところで、つげ義春について文学やら古典心理学やらを絡めてあーだこーだ語っている人が近年だいぶ減って嬉しい限りです
文芸コンプレックスや不正確な心理学にまみれた言説はカネゴンにとってすべてノイズにしかならないので、その種のものには一切近づかないようにしております

「ねじ式」の担当者だったとかいう高野慎三(権藤晋)が例のスパナ男を松本清張だと思いこんでいたという話を見て、文芸評論家はその程度のレベルであって欲しいと願うカネゴンは喝采を叫びました

逆に、漫画家さんたちが語るつげ義春は一つ残らず面白いと言っても言い過ぎではありません


カネゴンは専門家の話はどんな分野であっても大好きなのだけど、漫画家が語る他の人の漫画はカネゴンにとってまさに専門家の話のど真ん中です


そういえば、かつて「ねじ式」が浅野忠信主演で映画になってました
監督は石井輝男なのですが、つい「石井隆」「石井聰亙」と取り違えそうになってしまうカネゴンでした
全員映画監督でしかもカルト寄りの作風なので紛らわしいことおびただしい【前方一致のおれカネゴン】

この映画については、リリー・フランキーが自著の映画評で「長年のおびただしい疑問の数々の答え合わせをしているような気分になった」と評したのが最強で、つげ義春よりも映画よりも、この一文が圧勝でした

ほんとうにそうとしか言いようのない映画なのです


動くつげ義春はほぼ珍獣並みのレアさ加減でございます


まさかのちょろけん

ただしタイトルチューンの「噂の武士」にはちょろけんは影も形も登場しません


海外の反響


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