船場トンデモ人物伝(3回目の高麗橋)
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者/反面教育人の陸奥賢さんと玉秀斎で毎月1回、北浜・青山ビル地下1階『北浜ロンド』で開催している『船場トンデモ人物伝』。
これは船場にある東西の通り、北から南まで23本を毎月1本取り上げて、陸奥さんが丁寧にその通りに人物を取り上げて話して頂く内容になっています。
玉秀斎の役割は、陸奥さんの話した内容をお伺いして、すぐに講談にすること。
これを50回開催してきました。
その記念すべき50回目は高麗橋。
高麗橋は『浪華名所獨案内』(なにわめいしょひとりあんない)にも橋が描かれている橋筋です。
そして東海道五十七次の起点となる場所。
旅のはじまりということで、それにまつわるお店が並んでいました。
秤屋、呉服屋、扇子屋、和菓子屋、タバコ入れ屋…。
・和菓子屋は駿河屋さんがあり、そこに奉公していたのが鳳さん。その方が堺に移り、和菓子屋をはじめ、生まれたのが与謝野晶子でした。
・秤屋は神(じん)善四郎。伊勢の神宮あたりの出。
当時は秤がないと旅ができなかった。そこで幕府公認の秤座ができ、東33ヶ国は守随家(武田家ともゆかりがある)、西33ヶ国は神家が担当することになりました。
秤を勝手に売買すると罪に問われ、勝手に作ると死罪になったとか。
明治になって、明治新政府が秤を日本全国から集めて調べたところ、397万個中244万個は不合格の秤だったそうです。
・陸奥さんに多大な影響を与えたのが岡本撫山『浪華人物誌』。
撫山は銅座の生まれ。大正時代における大阪市研究ブームのきっかけを作った。
・淀屋は初代を常安。その長女きいの系統に常安町家、大川町家、斉藤町家、大豆葉(まめのは)町家がある。その大豆葉町があるのが高麗橋。その系統の最後のお1人が下村五百(いお)さん。
嫁いだのが佐仲(本当は弟と結婚する予定が兄が手を出した)。ところが佐仲は博打に女遊びに酒浸り、遂に別居に。
別居中に石清水八幡宮で出会ったのが大野左門。五百と左門は恋仲に。
その関係に怒ったのが、佐仲。二人の寝込みを襲う。
左門を殺された五百は「私も斬れ」と迫り、2人とも殺される。
しかし、佐仲と五百は正式には離縁していなかったため、「妻の不義の敵討ち」というお裁きで佐仲は無罪。
・高麗橋郵便局でつとめていたのが、山口県出身の宮本常一。お金がなくても、お金を頂きながら学べる方法があった。それが大阪逓信講習所。
その仕事の中で宮本常一は、70歳から80歳へのラブレターの代筆を頼まれる。歴史には残らない人々の声があることに気づく。そこから民俗学の世界へ進むことになる。
