馬は走る、花は咲く、人は書く、私は私になりたいが為に書き続ける
馬は走る。花は咲く。人は書く。
自分自身になりたいが為に。
私はなぜこんなにもなって書いているのだろう。
深夜、部屋の灯りだけが生き残って、世界の音がやっと遠のく時間。机の上には冷めた飲み物と、指先に残った仕事の疲れと、まだ片付かない心の散らかり。スマホも伏せた。
私は、正しくなるために書いてるわけじゃない。強くなるためでも、褒められるためでもない。もちろん、そういう瞬間が来たら嬉しい。けれどその瞬間は、ガラスケースの中で輝く最高級のワインのようなもの。
誰もが羨み、語り、値札を見るだけで竦む。実際に口にできる人はほんの一握りの高根の花。私には永遠に眺めるだけ。
なら、どうして書くのだろう。
私は、私のままで世界に触れるのが怖いのだと思う。何も言葉にしないまま世界を歩くと、すぐに他人の声に削られる。職場の正解、世間の正義、効率の理想、愛の証明。それらは、社会で生きるための技術で、私もそれなりにやっている。でも、それらの正しさを鵜吞みにすると、呼吸ができなくなる。どこか苦しくて、どこが痛くて、それが一番怖い。
私にとって書くことは、自分の好きを世界に伝えるひとつの手法だ。いや、仰々しい。好きって気持ちは馬鹿じゃない、っていう程度。だって、知ってるんだ。私なんかが、誰かの世界を変えることなんてできないことを。
でも、思うんだ。世界を変えられなくても、その端っこにせめて思想を置いておきたい、と。誰かの人生なんて救えない。医者でも、政治家でも、魔法使いでもない。エゴでも、自己満足でも良い。書きたいから、書いておく。
評価されたい、読まれたい、刺さったと言われたい、わかると頷かれたい、選ばれたい、バズりたい、スキが欲しい、コメントが欲しい、文章がスキだと言って欲しい、名前を憶えて欲しい、賞が欲しい、結果が欲しい、仕事にしたい、作家として飯が食いたい。
欲望は限りを知らない。欲望にどれだけ賞賛を注いでも、完全に満たされる日は来ないんだ。なぜなら、欲しいのは数字ではなく、証明だから。
私はここにいる。私の世界には意味がある。私の痛みは無駄じゃない。私が私でいることは間違いではない。その証が欲しい。だから書くのだ。
馬が走り、花が散っても書く。
たった一行でいい。私はここにいる、と。一行を残すんだ。
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