ちゃんと道を尋ねる
順調に歩いているつもりなのに、ふと「どこへ向かっているのだろう」と立ち止まることはないでしょうか。
そして、気付きます。
道を、間違えたことに。
これは、実際に道を歩いているときだけではありません。人生を道にたとえたときにも、よく起こることでしょう。
学びとは案外、「迷った」と気づくところから始まるのかもしれません。順調だと思っていた道が、実は少しずれていたと知ること。そのとき、人は初めて地図を広げます。
この日曜日は、そんな「迷子」の感覚について、考えを巡らせてみました。
人生、迷子になるもの
今回も、日曜日はきょう読んだ聖書箇所から。
主よ、私にあなたの道を知らせ
行く道を教えてください。
私の若き日の罪や背きを思い起こさず
主よ、あなたの慈しみにふさわしく
あなたの恵みのゆえに
私を思い起こしてください。
主は恵み深く、正しい。
それゆえに、罪人に道を示す。
説教題は、『人生の迷子になったら』でした。
「人生の迷子」という言葉を、どういうときに使うか。
大失敗、不安、悩み、出口が見えない。それも、誰のせいでもない自分のせいで起こるようなこと。
そんなことはありませんか? 私はよくあります。
よく、「自己責任」とは言います。確かに、その人のせいで起こったことについて、安易に他人が責任をとることは問題です。しかし一方で、「自己責任」という言葉が使われるのは、だいたいの場合、他人に向けて使われているようにも見受けられます。自分自身に「これは自己責任だから」と言って、本当に自分で責任をとる人は見かけますが、「本当に自分で責任をとる」と言うくらいで、自分に責任があると認めること自体が、かなりの勇気を必要とする話だからです。多くの場面では、「自己責任」という言葉を使うとき、自分に責任があると思っていない人に対して、責任があることに「気づかせようとしている」場合が、実は多いのではないでしょうか。
一方で、失敗の結果というものは必ずしも、当人が制御しきれることばかりではありません。ですから世の中の仕組みとして、失敗をみんなで分担して受け止める仕組みがあります。たとえば、セキュリティのシステムは、誰かの失敗を想定して作られているのが普通です。ほかにも、保険に加入するといったことは、本質的に他人の失敗をお金で分担しているところがあります。会社を作って従業員を集めるのは、個人で失敗をすると全員が倒れてしまうからという面もあります。誰かが大失敗をすることはあるでしょうが、よほどのことがない限り会社はつぶれません(もちろん、よほどのことがあってつぶれた会社もある程度ありますが)。つまり、問題になるような失敗というのは、失敗を起こした人の手には負えないことが多いのです。そもそも「迷子」という言葉自体が、道に迷うということ自体が、その人にとって「問題になるような失敗」であり、そして、その人の手には負えないからこそ「迷子」なわけでもあります。
さて、聖書では、神が、「正しい道」を指し示す方だということを描いています。
「私にあなたの道を知らせ
行く道を教えてください。」
という祈りは、「正しい道」つまり「あなたの道」を神は知らせてくださるはずだ、「行く道を教えてくだ」さるはずだ、という詩編の筆者の確信から来ていますし、神は「罪人に道を示す」ということも詩編の筆者の確信です。この確信に共感するか異を唱えるかは人それぞれですが、この確信が本当であれば、人生の迷子になっている人が、たとえその端緒が自分自身の問題や失敗や至らなさであったとして、そして失敗を起こした自分自身の手には負えない状況に陥ったとしても、神が「自己責任だから」といって手を差し伸べないようなことは、ない、という論理に帰結するはずではないでしょうか。
宗教を信じたところで、現実が非科学的に、非連続的に、変わるわけではないでしょう。そして正直、そんな特権的なことが起こったことがあるとは、寡聞にして知りません。さらに、「ふりかえってみると、あのときの失敗は無駄じゃなかった」というようなことは、誰にでも起こりえますし、そうあってほしいものでもあります。
そして、時間の流れが総体として、人に優しいことがあるというのを、人がわざわざ、「自己責任」などというような言葉で厳しくする必要もないのではないか。もちろん、助けられるところと助けられないところはあるし、助けてもらえるところと、自分で乗り越えなければいけないところはあるものですが、他人をも自分をも、不必要に厳しく扱うようなことを、しなくてもいいのでは?と思ったりするのです。現実はすでに、十分厳しいのですから。
今週の予定
仕事
今週も4日、そして今月があと4日。目標とマイルストーンを見直します。
note
書けるときに原稿をせっせと書いています。
身の周りの整理整頓や、必要なものの修理など
明日、あるものの修理をするために、工作室にこもることにしています。
確定申告
確定申告はもう少し時間がかかりそう。
Rustプログラミング
今週中にはv0.1.0が出せる見込みです。
今週のテーマは「ちゃんと道を尋ねる」
今週のテーマは、ちょっと考えて、「ちゃんと道を尋ねる」としました。
道に迷ったとき、実は案外、地図を見たり道を尋ねたり――つまり、現在地と目的地との距離・道のり・ギャップを確認したりすることを、私たちは怠りがちではないかと思うのです。特に焦っていると起こりがち……ではないですか?
けれども、迷っているときほど、「こんなことを聞くのは恥ずかしい」とか、「自分で何とかすべきだ」という思いが先に立ってしまうことがあります。結果として、誤った方向へさらに歩みを進めてしまう。実際には、立ち止まり、尋ね、確認するほうが、ずっと勇気のいる行為なのかもしれません。尋ねるという行為は、信頼があるからこそできることでもあります。
自分の限界を認めることと、道を尋ねることは、どこかでつながっているように思うのです。
