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今の祭り #アマノ文筆クラブ

「後の祭り」という言葉があるけれど、たぶん私の人生は、その連続だった。欲しいと思ったときには、もう売り切れ。手を伸ばそうとしたときには、もう終わってる。そして、言おうと思ったときには、もう遅い。

 例えば、隣の席の彼が、もうすぐ引っ越すって知ったときも。

 六月の終わり、帰りの会。いつもみたいに帰り支度をしていたら、先生が言った。
「えー、突然だか彼は、お父さんのお仕事の都合で遠くに引っ越すことになりました」
 その瞬間、教室がざわっとした。
「えー! マジで!?」
「うそ、やだ〜!」
「どこ行くんだよー!」
 みんなの声が飛ぶ中で、私だけちょっと遅れて心の中で叫んだ。
(ちょっと待って、その話、聞いてない)
 当の本人は、いつもの落ち着いた笑顔で立ち上がる。
「急な話で、僕自身もびっくりしていますけれど……。夏休みのあいだは、まだここで過ごせますから。どうぞよろしくお願いします」
 よろしくされる前から、もうだいぶ好きなんだよ、こっちは。彼は、整った顔立ちで、ピカピカに光る靴を履いていて、家にはお手伝いさんがいて、玄関が二つあって、ピアノは自動で勝手に弾いてくれるらしい(本人談)いわゆる、庶民代表の私からすると、別世界の王子様みたいなやつである。その王子が、いなくなる。夏休みが終わったら、同じ教室から、同じ席から、スッといなくなる。さすがに、それは「後の祭り」じゃ済まない。
 そう思ったくせに、私はその日も、何も言えないまま家に帰った。布団の上でジタバタしながら、ようやく思ったのだ。なんとか、するべきだ、と。

 月日はあっという間に経ち、夏祭りの日はやってきた。七月の終わり。夕方の空はまだ明るくて、でも神社の参道には、もう赤い提灯が灯り始めている。焼きそば、たこ焼き、かき氷、りんご飴……と、屋台の匂いが混ざって、お腹がすごく忙しい。
「おーい、こっちこっち!」
 石段の下で、クラスメイトたちが手を振っていた。浴衣の子もいれば、いつも通りのTシャツ短パンの子もいる。その中に、白地に紺の浴衣を着た彼を見つけた瞬間、心臓が一拍、変なリズムを刻んだ。
(何その似合い方。反則でしょ)
「やぁ、来てくれてよかった。浴衣、似合ってるね」
 こっちは、ばあちゃんが押し入れから発掘してきた、昔の花柄浴衣である。帯がちょっと曲がってる気がして、さっきからずっと気になっている。
「あ、あんまり見ないでよ。シワとか見えるから……」
「シワも含めて、味わい深いです」
「褒めてるようで褒めてない!」
 そんなふうに騒いでいるうちに、あたりはすごい人混みになっていた。みんなでわーっと神社の中に入っていって、わーっとはしゃいで、わーっと散った。気づいたら、友達はみんな、それぞれ別のグループと合流していなくなっていて残ったのは、私と彼だけだった。人の流れから外れた、ちょっと暗い参道の端っこ。提灯の光が、彼の横顔をオレンジ色に染める。
「……あれ? みんなは?」
「どうやら、置いて行かれてしまったみたいだね」
「裏切り者! 置いてくなんて……」
 毒づきながらも、どこか嬉しく思う自分がいた。だって、これはつまり、チャンスというやつでは、ないだろうか。
「せっかくだから、回ろうか」
 彼が、すっと差し出した手は、いつもノートをきれいにまとめている人の手だった。指が長くて、爪の形まで整っていて、なんかこう、庶民の私とはレベルが違う。その手が私のほうに向いている。
「……うん。じゃあ、案内してあげるよ。ここは庭みたいなものだから」
「これは心強い。では、今日はガイドさんに全て任せましょう」
 そうして、私たちの「二人だけの夏祭り」が始まった。
 まずは、たこ焼き。次に、焼きそば。その次に、わたあめ、りんご飴。
「ちょっと、買いすぎじゃない?」
「お祭りのときくらい、気にしない。ほら、これも」
 はい、と渡されたかき氷。どう考えても、一人分ではない。
「いや、確かに私は食いしん坊だけどさ、さすがにこんなに食べ切れなきよ」
「では、僕も手伝いますよ。シェアしよう」
「……てか、もしかして私を太らせて遠くに置いていくつもり?」
「そんな七面倒くさい作戦は立てません」
 くすっと笑う横顔を見て、胸がきゅっとなる。この人のこういう何気ない笑い方を、たぶんもうすぐ、簡単には見られなくなるのだ。それが寂しい。
 金魚すくいの前では、逆に私が得意げになった。
「見ててよ。これだけはプロ級だから」
「プロ級金魚すくい……?」
 紙のポイを受け取り、水槽をじっとのぞき込む。目星をつけた金魚をひょい、とすくい上げる。つもりが、
「……あれ?」
 紙が、一瞬でぺろりと破れた。
「今、ものすごく見事に破れたね」
「うるさい」
 二回目。三回目。結果、ポイは三枚とも一瞬で散った。
「……おかしいな、去年はもっとすくえた気がするんだけど」
「去年よりすくえないんじゃなくて、去年より金魚の方がきみに見とれて、よく動くようになったんじゃないかな」
「なにその意味不明な仮説」
 店のおじさんが苦笑いしながら「おまけな」と言って、ちっちゃい金魚を一匹くれた。ビニール袋の中で、オレンジ色の尾びれがひらひら揺れている。それを、彼と二人で、しばらく無言で眺めていた。言葉にできない何かが、この小さな袋の中に詰まっているみたいだった。ふと、彼が口を開く。
「……来年も夏祭り、あるよね」
「まぁ、毎年やってるしね」
「僕は来られるかな……」
 参道のざわめきが、急に遠くなった気がした。太鼓の音も、屋台の呼び込みの声も、全部、ほんの少しだけ遠ざかる。
「……そう、だね」
「きっと、そのころには、君はこの金魚のことも忘れて、別の誰かとここを歩いているだろうな」
「勝手に切ないモノローグにしないでよ」
 冗談めかして言うけれど、胸の真ん中に、じわりと重たいものが広がっていく。彼が、小さく息を吐いた。
「だからかな。今こうして歩いている時間が、すごく特別に感じる。話せなかったらきっと、終わったあとに『あのときもっと話せばよかった』って思うのだろう。そう――」 
 そこで、彼は言葉を切った。そして、私のほうを見て、少しだけ笑う。
「――後の祭りってやつだね」
 そのとき、空が一瞬、白く光った。ドン、と、お腹に響くような音。大きな花火が、夜空に咲いた。赤、青、金。破裂して、広がって、消えていく。それを何度も繰り返すたびに、私の心臓も、どんどん忙しくなっていく。
「……わ、花火始まったね、こっちで見よう」
 私は、彼の言葉を誤魔化すように花火を見上げた。どうするの私。何を言うの。どこから言うの。でも、そうやって悩んでいるあいだにも、花火は容赦なく上がり続ける。この夜だって、一秒ごとに「今」を通過して、「後の祭り」に変わっていく。
(やだ。やだやだやだ!)
 自分でも驚くくらい、心の中で駄々をこねた。そして、気づいたら、口が勝手に動いていた。「……ねえ」
 ドーン、と、タイミングよく花火が上がる。音が大きすぎて、自分の声が空気に飲まれた気がした。それでも、私は続ける。
「聞こえなくてもいいから、言うね」
 自分の膝の上で、ぎゅっと手を握る。視線は空に向けたまま、花火の光が頬を照らしたり、暗くしたりする。
「今日、一緒に回ってくれて、ありがとう。すっごく楽しかった。たこ焼きも、焼きそばも、金魚も、全部、今日のこと、たぶん一生忘れないと思う」
 言いながら、喉の奥が熱くなっていく。花火の音が、ドン、ドン、と、容赦なく被さってくる。それでも、最後の一歩だけは、飲み込まなかった。
「……でもね、一番忘れたくないのは、あなたと一緒に笑った、今で」
 ぐっと息を吸う。
「だから、その……」
 次の花火が、空いっぱいに広がった瞬間、私は言った。
「好き……!」
 叫んだ。でも彼からの反応は無い。確かに、叫んだというほど大きな声ではなかった。むしろ、自分でも驚くほど小さな声だったかもしれない。花火の音にかき消されていたのだろう。本当は、ちゃんと聞こえてほしかった。本当は、この瞬間だけは、「後の祭り」にしたくなかった。でも、彼の顔なんか見れなかった。
 しばらくして、ふっと音が途切れた。一発と一発のあいだの、ほんの短い静寂。その隙間を縫うみたいにして、隣から声が落ちてきた。
「……ずるい」
 横を向くと、彼が、少しうつむいた。耳まで赤くなっていて、普段の王子様のような彼からは想像も出来ない顔。
「花火の音に紛れて言うなんて」
「えっ……聞こえてたの?」
「ええ。残念ながら、はっきりと」
 心臓が、また変なリズムを刻む。
「そ、それならなんで黙ったままなの? 恥ずかしいじゃん!」
「だって、君がずるいから」
「何がずるいのよ!」
 私がそう言うと、彼はまっすぐこちらを見た。その目が、花火よりもまぶしく感じる。
「本当は僕が先に言いたかった……」
 花火が、またひとつ、夜空で咲いた。光に縁取られた横顔が、すごく大人びて見える。
「僕も、あなたのことが好きです」
 それは、いつもの丁寧な言い方なのに、どこかちょっとだけ崩れていて。だからこそ、嘘じゃないんだ、と、胸の奥で分かった。
 ドン、と、お腹に響く音。光の粒が、ぱらぱらと夜空から降ってくるみたいに散っていく。私はその光の下で、隣にいる彼の横顔を、ずっと見ていた。来年の夏祭りのことも、その先のことも、まだ分からない。でも、この瞬間だけは、ちゃんと「今」のうちに掴めたから。それだけで、今年の夏は、もう十分すぎるくらいの祭りだった。

 後の祭りなんて、もういらない。今日は、ちゃんと「今の祭り」となったのだ。






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