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ひとすじのノート・その30

これは、日々の内省とひとすじの気づきをすくい上げて並べていく、静かなノートを目指している、書きものです。

きょうは、「社会」というキーワードで考えてみた結果としての、4つの断想を綴ります。


規範の欺瞞と戦う前に

人間は社会的な生き物だと言われます。社会的な生き物は人間以外にもいるはずですし、人間もひとりで生きていくことが不可能なわけではないのですが、人間の場合は本能ではなく意思を持って社会を形成しているという特徴があると思われます。そして、社会は共通の規範を必要とします。ですから、その実体が宗教であれ近代や現代の法であれ、社会を形成したかどうか、あるいは破壊したかどうか、という結果で、その規範は審判されてしまうものでもあります。規範の欺瞞に対して、私たちは敢然と戦わなければならないと思いますが、一方で、その規範によって作り上げられた、あるいは作り上げられてしまった社会を、無視することもまたできないのです。残念ながら、人間の規範には欺瞞が混ざってしまうものですが、私たちが、そのような規範の欺瞞に対して敢然と戦うならば、私たちもまた、私たち自身の規範に対する審判を、受け止める必要があるでしょう。

互助

社会がどこであれ、何であれ、最初は互助からはじまり、社会の変化や変質とともに、与える側と受ける側とに分かれていく傾向があると見受けられます。社会が拡大すればするほど、伝えるべき情報量のうち伝え切ることができた情報量の割合は減っていくわけなのですから、ひとつの社会が互助精神を受け継ぎつづけていくのは至難とよぶべきことでしょう。問題は、その後の対応なのではないでしょうか。互助は心理的な負担が等分されますから、社会にそれを望むのは無理からぬことだと思います。一方で、伝えることへの負担が等分に、しかし増加していく一方になります。ですから、互助を最も重要な価値としてとらえるのであれば、伝えることに対する負担の増加を受け入れられるかどうか、という問いが必ず立てられるものです。この問いを飛ばした互助精神への固執は、思わぬ結果につながると考えられます。史上最も大規模な互助精神の結果を思い出したでしょうか。

立場

社会は、それが宗教であれ、会社であれ、公共的な組織であれ、なんであれ、成熟すればするほど立場が固定化されます。そして、立場が固定化されることで、心理的な負担は不等分になりますから、妬みが生まれてきます。そして、その妬みは、実のところ仕組みからくるのではないでしょうか。人間、ある程度の期間は、ひとつの立場にとどまらざるを得ないでしょうが、その立場はあくまで一時的なものと心得て、自身の心理的な負担が不相応になってきたと分かった場合は、分かったその時点で、立場を変えていくことを試みる必要がありそうです。そうでないと、妬む側になるか、それとも妬まれる側になるかは別として、不等分になった心理的な負担によって、社会にも影響するほどの問題が起こるからです。そして、立場に対して身軽になるためには、自分が承認される根拠を、社会や立場といったものからまったくもって遠ざける必要があるのではないでしょうか。

社会の種類

大きなことを成し遂げるということは一人の力でできることではなく、そのためにも社会というものは必要です。そして、成し遂げたいことの規模に応じて、社会というものは拡大していきます。しかし、ここまでは社会というもののひとつについて考察したにすぎないことに、注意が必要です。それ自体に目的や目標がある社会というのもあるのです。社会の目的や目標が、何かを成し遂げることだけになってしまった結果が、バベルの塔であり、様々な滅び去った国であり組織であると見ると、社会には種類があると見えてきます。何かを成し遂げるということに目を向けると、どうしてもそれに適している人と適していない人とが出てきますから、それ自体に目的や目標がある社会において、何かを成し遂げるということをもとにした尺度を取り入れてしまうと、殺戮が始まります。そして、成し遂げるための社会とそれ自体が目的であり目標である社会、どちらも必要です。

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