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新宿梁山泊第79回公演 <唐十郎初期作品連続上演> 『愛の乞食』『アリババ』新宿 花園神社/紫テントに立つ、拐かす担い手・安田章大と役者たち①『アリババ』

※本記事は、テント版の『愛の乞食』『アリババ』の記事であり、Bunkamura Production 2025『アリババ』『愛の乞食』(全編関西弁)公演の芝居や演出等への所感とは異なります。
※本記事では①として『アリババ』について記しています。②では『愛の乞食』について記します。


「アングラと呼ばれる世界、そして華々しいアイドルと呼ばれる世界。その二つが手を取り合うという素敵なムーブメントが作れたらと思っておりますので、是非これからも何卒、力を貸してくださいませ。唐ワールド、そして、ジャニーズも何卒宜しくお願いします」

2023年8月6日、Bunkamura主催舞台『少女都市からの呼び声』千穐楽公演のカーテンコールにて、主演の安田章大が力強く語った言葉である。

この日本この世界で、その時、彼が“ジャニーズ”にいて、アングラと呼ばれる世界の演目で芝居を魅せることに、彼自身が強い希望と重い責任を感じ抱いているのだとダイレクトに伝わってくる挨拶だった。
担い手・伝い手として、今とこれからもを生きる覚悟を宿した瞳、眼だった。

あれから2年経ち、彼が所属していた事務所は解体され、所属するグループも改名をした。そんな中でグループはデビュー20周年という節目を迎え、アリーナツアーやドームツアーを回り切った。そしてデビューから21年目の2025年3月14日に、その報せは公に放たれた。

【テント公演 新宿梁山泊 第79回公演 唐十郎初期作品連続上演『愛の乞食』『アリババ』主演、安田章大】

テント公演に、安田章大が出演する。
その日がいつか訪れることは、あのカーテンコールの言葉を聴いた日から、わかっていた。予感より確信だった。

彼を取り巻く環境は変わっただろうし、そうでなくても彼は刻一刻と進化や変化しているように感じる。ただ、役者としての彼を通してその人柄や生き様を見てきたが、根底や根本は変わらないように思う。燃え滾る希望やひんやりと鞏固な責任は、ずっと彼の中に息衝いていただろう。
しかしながら、現実問題で彼はスーパーアイドルである。ドームやスタジアムといった数万人規模の会場を埋める。その人気やファンの性質を考えると、3年以上は先では、と考えていた。
それが、思っていたよりもずっと早く現実となった。

とはいえ、近年の新宿梁山泊の活動を見ると納得のタイミングでもあるかもしれない。
昨年2024年6月には、中村勘九郎氏、豊川悦司氏、寺島しのぶ氏といった豪華キャストをゲストに迎えて『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』が上演された。この作品は、第32回 読売演劇大賞の最優秀作品賞を受賞、主演の中村勘九郎氏は優秀男優賞を受賞した。
また、第59回 紀伊國屋演劇賞にて新宿梁山泊は団体賞を受賞した。
唐十郎の戯曲やテント芝居を、話題性の高いエンターテインメント演劇として令和の現代に発信し注目を集めている。
それについての賛否などは置いておき、“ノっている”と言っていい。新宿梁山泊も、安田章大も、旬な今やるということに、劇団と本人、そしてあらゆる関係者の“繋ぐ”本気が窺えた。
観客は肩肘張らずに観に来てと、心のままに、と、安田章大は言うかもしれないけれども、こちらも本気で臨まねばならないと心した。五感および第六感的なものも含めすべてで。


2025年6月14日。
初日。

普段のテント公演とは異なる客層。
コンサート気分なのかぬいぐるみや写真をかざして安田章大の幟の写真を撮るファンたち。
外国人観光客が、一体何の催しかと参道を歩きながら眺めていく。
新宿梁山泊の劇団員たちが声を張りテキパキと整列を促し、注意事項を説明する。
蚊が活発に舞う、湿った空気、雨が降ってきた。じっとりと暑い。6月だがもう夏だ。

テントの中は、土の匂いと蚊取り線香の香りで満たされ、今回の公演のために新たに導入されたクーラーが稼働する。劇団員たちがパンフレットやグッズの紹介をしてその場で売る。元気だ。気合いが伝わる。都会の喧騒は、布を隔てたすぐそこに在る。
期待と、心して観るという神妙な意思。この時がついにきたという高揚、必然や運命のような得心。


開演。
先に『アリババ』が上演される。

安田氏演じる宿六は、黒い馬を追い求めている。
宿六の妻である貧子はWキャストで、6月14日〜23日は本間美彩が、6月26日〜7月6日は寺田結美が演じる。

造花の内職をする女・貧子の傍らで、赤い地球儀をうっとりと廻しながら、なにやら空想に耽っている男・宿六。
心は別のところにあるかのような、とろりとした目。かと思えば、鋭い眼光で黒い馬を熱望し、回想で雨の中を走り出す。狭く覆われたテント内が、長い長い高速道路と化し、降りしきる雨の中スピードを上げて走る宿六。
その時、その場所はテントではなかった、嘘ではない、彼は確かに高速道路を走り、雨と汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡れながら、それでもなお黒い馬を追い求め駆けていく。目の前で、確かに。
宿六が歌いながらしなやかに軽く舞う。それなのにどっしりとした存在感と心地良い威圧感。手も足も全身が無駄なく俊敏に動く。それでいて一挙手一投足が目に留まり心に刺さる。決まった型ではない、しかし思い付きでもない。
寝転がり天を仰いだかと思えばすぐさま起き上がり雨の軌道のように掌を揺らす。己の足の裏を撫で靴を遠くに投げ捨てるように舞い踊る。「あばよ」と伸びやかに歌い高く上げた脚を左右に振る。
安田章大という役者の肉体が、宿六として語っている。あぁ、これが唐十郎が論じた“特権的肉体”ではないか。

宿六はイノセントだ。
貧子に性的に迫られても押しのけ、卑俗な想像をしてしまうようななぞなぞを出されても、「…知らない」とぶっきらぼうに答える。貧子が宿六と2人の会話で淫猥さを出すが、宿六は毎度交わし黒い馬に夢中だ。
また、見ず知らずの中年女性・北千住に住む小島キクが交通事故で車に轢かれて死んだ現場を目撃し、“ミドリのおばさんだ”と眺める群衆に苛立ち、「自分のおっかさんならどんな気持ちがする!」と感情移入して怒りや哀しみを爆発させる。
そのイノセントさに、“演技”がない。もちろん芝居である。戯曲があり台本がある。安田氏は宿六役を仕事として担っているのだが、“演じている”という感じが一切ない。本人に似ているとか素だとかいう意味ではない。憑依だのというつもりもない(筆者は、安田氏を憑依型の役者だと思ったことは一度もない)。ただ、演じるという域を超えて、彼は瞬間瞬間で己の全身を通して宿六という役の言葉や動きを、決まった型に嵌めることなく何の嘘もなく発していた。
用意をしていないということではない。むしろ逆で、しっかりとした知識の蓄積や、経験から培った卓越した感覚、準備や稽古の積み重ねの土台がなければ、その瞬間の瞬発力で表現しきるなどできないことである。彼がどれだけの学びと努力を継続してきたか、それは途方もない。
狭く古いマッチ箱のような家の中、高速道路から街の中、交通事故の現場、ブランコが揺れる公園と、宿六の回想で場面は疾走するように変わる。
彼は観客を連れ去るように、導くように、時に置いてけぼりにするように、どこまでも夢を追う。


本間美彩による貧子は、姉さん女房感があり、彼女自身は細く華奢ながら母性も感じられる。
旦那の宿六はやわらかさや可愛らしさがあり、尻に敷かれている感じが見て取れる。
テント中に宿六のうんこ(そう、文字通り、人糞のうんこ。もちろん紙と絵の具でできた小道具ではあるが)を投げる観客巻き込み型シーンの後、グッと変わる空気と台詞回しがいい。貧子は宿六に、「死にたいくらい泣いた?」とサッパリと訊く。本間氏自身もこの台詞がお気に入りだそうだ。
貧子に膝枕されながら話すシーン、宿六の「女の子。おれ、女の子。女の子…」という甘え方が印象的で、話を聴く貧子の3回の「それから?」の言い方もよかった。

公園のブランコに乗る小島キクを目にした宿六が、その光景を貧子に話すシーンの安田氏の芝居がまた胸に迫り息をのんだ。
うんこを投げるシーンで陽に発散したエネルギーが、貧子とのやりとりでグッとやわらかにセンシティブに変わり、さらに陰のエネルギーが観客を蝕むように覆う。いずれも生のヒリヒリとしたエナジーとして蠢き肌を撫でまわす。
花道を通りテント内中央まで歩き、「それだけだと思う?」と問いかける宿六。その声と表情の悲痛さとやるせなさに、呼吸も忘れる。


捨て子拾いの老人を演じるのが、柴野航輝。
最初に舞台下手の箪笥から、次に舞台中央の押入れから登場する瞬間で客を沸かす。二度目の登場の際、老人の歌が何処からともなく聴こえて宿六が子供のようにパァッと顔を輝かせ箪笥を開ける(しかし、いない)と同時に、老人がストン!と押し入れの襖を開ける。この奇妙なコミカルさが愉快だ。
テント版『愛の乞食/アリババ』の公演内で、最も安定した芝居を見せていたのは柴野氏だったと感じる。
下北沢スズナリでの『少女都市からの呼び声』若衆版でも思ったが、声がとてもいい。声の出し方や滑舌、語尾や緩急の感じにブレがない。相当の練習をしたことがわかる。作り込んできたなという印象だが、彼の老人に関して言えばむしろそこがよかった。決まったことしかやらない・できないという意味ではなく、安田氏の宿六と、本間氏(後半は寺田氏)の貧子とだからこその“型”として、彼自身が構築した老人像とそれを毎公演やりきる覚悟が、きちんと世界観を作り、作品の安定感そのものとなっていた。戯曲や台詞を重んじる意志も伝わった。どこかコミカルであり狂気的であり、しかし彼は現代的なお笑いには一切振らない。一触即発のような、触れてはならない奇妙さを常に孕んだ老人の立ち居振る舞いと雰囲気が、テントの空気感とよくマッチしていた。
柴野氏は、新宿梁山泊を担う若き看板役者といえるのではなかろうか。


ブランコが登場し、貧子が乗り老人が押す。このシーンでの三者の芝居がそれぞれ見応えがあった。

「楽ちんよ」とブランコを漕ぎ出す貧子に、なぞなぞを出す老人。そして蓋をしていた記憶が引き摺り出される。
老人が貧子の背中を強く押し、貧子がブランコから落ちて置かれた地球儀にぶつかり倒れ込む。本間氏のこの倒れ方に手加減がなく、自ら容赦無く前に転び地球儀を手で倒す(彼女が貧子を演じた8公演全てでそうであった)。本当に怪我をする一歩手前で毎公演挑む動きは、本間氏の並々ならぬ心意気が表れていた。

柴野氏の老人の、なぞなぞを出し語りながらどんどん怒りや呆れや軽蔑が表層に出て紛糾となり、言葉や押す力に激しさが増す様も緊張感を高める。
貧子がブランコから落ちたことでハッとしまた空気や口調が変わり、目から流す赤い涙のような血をべろりと舐めとる動きも巧かった。そして老人もまた親に捨てられた寂しさに満ちていた過去が覗く。

この貧子と老人のやりとりが中心であるブランコのシーン、安田氏の宿六もまた見ものであった。
彼は空想の中に入り込んだように虚ろな目でありながら、きっと頭の中では一貫して一途に馬を思い浮かべ夢がパレードのように繰り広げられていることがわかる。ぽうっとした心ここに在らずな様子だが、表情や指先はゆっくりと動き、だが脳内では目まぐるしく世界が展開していることが伝わる。彼の台詞は一切ない。
なんという芝居か。
彼の内側と外側に巡る時のスピードが違うことを、一言の台詞もなくなぜこんなにも表せるのか。驚愕するほどの表現力である。


宿六と貧子の家に、黒い馬と児たち、そして堕胎の掻爬の後に隅田川へ流した宿六と貧子の子供・英子がやってくる。
新宿梁山泊の役者たち16名が揃い踏みである。
いつかどこかで堕胎された児ら、捨てられた児らが、母や父を慕い、憎み、愛し、恨み、甘え、脅す。
本間氏演じる貧子が「ごめん」と絞り出すように言った瞬間、安田氏演じる宿六の目にぶぁっと涙が溜まった。


造花を手にして宿六を見据えながら歌う女性陣の児ら。
安田氏演じる宿六は、怯えとも少しの見とれとも取れるように、ただ集中してその様を見つめながら、テント中央の花道を尻もちをついたまま後ずさる。
前列下手側花道横の客との距離はほとんどない。シャワーを浴びたのかと思うほどの汗で色が濃く変わっている宿六の服越しに、安田氏の横隔膜が上下する。緊迫した空気と、匂い立つほどの魂と身体の輪郭。

赤い馬が姿を現し、ヴェールを被った英子が顔を見せる。
厳粛な、母と子の対面。

英子はトリプルキャストで、
6月14日から6月21日は河西茉祐、
6月22日から6月29日は染谷知里、
6月30日から7月6日は紅日毬子が演じる。

初日は河西茉祐による英子だ。
臍の緒か血管を通る血か、赤い紐を使った動きで観客の目を惹きつける。ハキハキとした発声に、堕胎の掻爬や女の母胎について語りながらも敢えてあっけらかんとしたアニメキャラクターのような喋りと動きがよかった。
そこから、老人に抱えられて二本足で立ち、貧子の元へとよたよたと歩く無垢な表情も赤ん坊に見えた。

貧子は甘える英子と児たちに囲まれて幸せそうだが、冒頭から黒い馬を思い浮かべて夢見心地だった宿六は逆にやるせない表情を見せる。
なにが夢でなにが現実か、なにが真実でなにが虚構か、境界線が曖昧で、それでいて観客も常にそれらすべてを突き付けられているような気になる。

「俺の知ったことか!」と叫び、花道を駈けてテント中央まで歩いてきた老人に体当たりするように、錆びついたナイフ、“ユリシミーズ”を突き刺す。
刹那、安田氏の汗が近くの観客に飛び散る。花道にも彼の足裏の汗の跡。テント芝居ならではの臨場感。金縛りに遭ったように身動きが取れず瞬きも忘れる。

ラスト、目から血を流したまま、地球儀をあやすように抱く貧子。宿六と一度目を合わせ、哀しくほんのわずか微笑む。
地球儀に脚をかけて、観客に晒した自らの足裏に刃を突き立てる宿六。
宿六が声を上げる。物理的な痛みによる叫びもあれど、もっと別の、彼の、人間としての、男としての、父親としての、動物としての、生や性の魂の叫喚。
幕が降りる。
なんという凄まじい戯曲を、作品を、芝居を観てしまった、いや体感し共鳴してしまったのかと、心臓が逸っていた。
目ではない身体から、涙が流れ出るのではないかと思うほどだった。


2025年6月26日。
折り返し。

この日の公演より、Wキャストである『アリババ』の貧子役を、本間美彩から替わり、寺田結美が演じる。

貧子が替わったことで、宿六の芝居が変わっており、あらためて打撃を受けた。
動きも表情も人柄も空気感も変わっており、寺田氏による貧子とだからこその宿六だった。
本間氏の貧子には姉さん女房感があり母性も感じられたので、その旦那の宿六はやわらかさや甘ったるさがあり尻に敷かれている感じがあった。
寺田氏の貧子は、品があるのと、母性より女という感じが強めで、その旦那の宿六は男性的な荒々しさや若干の尖りがある印象であった。

本間美彩と寺田結美、それぞれの貧子をより際立たせるための宿六の芝居を安田章大は考えているのだ。それぞれの貧子に合わせた別世界線の宿六なのだ。
発するエネルギーの本質は変わらずとも。

安田章大は、彼らしいエネルギー迸る芝居をこれでもかというほどに見せながらも、しっかりとテントの世界の住人であった。
しかし、ただ“馴染んでいる”とも、また違う。そこに彼がいることに違和感はないのに、煌々とした眩しい光と息を呑むような深い闇、泥臭い匂い立つ色香と清らかなまでの純真さ、炎に包まれるような熱さと刺すほどに鋭い冷たさ、全てが生々しい手触りで圧倒的に息衝いて、彼のための“この世”だと錯覚した。

唐十郎はかつて語っていた。
「観客は拐かされたいのだ」と。

安田章大はまごうことなき、唐十郎の作品と世界を後世に伝え残す担い手である。
そして、我々観客をこの世から連れ去る、もしくは、この世ごと拐かすような役者なのだ。

あぁ、彼にどこまでも拐かされたい。
そう求め、私もまた、高速道路を裸足で走っている。


②『愛の乞食』へと続く。


■Information / archive

新宿梁山泊 第79回公演【唐十郎初期作品連続上演】
『愛の乞食』『アリババ』

【会場】
花園神社境内特設紫テント

【公演日程】
2025年6月14日(土)〜7月6日(日)
毎公演 開場18:30、開演19:00
※火曜日:休演日 水曜日:若衆公演

【料金】
一般指定席 前売8,000円 当日8,500円
桟敷自由席 前売4,500円 当日5,000円
U25(桟敷自由席、限定数) 前売、当日ともに2,500円
※桟敷自由席は整理番号つき

【キャスト】
安田章大、金守珍、水嶋カンナ、藤田佳昭、二條正士、宮澤寿、柴野航輝、荒澤守、宮崎卓真、原佑宜、寺田結美、若林美保、紅日毬子、染谷知里、諸治蘭、本間美彩、河西茉祐、芳田遥、町本絵里、森岡朋奈、とくながのぶひこ

◇貧子:ダブルキャスト
本間美彩:6/14(土)〜6/23(月)
寺田結美:6/26(木)〜7/6(日)

◇英子:トリプルキャスト
河西茉祐:6/14(土)〜6/21(土)
染谷知里:6/22(日)〜6/29(日)
紅日毬子:6/30(月)〜7/6(日)

【脚本】
唐十郎
【演出】
金守珍

【公式HP】
https://s-ryozanpaku.com/79_-alibaba.html

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