手話が表す内側の世界|ひかり
2年ほど前から手話の勉強を始めている。
手話を習い始めたきっかけは、家の近くで手話教室の張り紙を見つけたことだった。
張り紙を見た瞬間に、「あっ。そういえば過去に手話を習ってみたいと思ったことがあったな」と、すっかり忘れていた気持ちを急に思い出した。
事前申込み不要、指定の日時に来れば参加可能という気軽さに押され、教室の門を開いたのが始まりだ。
教室初日の自己紹介で、名前となぜ手話を学び始めようと思ったのかを話してくださいと言われ、少し困ってしまった。
過去に手話を学びたいと思った時、その気持ちに動機というものはほとんどなかった。
突発的に「手話」と思ったのだったように記憶している。
それと、ある時何気なくスクロールしていた写真の中に見つけた祖父の手が、自分の手と瓜二つだったのに気づき、なんだか繋がりが愛おしく感じられ、手が大切なパーツの一つになっていたことも手伝ったかもしれない。
自己紹介では、気持ちを言葉でなく、手で表すことに興味があると、そのままなことを答えた。
教室は週に一回、小学生〜60代の方まで集まり、仕事で必要な場面があるから、友達に耳が聞こえない子がいるから、など様々な思いで参加されている。
手話にも世界各国の表し方があるようで、当然私たちは日本の手話を学ぶのだが、それでも新しい言語を覚えていくような感覚だった。
普段使っている言葉の感覚から連想される手話表現もあれば、全く新しい感覚の表現もある。
例えば、ほっとした時には胸に手を置いたりするが、「安心」の手話表現は両手で胸を撫で下すようにする。
日常でも自然に表れる表現であると思う。
新しい感覚の手話の例を上げると、「感動」は手を蕾のような形にして、頬の横からひねりあげていく。
へぇと思うが、実際に手を動かしてみると、心動いた瞬間に魂が震えるように昂っていく感覚がイメージされ、私が感動している時、体の中ではこんなことが起こっていたんだ!と逆に言語化される体験をした。
教室に講師として来てくださるろう者の方の手話表現はやっぱり凄く、生き物を表す時などは憑依しているかのようだし、日常のお話をされる時などでも、リズムや動きの妙によってその状況がありありと想像され、お腹の底から笑いが込み上げてくる。
手話は耳の聞こえない方のコミュニケーションツールの一つであるが、なんだか近頃はそれだけではないように感じ始めている。
手話は魂が感じていることを表現できるもので、聞こえない人も聞こえる人も関係なく、体の内側のことを共有し合えるツールでもあるのかもしれない。
そんなことを思い、新しい世界が開かれ始めた今、これから学びを深めていけることがとても楽しみである。
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