「余白ができたら休もう」では、たぶん一生休めない
追いかければ追いかけるほど、逃げていく。
逆に、追いかけられれば追いかけられるほど、
逃げたくなる。
昔から言うやん。
「押してもダメなら引いてみろ」って。
あれ、うまいこと言うたなぁと思うんです。
人間関係だけじゃなくて、
仕事も、お金も、時間も。
必死に掴もうとすると、
なぜかどんどん余裕がなくなる。
そこで最近思うんです。
余白って、余ったらできるものじゃないんやなって。
先に空けるから、余白になる。
先に場所をつくるから、
今まで入らなかったものが入る余地ができる。
でも、これがなかなかできません。
なぜなら私たちは、
「全部終わったら休もう」
「売上が安定したら休もう」
「準備が整ったら始めよう」
「この仕事が片づいたら自分の時間を取ろう」
と思っているからです。
そして大体、その日は来ません。
私の知り合いに、バーをやっている人がいます。
開店したばかりなら分かるんです。
お客さんに知ってもらいたい。
お店を軌道に乗せたい。
だから頑張る。
でも、ずっと、
「集客しないと」
「お客さんを呼ばないと」
「休んでる場合じゃない」
と走り続けていた。
休みを取らず、
常に何かをしている。
一見すると、
ものすごく頑張っている人です。
実際、頑張ってる。
でも、余力がないんです。
だから仕事以外の何かが少し崩れたとき、
全部が一気に崩れてしまう。
揺らいだときに戻ってこられる余白がない。
ギリギリまで積み上げているから、
ひとつ倒れたら、その場で全部倒れる。
これ、私にも覚えがあります。
私も今の会社に入った頃、
120%どころか150%くらいで働いていました。
「そこまでやらんでも」
というところまでやる。
頼まれたら応える。
お客さんのことなら頑張る。
時間が足りなければ、
自分の時間を削ればいい。
そんな感じでした。
そして当然のように、
強制終了が来ました。
身体だったり、
気持ちだったり、
環境だったり。
人によって形は違うと思います。
でも人って、
そこで一度立ち止まるんですよね。
「このままではあかんな」
って。
神様なのか仏様なのか知らんけど、
「そろそろ見直しや」
みたいな出来事がやってくる。
そこで、
休みを増やそう。
仕事を減らそう。
環境を変えよう。
付き合う人を変えよう。
そうやって行動を変える。
もちろん、それも大事です。
でも。
行動だけ変えても、
根っこにあるものが同じなら、
また別の場所で同じことを始めます。
私の中にもありました。
「頑張ることは美徳」
「働くなら、とことんやらないと」
「お金をもらっている以上、お客さんを優先するべき」
「期待されたら応えないといけない」
「断ったら信用を失うかもしれない」
「結果が出ていないのに休んではいけない」
「私がやった方が早い」
まだまだあります。
場所を変えても、
相手を変えても、
仕事を変えても。
このルールを握ったままなら、
結局また、
自分が限界になるところまで頑張ります。
じゃあ、なんでそんなに頑張ってしまうんやろ。
今回、私自身に問いかけてみました。
何もしていない時間ができたとき、
私は何を感じるんやろう。
すると出てきたのが、
「私はこんなにやってるのに」
という気持ちでした。
普段、動いているときには見えにくい。
人を助ける。
期待に応える。
頼まれたことをする。
仕事をする。
ずっと動いていれば、
見なくて済むものがあります。
でも止まると、
「私はこんなにやってるのに、
なんで返ってこないん?」
が出てくる。
そしてその奥には、
「やっぱり私は、大したことないんかな」
みたいな自分への評価まであったりする。
なかなか嫌なところ突いてきます。
でも、
そう感じてるんやな。
まずは、それでいい。
さらに、
「先に休む」
「予定を空ける」
ことで何が怖いんやろうと考えました。
私の場合は、
この先が続かなかったらどうしよう。
でした。
仕事が続かなかったら。
お客さんが来なくなったら。
次がなかったら。
今止まったことで、
何かが途切れてしまったら。
だから先に埋める。
次の予定。
次の仕事。
次の約束。
次の準備。
追いかける。
空白を見つけると、
何かを入れたくなる。
でもそれをずっと続けると、
あることが起きます。
人生の判断基準が、
「私はどうしたい?」
ではなく、
「相手はどう思う?」
になっていくんです。
これが私は、
人生が広がらなくなる理由のひとつやと思っています。
別に、
「人の目なんか気にするな!」
と言いたいわけじゃありません。
人と生きていたら、
相手のことを考えるのも愛・思いやりです。
ただ、
何かを選ぶたび、
怒られへんかな。
嫌われへんかな。
期待を裏切らへんかな。
が先に来たらどうなるか。
選べるものが、
相手が不機嫌にならない範囲
にどんどん狭くなります。
仕事でもそう。
人間関係でもそう。
時間の使い方でもそう。
本当はやってみたいことがあっても、
「今やったら迷惑かな」
本当は休みたくても、
「私だけ休んだらどう思われるかな」
本当は断りたくても、
「次から声をかけてもらえなくなるかな」
そうやって、
自分の人生なのに、
他人の反応を確認してから進む。
そりゃあ、
今までとは違う世界には行きにくい。
だって選択肢そのものが、
いつもの範囲から出てないから。
ここで、逆パラレルです。
逆パラレルは、
何でもかんでも反対のことをする方法ではありません。
いつもの私が、
いつもの不安から、
いつもの選択をしようとしている。
そこに気づいたとき、
別の選択肢をひとつつくる。
それだけです。
「全部終わったら休もう」
と思ったら、
先に休みを入れてみる。
「準備が整ったら始めよう」
と思ったら、
整う前にひとつだけ出してみる。
「今、空いてるから仕事入れとこ」
と思ったら、
ひと枠だけ空けたままにしてみる。
「頼まれたからやらないと」
と思ったら、
返事をする前に、
「私はほんまはどうしたい?」
と聞いてみる。
そして、
またいつもの方へ行きそうになったら、
「やーめた」
と言う。
私はこれ、
結構ほんまにやります。
頭の中で変えようとするだけじゃなくて、
「はい、こっち」
って。
荷物を右から左へ移すみたいに、
身体まで動かしてみる。
たったそれだけ。
でも、
今まで無意識で選んでいた方向とは
違う一手が入る。
そこからです。
余白をつくったら、
必ず何かすごいものが舞い込んでくる。
そんな話をしたいわけではありません。
ただ、
予定も、
仕事も、
人の期待も、
パンパンに詰まっていたら、
自分の本音が入る場所すらない。
新しい選択を考える場所もない。
違和感に気づく場所もない。
「ほんまは私、こっちに行きたいんや」
と気づく場所もない。
だから余白がいる。
余白は、
何もしない人になるための時間じゃない。
自分の人生に、自分の意思が入るスペースです。
もし今、
休みたいけど休めない。
仕事を減らしたいけど怖い。
準備ばかりして始められない。
何も予定がないと不安になる。
そんな状態なら、
全部変えなくていいです。
今日ひとつだけ。
いつもの自分なら埋めるところを、
空けてみてください。
30分でもいい。
予定ひとつでもいい。
そして埋めたくなった自分が出てきたら、
「何がそんなに怖いん?」
と聞いてみる。
もしかしたら、
「この先が続かなかったらどうしよう」
と言うかもしれません。
「必要とされなくなったらどうしよう」
かもしれない。
「大したことない自分だとバレる」
かもしれません。
それを無理に消さなくていい。
そう思ってたんやな。
で、
そのうえで聞いてみる。
「それでも今日は、いつもと同じ方へ行く?」
別の選択肢もあるで。
余白は、
余った人だけが持てるものじゃない。
先につくるから、
余白になる。
そしてその小さな空白から、
「相手がどう思うか」だけでは決めない人生が
少しずつ始まるんやと思います。
気づいた今日から、
選び直せます。
