無理しない優しさも、恩返しのひとつと信じて。
最近、コメント欄でたくさんの言葉をいただきました。
嬉しくて、温かくて、そして少しだけ、考えることがありました。
こんにちは、愚直くんと申します。
先月は本当に多くの方から言葉をいただきました。励まされて、笑って、心が動く瞬間がいくつもありました。
だから、いただいたコメントには全部返しています。
でもーー
コメントいただいた方全員の日々の記事までは、なかなか伺えていない。
それが今、僕の中で小さな葛藤になっています。
💬 「返す」だけで終わらせたくない気持ち
コメントをもらえるのは、何よりも嬉しいです。
そこには時間と気持ちがこもっている。
だから僕も、相手の記事を読んで、
言葉で返したいと思うんです。
けれど、現実はなかなか難しくて。
記事を書いて、コメントを返して、
日常もこなしながら…となると、
気づけば“伺う時間”が取れなくなっていました。
無理して全部こなそうとすると、
せっかくの言葉が“義務”みたいになってしまう。
「ありがとう」は伝えているのに、
どこかでそれだけじゃ足りない気がする瞬間がある。
この気持ちは、きっと僕だけじゃないと思います。
🌧 不器用なりに、恩を返したくて
僕は、うまく立ち回るタイプではありません。
SNSの世界でも、人づきあいでも、どこか不器用です。
でも、コメントをくれた方の記事を読みに行くとき、その人の言葉の奥にある「優しさ」や「努力」に気づく瞬間があります。
そしてそれを自分の言葉で表現し、
自分がいただいた影響を還元していく。
そういう時間が、僕にとっての恩返しだと思うんです。
ただ、現実問題として全部の人にそれができているわけじゃない。
「この人の記事も読みたい!」と思いながら、
時間も気力も追いつかない夜がある。
恩を返したい気持ちはあるのに、
動きが追いつかない自分に、少しもどかしさを感じています。
無理をしていた頃、体調を崩したこともありました。
その経験があってからは、少しずつ「全部に応えよう」とする手を緩めるようになりました。
🧭 “全部に応える”より、“届く人に丁寧に”
たくさんの人に支えられているからこそ、
全員に同じように恩を返したいと思う。
でも、少し立ち止まって考えてみると、
それは感謝を「義務」に変えてしまう瞬間もあるのかもしれません。
伺えなかった日があっても、
気持ちが薄れたわけじゃない。
ただ、余白がなかっただけ。
恩を返すって、“どれだけ多く”よりも、
“どれだけ心を込められたか”なのかもしれません。
🌱 それでも、感謝はちゃんとある
行けなかった記事の数だけ、
心のどこかに「また伺いたいな」が残っています。
それを“できなかった”で終わらせず、
“これから大切にしていく気持ち”として抱えておきたい。
今は、全部を追いかけなくてもいい。
その分、目の前にいる人を大切にできればと思う。
「ありがとう」を返すことだけが感謝じゃない。思い出してもらえたときに、もう一度心で返せばいい。
感謝って、行動より先に、心の中で続いていくものなんだ。
そう感じています。
休むことや立ち止まることも、続けるための大切な一部だと思うようになりました。
これもコメントで教えて貰った言葉ですが、
無理をしない日も、ちゃんと“進んでいる日”
なんですよね。
🕊 伝えきれなかった「ありがとう」
全員に伺うことはできていないけれど、
いただいた言葉のひとつひとつに、
コメントに加えて心の中でもちゃんと
「ありがとう」を返しています。
コメントをくれたあの日の気持ちは、
今も僕の中で息づいています。
🐎 おわりに
僕はまだまだ不器用で、全部を上手にできるわけじゃない。
それでも、少しずつ整えながら続けていきたい。
「ありがとう」は言えた。
でも、まだ言い足りないこともある。
その分、これからの行動で伝えていければいいと思う。
僕もきっと、明日も誰かの記事を読み損ねる。
でも、それでもまた言葉を交わしていきたい。
今日も、あなたのペースで進めば大丈夫。
焦らず、立ち止まりながらいこう。
それでは🐎🦌💨
