尊敬する人は誰ですか?私が迷わず「祖父」と答える理由
「尊敬する人は誰ですか?」
自分と向き合う中で、そんな問いを投げかけられることがある。
わたしはこの問いに、いつも迷わず「祖父」と答える。
でも、なぜわたしはそこまで祖父を尊敬しているのだろう。ふと、そんな疑問がよぎった。
そこで今日はこれについて深掘りしてみようと思う。
祖父が特別な存在になった理由
小さい頃、父方の祖父母と一緒に暮らしていた。いとこは男の子が多く、父方ではわたしだけ「女の子」だった。そのため祖父母からは可愛がられており、おじいちゃん・おばあちゃんっ子だった。
だが、わたしの母は祖父母との仲が悪かった。
おばあちゃんからは、よく母の愚痴を聞かされていたし、母と比べて褒められることも多かった。
幼いながらに「なぜお母さんが責められているんだろう」と感じつつも、それを何も言えない自分が嫌だったこと。
家族に気をつかっていたのは、今でも鮮明に覚えている。
さらに、母は祖父ともよく喧嘩をしていたらしい。というか、一方的に祖父が母に文句を言っていたようだけれど。それによって、物心つく頃には祖父母の家を出て、別居することになった。
でも、おばあちゃんとは違い、おじいちゃんはわたしに母の愚痴を言ってこなかった。むしろ「おじいちゃんって喧嘩するの!?」と信じられないくらい、いつもニコニコと笑顔で接してくれる人だった。
いつも笑顔で、人生を楽しむ祖父
祖父は鳶(とび)職をしており、役員や神社仕事の経験もあることから、地元では有名な人だった。現場では指導したり、場合によっては怒鳴る人だったが、孫のわたしには一度もその顔を見せたことはない。
むしろ、遊びに行くとよく楽しそうに話をしてくれた。
仕事で海外に行ったこと。家を運んだこと。木でストレッチ器具や鳥の巣を作ったこと。オレンジピールを作って「美味しいよ」と勧めてくれたこと。日記をマメにつける人だったこと。木彫りやピアノに挑戦して「すごいでしょう?」と自信満々だったこと。子どもの頃の戦争話。おばあちゃんが大好きなんだという話…
振り返ると、祖父は好奇心旺盛で、人生を楽しむ人だった。
明るくて、いつも楽しそうに話をしてくれる人。きっと「この人の人生は楽しいんだろうな」そんなふうに思えるほど。
初めて、自分の気持ちを受け止めてくれた人
小学校低学年の頃。わたしは誰に宣言せずとも「皆勤賞」をひっそり目指していた。
でもあるとき、体調を崩し学校へ行けなくなった日があった。
そのとき、母や祖母は「休みなさい」といった。その言葉に反抗するように「嫌だ行く!」と泣き叫んだのを覚えている。
自分で立てた目標が達成できなかったのが、悔しくて。
それでも母は聞いてくれなかった。休みなさい。もうお昼だから。そんなことをいっていたような気がする。祖母は「おばあちゃんとゆっくりしようか」そんなふうに声かけしてくれていたと思う。
そんな中、おじいちゃんだけはわたしの味方だった。
「学校に行きたいんだろう?おじいちゃんが乗せてってあげるから車に乗りなさい」
そう言って、一緒に学校へ行ってくれたのだ。
そのときわたしはすごく嬉しかったのを覚えている。自分の「行きたい」を受け入れてくれたこと。本音をわかってくれる人がいたこと。
あのとき、心がスッと軽くなったのを、今でも覚えている。
大好きな祖父との別れと後悔
わたしの家族は、比較的元気に長生きしている方だと思う。
父方の祖母と母方の祖父母は今でも健在だ。3人とも90歳を超えており、目や耳は遠くなっているものの、不自由なく暮らしている。
だが、先に述べた父方の祖父は7年前に亡くなっている。当時85歳だった。きっかけは心筋梗塞だったと思うが、手術もして、その年は入退院を繰り返していたと思う。
お見舞いに行った、病院でのおじいちゃんの様子は今でも忘れられない。思い出すと、今でも涙が出てくるほど。
理由は、いつものおじいちゃんの笑顔が、なくなってしまったから。
そして何より、そんな状態のおじいちゃんに「がんばれ」と言ってしまったことをわたしはずっと後悔している。もうすでに頑張っていたのに。他にもっとかけてあげるべき言葉はなかったのかーーと。
祖父に会ったのはその日が最後になった。
祖父への後悔から、自分と向き合う日々へ
人生において、あまり後悔をしないわたしだが、数年前、大好きな祖父に言ってしまった「がんばれ」という自分の言葉は、自分自身を長らく苦しめていた。
そして、この時期には実家で飼っていた大好きだった愛犬も亡くなり、心の傷はどんどん深くなっていた。
同様に「このままでいいのだろうか?」と会社に対する疑問も出てきた時期で、やりたいことやできることがわからない。キャリアの方向性も見失っていた。
その結果、うつ状態となり、それをきっかけに自分と向き合うことになる。そして自己理解で「尊敬する人は誰ですか?」という問いに出会うたび、おじいちゃんを思い出していた。
そこから小さな積み重ねを繰り返すうち、自分の軸を取り戻し、やりたいことに向かって進むようになった。
その後、念願の妊娠・出産を果たし、子育て環境を見直すため、東京から長野へ移住を決意。
そこで出会ったのがある占い師さんだった。
自分を責めることを終わらせてくれた出来事
移住したての頃、コワーキングスペースのカフェの経営者から誘いを受け、カフェデザインを請け負っていた時期がある。
そのときにキッチンで働いている方が、兼業で占いをしている人だった。
その人に初めて会ったとき、こう言われたのだ。
「おじいさんかおばあさん、亡くなっている?」と。
わたしは「はい、祖父が数年前に。大好きだったんです」そう答えると、その方は続けた。
「やっぱり。なんか、おじいさんが『大丈夫だよ』って言ってる気がして」
わたしは鳥肌がたった。涙が止まらなかった。
きっと自分を責めるわたしを見て、おじいちゃんが元気づけてくれたのかなと、純粋にそう思った。
書いてみると、なんだか怪しげな話に聞こえてくる(笑)わたしはあまり占いを信じないので、尚更おかしくなる。
でもこの時、わたしは初めて自分を責めるのを、止められた気がしたのだ。
尊敬する人に近づいているのかも
このエピソードから、感じたことがある。それは「尊敬する人(わたしの場合は祖父)」の背中を追っているのではないか、ということだ。
わたしは今「心をほどくキャリアコーチ」として、やりたいことがわからない人や、人生やキャリアの方向性に悩む方に向けて、コーチングを提供している。
そこで「自分は人に相談するのは苦手だけど、はちさんだとなんでも話せてしまいます」「ここまで本音で話せたのは初めてです。スッキリしました!」という言葉をよくいただく。
すると自然と「自分を責めなくなった」「生きやすくなった」「心がラクになった」「自分らしい軸がみつかった」という内面の変化が多い。その結果、「転職を決意できた」「副業や起業を始められた」「ここで続けてみる決意ができた」という外側の変化も起きる。
こうした報告を聞いていて感じるのは、わたしが昔、祖父にしてもらっていたことを、無意識にしているのかな、ということだ。
「本音を受け入れてくれること」「いつも味方でいてくれること」「笑顔で接してくれていること」「楽しそうな人生を送っていること」
どれも、わたしが大好きな「おじいちゃん」ではないか。
もしかしたらわたしは、祖父の背中を追いかけているのではなく、祖父から受け取ったものを次の誰かへ渡しているのかもしれない。
そう思ったら、なんだか嬉しくなった。

