感じることを、手放さない。
日本を出ることは、避けられなかった。
大げさな話ではない。
生き延びるための選択だった。
相次いで子どもが生まれ、父を見送った。
そのとき、これからの人生をどう生きるかを、
真剣に考えざるを得なかった。
ずっと見ないふりをしていたことに、
もう蓋をしていられなかった。
日本の経済の停滞や、殺伐とした空気、
子育てがしにくい社会の構造。
そして、大麻をめぐる厳しい法律と、
社会から向けられるまなざし。
その中で生きていくことが、とにかく息苦しかった。
わたしは、大麻のお陰で鎮痛剤や向精神薬に
頼らない、
健康的な生活を取り戻したと思っている。
静かに自分を癒し、明日へ向かう活力にしていた。
尖っていた気持ちも和らいで、
少し嫌なことがあっても「まぁ、いいか」と
受け流せる。
ご飯は美味しく、よく眠れる。
私にとっては、圧倒的にメリットのほうが多かった。
自分らしくいれるためのささやかな行為なのに、
社会では
断罪されるべきものとされている。
そのギャップに苦しんでいた。
子どもができてからは尚更だ。
悪夢にうなされる夜が増えていった。
今ここで動かなければ、
わたしはだめになってしまうかもしれない。
そう思った。
わたしは、人生の辛い場面で何度も
大麻に救われてきた。
その紛れもない事実を押し込めて生き続けることは、
もう出来なくなっていた。
気づいたときには、呼吸が上手にできなくなっていた。
父が亡くなって、実家へ戻った。
その家は南青山の一等地にあった。
周りから見れば恵まれている——
そう見える場所だった。
それでも、そこで子どもを育てて暮らしていく
自分の姿は、どうしても思い描けなかった。
実家の写真を整理しながら、手が止まった。
祖母の代から受け継いできた家を、
わたしの判断で終わらせてしまっていいのかと、
何度も考えた。
迷いも、揺らぎも、もちろんあった。
それでも、呼吸できないことのほうが苦しかった。
だからわたしは、
わたしらしく生きていられる場所へ、
舵を切った。
心を麻痺させず、生きるために。
家族を連れてタイへ移り住む決断をしたのだ。
今は家族とチェンマイで暮らしている。
特別なことはしていない。
ただ、呼吸が深くなる生き方を続けているだけ。
これは、私自身の気持ちを整えるための記録です。
この作業をすることは時にとてもしんどいが、
自分の気持ちと向き合うために必要な行為だった。
そしてもし、どこかの誰かの中で、
忘れていた身体の声が、そっと動きだしたなら——
それだけで、十分なのだ。
