見出し画像

「竜宮」創作大賞2024中間選考作品


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

あらすじ

宇宙空間を観察していた男が、ある時謎の周波数を発信している異物を見つける。これから休暇期間に入るにもかかわらず、上司命令で男はその異物の観察をすることになった。
男が現地に飛ぶと、不思議な翼を持つ「彼」に出会う。男は暇つぶしがてら、彼の観察をしながら話し相手になることにした。
彼は物質を採取するために、遠いチキュウから小惑星を訪れていた。そのミッションを傍らで見守りながら、男は彼と交流を深めていく。何にも興味を持てなかった男は、彼と接するうちに次第に知らない感情を知るようになる。


本編

「ん? 何だこれ?」

 男が見つめる視線の先、その何もない空間に半透明の薄い膜のようなパネルがいくつも浮かんでいる。それらは男の視界内に前後左右、上下に重なるように不規則に並べられていた。その中の一つを凝視しながら、男は直接パネルには触れずに宙に浮かべた指先を軽く動かした。そうして目的の一枚を手前に引き寄せる。

 それらのパネルには、記号のような形と絶えず動く数値が幾何学の美しい図形のように配置されて表示されていた。図形は極ゆっくりだが常に動き、示された点の一つ一つは生き物の呼吸のように点滅したり消滅したりを繰り返している。

 パネルが半透明なのは、それぞれ別の空間のものを同時に観察するためだった。薄い膜でありながら、それが内包している空間の情報量は実に多量だった。膨大な情報を分かりやすく可視化するために、複雑な模様のように描かれている。

 それぞれの膜の中には宇宙空間が広がっており、男は常に送られてくるそのデータを一括して観察していた。両方の指先全てにつけられた爪のようなデバイスを動かして、何かを打ち込んではまた消すのを繰り返す。一見ランダムで無秩序のように見えるそこには、それなりの法則があるらしい。と言っても男は管理者ではなく、ただの観察者の一人に過ぎなかった。

 送られてきたデータと手元にあるデータの数値を比較して、合わなければそれらがぴったり合うまで計算する。それでも数値が合わない場合もある。  ただそれ自体が間違いということはない。宇宙は常に変化している。予想外で不規則な変化があるからこそ世界は進化し保たれる。

 送られてきたデータに不備がないことが確認されれば、どんな状態でも世界はそのあるがままの姿を受け入れていく。それがここで言う秩序だった。 そうしてまた手元には変更に合わせた新しいデータが送られてくる。男の仕事は、ひたすらにその宇宙空間を観察することだった。

 男が手前に引っ張り出したその一枚のパネルの中に、見慣れない数値の周波数が映し出されていた。無秩序のようで秩序のある変化のない空間に、突然現れた周波数。しかし異常を知らせる発信音はなかった。秩序が変わるような大きな数値でもない。

 つまり、それは系外からの侵入者ではなく、元々この銀河系内に存在していたものということだった。ただ男が今観察しているこの空間内では通常見つけることはない。それは同じ系内のどこからか入り込んできたものだった。

「所長! しょちょ〜! ちょっとこっち来てください!」

 男は座ったままの体勢で、パネルから目を離さないまま大声を出した。しばらくすると、音もなくスライドした扉から、もう一人男がのっそりと姿を現した。

「なんだ? 呼ぶならパネルでいいだろ。あと用があるならお前が来なさいよ。俺は忙しいの」

 ここは宇宙空間に点在する数ある観測所の一つで、現れた男はその統括管理者で通称「所長」と呼ばれていた。口ひげをたくわえた背の高いその男は、ため息を吐きながら面倒くさそうにのそのそとパネルの前に座っている男に近づいた。ヨレヨレの白衣を羽織って、足元は壊れかけのつっかけを履いている。

 支給された上下が分かれた白のゆるい服を身に着けていた男にとって、所長の服装は実に不思議なものだった。どことなくだらしなく清潔感がない。 どこかの星の研究者の恰好を真似ているらしい。基本的に着る物に制約はないが、男は面倒なので支給されたものを着ていた。ただ大半の者はこの所長のように気に入っているどこかの星の「何か」を真似て身に着けている。観察を続けるうちに愛着が湧くらしい。残念ながら男にはまだその感覚がわからなかった。

 所長の身なりに威厳はないが、忙しいのは本当だろう。ただ、実際に何をしているのかはここで働いている者たちは誰も知らない。通常はパネルを通しての対話のみだが、さっきのようにこちらから呼べはどこからともなく現れる。「用があれば来い」とよく口癖のように言うが、所長がいつもどこに居るのか誰も知らない為、直接話したければこうして大声で呼ぶしかない。新人が配属された時に一番初めに教わるのがこの話で、所員たちは所長から文句を言われようとすぐに慣れっこになる。

 男も所長を呼んで自分のもとに足を運ばせることに、何のためらいもなかった。

「ちょっとこれ見てほしいんですが」

 男は所長が隣に立つのを確認して、一つのパネルを指先の操作で拡大して見せた。

「ここです。この部分に異常な周波数が存在しています」

「またバイトの入力ミスじゃないのか?」

 所長は面倒くさそうにそう言うと、頭をかきながら首をこきこきと鳴らした。

「バイトにここの数値入力させるわけないでしょ。そもそもこれは計算されて出力された数値ですよ」

 バイトとは、各宇宙空間に散らばっている現地スタッフの事だ。その各空間で観察したデータがこの観測所に送られてくる。

 バイトの仕事は簡単だった。パネルによって勝手に読み込まれた空間のデータを、観測所に送る。たまに読み込みに穴があり、それが見つかれば自分で数値を打ち込む。ただ、パネルは優秀で、この作業自体ほぼないと言っても良かった。その為、たまにあるこの作業で数値の打ち間違いが出てくる。それを観測所で計算し直すことがあった。所長が言っている「バイトの入力ミス」とはそのことだった。

 しかし観測所で働いている者が特段優秀ということではない。どちらかというと、バイトの仕事の方がフィールドワークと呼ばれて比較的重要な作業ではあった。パネル自体は優秀だが、それを使用する存在が必要であり、修理があれば全て現地で自分で行わなければならない。元々観測所にいた者が仕事を覚えて、その後バイトとして各空間に配属されるのが常だった。

 各空間は座標で設定されていて、座標同士の移動は楽だった。ただ、あまり変わり映えのない空間を移動する意味もない。大体の者が希望する空間に家族や気の合う仲間と配属されていた。楽しく過ごす彼らにとって、のんびりデータを送る作業はいい暇つぶしにもなった。

 観測所は各空間から送られてきたデータをまとめて観察しているに過ぎない。バイトよりも時間がかかる作業の為、家族もない変わり者か、他に何もやることがない暇を持て余した者たちが観測所には集まっている。男は自分の事は棚に上げて、所長の事はその変わり者の筆頭だと思っていた。

 彼らの仕事は、宇宙空間の観察であり、膨大で長い時間を費やす大事な暇つぶしでもあった。なにせ太陽系だけで五千個の星がある。この銀河系には太陽のような恒星が二千億個あり、ざっと計算しただけで千兆個の星が存在していることになる。この宇宙空間にはその銀河系が数千億個あるのだから、仕事には困らない。

 所長は「はいはい」と言いながら、男に示されたパネルにようやく視線を移す。すると目をぱちくりさせて身を乗り出した。

「ん? なんだこの異常な数値は」

「だからさっきから言ってるじゃないですか……」

 パネルを拡大して見せていた男は、呆れたようにため息をついた。また指先を軽く動かして、新しい別のパネルを空間にいくつか引っ張り出す。そこに何かを打ち込むと、パパパ、と大きさの違う小さな立体空間がいくつか空中に浮かび上がった。

「ここの詳しい座標は? 出せるか?」

「今やってます。出ました。あ、」

「あ〜あ、これ引っかかってるな」

「ですね」

 二人は問題のものが映し出された立体パネルを見て大きくため息をついた。どうやら問題の空間に異物が引っかかっている。例の周波数はこの異物が発信していたらしい。

「大きさは?」

「およそ百六十センチメートル、翼を広げると六百センチメートルですね」

 パネルが解析している数値を男が読み上げていく。

「翼があるのか」

「みたいですね」

 所長はその画像を見ながら、あからさまに面倒くさいという表情をした。しばらく「あー」だの「うー」だの唸っているのを見ていて、男は嫌な予感がした。

「この件はお前に任せた」

 所長は頭をガシガシとかきながら男に告げる。

「ちょっと! 面倒事を押し付けないで下さいよ!」

 不本意にも当たった予想に内心舌打ちしながら、男は立ち上がって慌てたように所長に詰め寄る。

「俺は他にも仕事がある。お前ちょうど長期休暇届け出してただろ」

 男と目を合わせないように、所長はあさっての方を見ている。

「所長、休暇の意味分かってます?」

「別途手当は出す」

 その一声で男の心は揺さぶられ、任が決まった。手当が出るので仕事にはなるが、男には休暇中他にやることがないのも事実だった。

「はあ、わかりました。所長権限で色付けてくださいよ」

「何とかする」

 男が了承したのを見届けると、所長はそそくさとその場を去って行った。

 一人残された男は、目の前のパネルを見ながらまたため息をついた。

 男一人に任されたということは緊急ミッションではない。形状から見て危険なものではない。確かにこれは現地観察、もしくは見学と言ってもいいかもしれない。

 男は部屋を後にすると、座標移動ポットに向かった。小さなパネルを手にしながら、先程の異物がいた空間の座標を設定する。ポットで移動しながら、そう言えば、と男は思い出していた。確か数年前にも、同じような形状の翼をもった存在がいたはずだ。



 それは、小さな星の近くにいた。ふよふよと浮いている。画像で見た通りの形状。これが、あの異常な周波数を発していた者だ。間違いない。手元のパネルで再度確認してから、男は声をかけた。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

 男が声をかけると返事があった。

 やはり似ていると思った。以前資料でチラリと見ただけだが、数年前に別の小さな星を訪れていた者とそっくりだ。

 敵意は感じない。こちらを攻撃できるようなシステムも持っていないようだった。とくに害はなさそうだと判断した男は話を続ける事にした。

「ここで何してるの?」

「あ、私はタマテバコを持ち帰るというミッションがあって、ここに来ました」

「タマテバコ?」

「はい、ここに宝物を入れて持ち帰ります」

 彼がここ、と指したのはちょうど彼の腹辺りだ。腹の中に宝物を入れて持ち帰るという事か。

「宝物って?」

「この星の粒です」

「え、この星の?」

 男は彼の言葉に少しびっくりする。なぜならここは本当に小さな星だった。資源が多い大きな惑星ではない。宇宙に散らばっている無数の星の欠片の一つ。この宇宙が生まれた時にできた、原初の星と言ってもいい。

「どうして?」

「チキュウはどうやって生まれたのか、ヒトはどこから来たのか、という問題を解決するためだそうです」

 男はそれにようやく合点がいった。

「君はチキュウから来たのか」

「はい、そうです」

 男は彼と話しながら、彼の周波数とパネルを介して言語を翻訳していく。同時にチキュウの情報も男の頭の中に流れてくる。

 ヒトというのは面白い存在だなと思う。何でも知りたいものらしい。自分たちの事を知るために自分たちの星ではなく、他の星を調べるのか。男はその発想が面白いと思った。

 確かに自分たちの惑星を調べるよりは、原初の星を調べた方が「生まれ」を調べるには適している。あそこまで大きな惑星だと深く潜ったところで物質はすでに変質していて原初の物質は残っていないだろう。

 確かにこの星は直径九百メートルと小さいものだが、原初のままの炭素や有機物が含まれている。しかも軌道はチキュウとカセイの間にあり、他の同じ性質の小惑星よりも比較的チキュウの近くにある珍しい星だった。つまりこの星は、彼らに選ばれた星ということだ。

 彼は観測所で最初に予想していた「偶然にこの場所に引っかかった異物」というわけではなく、この星を目的地として来訪した存在だった。そこまで入念に調べ上げた上でこの遠い星まで辿り着いたのなら上等な技術だ。

 しかし男が先程から見ていても、彼は少しも動く様子がなかった。

「それで? 物質、ええと粒は採取しないの?」

「はい、思ったよりも表面がごつごつしていて私の体では降りづらいようです。今降りられる場所を探してもらっています」

 男と話しながら、彼はチキュウと通信しているらしい。

「あの、あなたは誰ですか?」

「俺?」

 ふいに疑問を投げかけられる。そう言われても、男にも自分自身が何なのかは分からない。

 自分がどこから来たのか、何者かなんて考えたこともないし興味もない。ただいつからか存在し、この宇宙で星の観察をしている。全ての事はあるがままだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 そうして、極たまに自分たち観察者以外のこういう存在と遭遇することもある。

「さあ、俺にもよく分からないな」

 しばらく考えてみたが、それ以上の事はやはり男には分からなかった。男が思ったままを口にすると、その様子をじっと見つめていた彼が口を開いた。

「テンシですか?」

「テンシ?」

 聞き覚えのないその言葉に、男はパネルを介して彼の回路を覗いた。彼が今見ているであろう自分の姿を確認する。彼には自分の姿がこんな風に見えているらしいと男は理解した。

「翼があります。ヒトの背中にトリの翼が生えているものだそうです」

 ヒトに翼か。テンシというのは実際に彼の星に存在している者ではない。ヒトの頭の中にだけ存在する想像上の者らしいが、共通認識としてこれほど鮮明に形を成すものなのか。男はそれに驚く。ヒトの想像力とは面白い。その想像力を持っているからこそ、色々なものに興味を持ち、また知りたいと思うのだろう。

「よく分からないけど、君がそう言うならそうなんだろう」

「やっぱりあなたはテンシさんなんですね」

 彼は納得したように頷いた。訂正する必要もないので、男はそのまま受け入れた。

「翼、君にもあるね」

 彼は男のその言葉にハッとしたように少しだけ俯いた。

「はい。でもあなたとは形が違います」

「そうだね、色も。君の翼は青くて黒い」

 男は、彼の翼を見つめる。太陽光を反射しているその姿は男の目から見てもとても美しかった。

「変ですか?」

「美しいよ」

 男の言葉に、彼はホッとした表情を見せる。

「そうですか。あなたの翼も美しいです」

「はは、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 そうして、男はしばらくこの奇妙な存在を観察しつつ話し相手になることを決めた。つまらない仕事なら観測所の誰かに押し付けようとも考えていたが、気が変わった。どうせ男には他にやることもない。作業と言っても、パネルを通して定期的に彼の情報を観測所に送るだけでいい。休暇中のいい暇つぶしになりそうだと男は思った。

 

 星の情報が事前の予想と違っていたのか、なかなか彼のミッションは進まないようだった。ここはチキュウから三億四千キロメートル離れている。恐らく彼らの技術だと通信自体に三十分以上の時差があるだろう。

 男はミッションの合間に彼の回路を覗きながら、少しずつ彼や、彼の故郷について話をするようになった。

「この小さな体で、よくこの長距離を移動できたね」

 男が見た所、大きなエンジンは積んでいないようだった。ロケットの推進力があったとしても、ここまで来るのには相当エネルギーも必要だろう。

「スイングバイを利用しました」

「スイングバイ?」

 聞きなれない言葉に、男は首を傾げる。

「はい、チキュウスイングバイです。チキュウの重力を利用して加速する方法です。私の体は出来るだけ小さくしなければならず、その為燃料も多く積めません。推進燃料を減らす為に考え出された方法です。惑星の公転運動と引力を利用して、機体の運動ベクトルを変更し速度を加速させます」

「へえ、面白い発想だね。公転と引力を使うなら、相当計算を緻密にしないと狙った方向に行くのは難しいだろう」

「はい、そこに合わせて打ち上げの日程も決められます」

「なるほど」

 彼がここに辿り着くまでには、一体どのくらいのヒトが関わってきたのか。その途方もないほどにかけられた時間と労力を想像して男はただ感心した。

 男にとって、彼の話は初めて聞く事ばかりだった。

「私には兄がいました。私と同じように小さな星を訪れて、星の粒を持ち帰りました。尊敬する兄です」

 彼が得意そうに話すのを、男は興味深げに聞く。男は彼に会ってから、気になっていたその情報をパネルで読み込んでいた。数年前にチキュウから来た、彼と同じような姿で同じようなミッションをしていた存在は確かにいた。彼からすると「兄」なのだろう。

 当時の観測所のデータによれば、こちらからは接触をしていない。担当が対象の観察をし、その情報を残していただけだった。

 今回も男は所長に「接触をしろ」とまでは言われていない。確かに前回と同じように観察だけしても良かった。ただ、この件の一切は男に任されていた。観察のみでも、接触するかも現地観察者の男の判断に委ねられる。そして男は迷わず接触をした。

 男が観察者以外の存在と会ったのはこれが初めてだった。会話が出来たのも大きい。男は自分たちとは何もかもが違う「彼」を知りたくなったのだ。

 この面白い存在を前にして、前任者はよく観察だけで終えられたなと男はすでに思っていた。

「ああ、俺も直接会った事はないけど、データベースに残ってたよ」

「そうですか。嬉しいです」

 嬉しそうにそう言う彼に、男は何も言わなかった。なぜなら、男はデータを全て読んでいたためその後の「兄」の顛末も知っていた。

 チキュウに還った時、星のサンプルを切り離した後に彼の兄の体は大気圏で燃え尽きた。その体はチキュウの大気圏突入に耐えられる機体ではなかった。彼の兄が命がけで採取した、シールドに守られていたサンプルだけがチキュウに届けられた。

 そのことを彼は知っているのだろうか。見た所、彼の体の作りも同じようだった。

「私たちは兄弟ですが、その前にもっとたくさんのヒト達の手によって産み出された仲間たちがいるんです。そのたくさんの情報と経験がの私の体に受け継がれています」

 生物というのは、その体に祖先の情報を受け継ぐんだったなと、男はここに来てからパネルで得た知識を思い出す。進化しながら連綿と残されてきた祖先からの情報が体自体に受け継がれている。彼らは違う形のようで同じものを受け継いでいる。それが彼らで言うところの生物だ。

 彼にもそういう感覚があるのが不思議だった。いや、不思議ではないのかもしれない。チキュウという星の生物はそうして進化を重ねてきた。それが彼らの強さなのだろう。彼はチキュウで生まれ、体にもそれをしっかりと受け継いでいる。

「君たちの星の生物で言うところのイデンシだね」

「イデンシ」

「そう、生物が生まれた頃からずっと体に組み込まれている、膨大なデータの蓄積だ」

「同じですね」

「そうだね、同じだ。君も、君の星の生物も」

 男にとって、彼もチキュウの生物も同じ生命なのだと思えた。

「素晴らしい事です。この体は私の誇りそのものです」

 誇り高く頷く彼の姿に、男は嬉しさを覚えた。

 

 星の粒の採取方法はどうやってするのかと男が問うと、彼はタッチダウン方式で行うと説明した。一瞬だけ着陸して、その時舞い上がった粒を採取するらしい。

 どうやら直接降りて採りに行く、という方法ではないらしい。男にとっては実にもどかしいものだったが、彼らの技術的にはそれが今できる最善なのだろう。

 ここは原初の星とは言っても、その表面は宇宙の放射能の影響で風化して成分が変質している。そのため、原初のままの成分を含んだ物質は、内部から採取する必要がある。つまり目的のものを採取するためには星に穴を開けなければならない。

 彼の説明によれば、爆発によって人工クレーターを作り、タッチダウン方式で巻きあがったその内部の新鮮な星の粒を採取する方法をとる、とのことだった。それが彼の最終にして最大ミッションだった。

 しかし、一発本番でそれを行うにはリスクが高すぎる。そのため、大きな課題の前に、彼はいくつかのミッションをクリアする必要があった。彼がここでどのくらい体をコントロールできるかを試す必要がある。それは彼とチキュウの研究者たちのチームワークにかかっている。彼はここでは一人だが、常にチキュウと交信し続け、その指示によって制御されていた。

 初めのミッションは小型ロボットを降ろすことだった。ある程度星に近づいてロボットを降ろす。それは無事に終了した。でも彼本人の着地はやはり難しいようだった。

 その次の最初のタッチダウンは、人工クレーターを作る前の訓練も兼ねていた。しかしそのミッションはうまくいかなかった。

 彼は着地しようと試みたが、地表に辿り着く途中で止まりすぐに急浮上してきた。

「どうしたんだ?」

 明らかなミッションの中止に、何かあったのかと男は彼に尋ねる。

「私は異常を感じると自己判断でミッションを停止できるプログラムをされています。私の『目』で星との距離感が測れず、やむなく浮上しました」

 確かにこの星の表面は黒かった。影と地表との区別ができなかったんだろう。きちんと見て対象地点との距離を判断できなければ着陸は難しい。彼の体を傷つけるわけにはいかない。着陸には繊細な操作が必要だった。

「どうするんだ?」

「私の今のプログラムのままでは着陸することはできません。私の今の『目』で判断すればまた降下途中で中止して浮上してしまうでしょう。

 恐らく、ある程度私のプログラムを緩和することになるでしょう。つまり私の降下時の危険察知時の安全判断を緩めるということです。私の体を守るために、元々自己判断設定は厳しくしてありました。

 ただ私自身そのプログラムを書き換えることはできません。それはチキュウで行います。どの程度緩和をするのかは判断も難しい。プログラムの書き換えにはまだ時間がかかりそうです」

「そうか」

 とりあえず、男は彼の体が傷つかなかったことにホッと息をついた。

 

 結局そのプラグラムが書き換えられる前に、彼の眠りの期間が訪れた。

「もうそろそろ眠ります」

「ああ、タイヨウの影になるのか」

 チキュウから見て、この星がちょうどタイヨウの影に隠れる。太陽の電波やプラズマが邪魔をして彼はチキュウと通信が完全に出来なくなる。それはまるで眠りにつくようだった。

「はい、タイヨウの影になり、約一か月ほど通信を含めた全ての機能が動かなくなります」

「そうか」

 その頃になると、男は以前よりも彼に興味を持つようになっていた。男とは何もかもが違う。それでも彼と話しているのは楽しかった。男にとって、楽しいという感覚を持つこと自体が初めてのことだった。もっと彼と一緒にいたいし、もっと話をしたいと思うようになっていた。

 そうして、いずれ彼の体が失われるという事実が、男にもう一つの不思議な感覚を与えていた。

「……ねえ、ヨモツヘグイって知ってる?」

 男は彼の回線やパネルを通して、チキュウへアクセスし、彼の星や国の様々な情報や文化を知るようになっていた。

「ヨモツヘグイ、知りません」

「君の星の昔話だ。死の国であるヨミノクニの物を食べると、元の世界に還れなくなる。ここはチキュウから見たら宇宙の果ての死の国のようなものだ。

 この星のものを君がその身に取り入れたら、同じようにきっと君の体もチキュウに還れなくなる。きっとチキュウに辿り着く前に、君の体は四散するだろう」

 男は彼の兄の事を思い出していた。彼の兄もきっと、死の国のものを体に取り入れたからチキュウに辿り着けずに消えたのだ。美しい懐かしい故郷をその目に映しながら、燃え尽きる体で彼の兄は一体何を思ったんだろう。

「そうですか」

「今ならまだ間に合う」

「何がですか?」

 チキュウに辿り着けずに体が四散すると話しても、彼は驚くこともなくそれに淡々と返事をしている。男にはその彼の冷静さが不思議だった。

「君は、この星の物をその腹に収めなければいい。タマテバコなんて持ち帰らずに。このまま、タイヨウの影に隠れた状態で通信を切ってしまう手もあるんだ。そうすれば……」

 そうすれば、どうなるんだろうか。男は考える。ミッションは失敗。このまま彼の体が宇宙空間にロストすればチキュウの研究者は彼の事を諦めるだろう。

 彼はタイヨウの光がある限りは、その翼でエネルギーを作り生き続けられる。彼の兄のように、帰還後に大気圏で体が燃え尽きることはない。

 そうだ、命が尽きるまで、自分が傍にいればきっと彼も寂しくない。

 ただ、眠ったままだ。男と話をすることもない。あんなに誇りを持っていた自分の体も、大事なミッションも全て放り出すことになる。

 それは彼にとって果たして最善なのだろうか。

「ありがとうございます。テンシさんは優しいんですね」

 男が最初に訂正しなかったため、彼は男をそう呼ぶようになった。

「優しいなんて初めて言われた」

 観測所で働いて大分経つが、男はそういう感覚を持ったことも持たれたこともなかった。

「優しいです。いつも私と話してくれます」

「……ただの暇つぶしだ」

 そこで男はようやく思い出す。この観察は男にとってそもそも不本意に所長に頼まれた、休暇中の暇つぶしだったはずだった。いつの間にかそんな提案をするほど、彼という存在にのめり込んでいたのは男の方だった。

 自分らしくない、と男自身も思っていた。かつて男がこんなにも誰かに興味を持ったことはなかった。自分の内側の変化に戸惑いつつも、男はそれを否定することはなかった。その変化さえもあるがままだと思っていた。

「それでも、ずっと長い間一人きりで旅をしてきたので、話せる相手がいるのはとても嬉しかったです」

 彼は淡々と静かに言葉を紡ぐ。

「そう。俺も、君と話すのは楽しいよ。だから、」

「はい。どんな事があってもミッションは遂行します。例えこの身が弾けても構いません。私がタマテバコを運んでくるのを待ってくれているヒト達が、チキュウにはたくさん居るのです。私はその為に生まれた命です。たくさんのヒト達が私に期待しています。私はその役目を果たしたい。

 このミッションを成功させる為に、今たくさんのヒト達がチキュウで諦めずに頑張ってくれています。それがとても伝わってきます」

「そうか」

 彼の言葉に、男はそれしか返事が出来なかった。一番近くでこのミッションにかける彼の情熱を見てきたのは男自身だった。

「はい。この体は私のものでもあり、私だけのものではありません。たくさんのヒト達と私の誇りそのものです。

 今までそうだったように、私の命が消えても、私の命はずっと受け継がれます」

 彼は何の迷いもなくそう言った。その誇り高い表情に、男は何も言えなくなった。そういう彼だから、男はこんなにも惹かれたのだとようやく気付いた。

 そうしてタイヨウの影に入ると、彼はひと時の短い眠りについた。


 タイヨウの影から出ると、彼は無事に眠りから覚めた。男はそれに内心ホッと息をついた。男は彼が眠りについている間、ひと時も傍を離れる事はなかった。眠っている彼の姿をひたすらに眺めては、返事をしない彼に時折話しかけた。

 その間、男には観測所へ一時帰還しろと何度か所長から連絡があった。男はその連絡をのらりくらりとかわし、最終的に休暇を延長するとパネルから申請し直した。

「眠っている間に何か変わったことはありましたか?」という彼の言葉に、男は「何もない」とだけ答えた。

 しばらくして彼の大きなミッションが始まった。いよいよ最初のタッチダウンだ。

 一度目は途中で浮上したから、実質これが初めてのタッチダウンになる。

 ごつごつした岩だらけの小さな星は、着陸できるような平坦な場所がほとんどない。その中でチキュウの研究者たちがようやく最適だと見つけた場所は、彼の翼と同じ大きさしかない狭い場所だった。

 元々ここに来る前は、少なくともその数倍の広さの着地地点があると想定していたらしい。でも予想に反してこの星にはそんな場所はなかった。

 しかしここに来るまでに小型ロボットを降ろしたり、失敗はしたものの着陸の降下訓練を経ていたので、彼はその初めての困難なミッションにも自信をみせていた。

「きっと大丈夫です。私は皆を信じています」

 彼の自信に溢れたその表情に、今回はきっと大丈夫だと男も確信する。

 いよいよ彼の降下が始まり、男はその傍らで固唾を飲んでそれを見守った。物質としての体を持たない男には、何があっても手助けすることはできない。傍で彼を見届けるしかできなかった。

 彼の体がゆっくりと地表に降りていく。ホバリングをしながら、大きな岩山に翼がぶつからない様に体を器用に斜めに傾け調整している。今度は途中で急浮上をしなかった。書き換えたプログラムがうまく機能したらしい。

 初めてこの星の表面に降り立った彼は、その反動で岩や砂を巻き上げた。一瞬で腹の中のタマテバコに巻き上げられたそれらの粒を収めると、ゆっくりと浮上してきた。

 そして、またいつもの定位置に戻ってくる。

「やったな!」

 男は思わず大きな声を上げた。

「はい、やりました……。やれました!」

 彼の声もいつもよりも上擦っているように聞こえた。自信を持っていたとは言え、これは彼にとって初めての大きなミッションだった。彼が内心緊張していたのも、男には伝わっていた。

 一つのミッションが成功したことで、ようやく彼の肩の力が抜けたのが分かった。男も自分の体に力が入っていた事に気付く。

 二人で顔を見合わせて、ようやく笑いあった。

「すごいな」

「はい。この成功は、私に受け継がれたイデンシのお陰です」



 それから二か月後、彼の最大のミッションが始まった。

 爆発を起こし、小惑星の表面に人工クレーターを作る。それはかつてチキュウ上の誰も、彼の兄でさえ成したことがないミッションだった。

「上空から人工クレーターを作る装置を切り離します。そこから私は水平移動、垂直移動をして退避します。

 上空で爆発した装置から、人工クレーターを作るためのインパクタが発射されます。インパクタが地表に到達した時の爆発と衝突の瞬間を撮影するために、星の横辺りで小型カメラを切り離します。

 そこから私はインパクタの爆発に巻き込まれないように、星の後方まで移動し退避します」

「なるほど」

 彼の体が巻き込まれないように、爆発するまで時間差を作りその間に撮影カメラを設置しつつ退避するらしい。

 聞いたところだとその方法が一番いいだろうが、果たしてうまくいくのだろうか。完全退避までの時間は四十分だ。もし彼の体からインパクタの装置が分離できなかったら、もし退避が間に合わず爆発に巻き込まれたら、彼の体はチキュウに還る前にその場で四散してしまうだろう。少しでも計画が狂えば全てが終わるミッションだった。

 その繊細な操作を、三億キロメートルも離れたチキュウから行う。そもそも、チキュウで知りうるこの星の情報量は少ない。彼のプログラムを書き換えるのにもかなりの時間を要した。チキュウにある判断材料と言えば、彼の『目』や小型カメラが送っている情報しかない。彼らから見れば目隠しをされたまま、このミッションを遂行しているようなものかもしれない。実行するにはかなり緻密な計算が必要だろう。

 男の心配をよそに、彼のミッションは滞りなく進んでいった。

 彼の体は降下位置までホバリングし、予定通りインパクタの入った装置を無事に切り離した。それを見て、男はホッと息をついた。まず最初の課題はクリアできた。

 彼はそこから水平垂直に移動して、爆発の瞬間を撮影するための小型カメラを切り離す。そこから安全な空間まで移動して退避する。その姿を男はしっかりと確認した。

 それから上空で装置が爆発する瞬間を男は見ていた。薄い金属の板が爆発と同時に飛び出して、中央が丸く鋭くなって、弾丸のような形になる。それが見事に星の表面に当たった。弾けた岩や砂粒が宇宙空間に飛散していく。インパクタにより動いた岩と動かない岩はあったが、弾丸によって人工クレーターは確かに出来ていた。

 インパクタをこの形にしたのは、空中で爆発させることで熱によって成分を変質させないためと、岩を削る最大限の効果を得るためだろう。

 面白い。本当に、ヒトの発想力や行動力は面白いと男は思った。彼を作ったのもチキュウのヒトだ。こんな遠い星まで彼を送って、こんな芸当までさせることができる。それを全て計算の上でやってのける。生物の進化というのは本当に面白い。

 彼はしばらくそのまま退避した空間に留まることになった。爆発によって宇宙空間に飛散した岩や砂が落ち着くまでは、彼は人工クレーターに近づくことができない。


「何度も降下訓練をしていたので、今回もうまく降りられると思います」

「そうだな」

 爆発によって飛散した岩や砂粒がようやく落ち着いた三か月後、いよいよ最後のミッションが始まった。今度は、彼が作り出した人工クレーターによって、内部から噴出した新鮮な物質をタッチダウン方式で採取する。

 ただ、その結論に行き着くまでにはチキュウで大いに議論になったらしい。

 このまま彼をチキュウに帰還させるという選択肢もあった。一度はこの星の物質の採取に成功している。チキュウ上で初めて小惑星に人工クレーターを作ることにも成功した。この段階でも成果があると言えた。だから、再度危険を冒してまで二回目のタッチダウンをするべきか、という問題になったらしい。

 ただ、一度目に採取したのは地表面の粒だった。宇宙空間の放射能の影響で物質は変質している可能性は高い。彼らの本命はクレーターを作ったことで噴き出した内部の物質だ。そこにこそ目的の、真の宝物がある。

 タッチダウンをする降下の判断は難しい。降下する場所は噴き出した物質が多くあり、かつ彼が安全に着地できる場所であること。失敗すれば彼の体は宇宙空間でロストする可能性が高い。

 それでも彼らは降下することを決めたらしい。そもそもその為に、彼はたくさんのヒト達の期待を背負い、故郷からこんなにも遠く離れた星まで冒険してきたのだ。

 仮に男がチキュウの研究者ならば、危険を冒してもこのまま還る選択はしないだろう。そのぐらいの価値があるミッションだった。

 ただ男の個人的な意見としては、ミッションを遂行してほしくないとも思っていた。それはミッションの危険性の高さにおいてだった。クレーターを作ったことで、地形が変わった。その為、降下できる位置は前回とは変えざるをえない。そこが果たして彼にとってミッションを遂行できる最適な場所であるかも不明だ。

 それでもその事を男は口に出さなかった。その判断をするのも決定するのも、チキュウの研究者達だった。

 そうして、時間をかけてミッション続行の決断はなされた。

 今回も彼が降下するのは彼の翼がギリギリ入るくらいの狭い場所だった。

「いってきます」

 彼はまたゆっくりと降下した。一度目と同じようにホバリングしながら翼が岩に当たらないように体を傾ける。

 彼の体が地表に着地した。人工クレーターによって掘り起こされ、そこに降り積もっている内部の砂や粒が巻き上がる。タッチダウンでそれらを採集してタマテバコに収め、また浮上してくる。

 ミッションは成功したように見えた。しかし彼の体は傾いたままだった。予定の位置まで浮上してこない。

「どうした?」

 男が話しかけると返事があった。

「わからない、体がおかしいです」

 彼のその言葉に男は急に不安になる。

 ようやく、いつもの定位置まで彼の体が浮上してきた。

 男は彼の体をまじまじと観察した。エンジンを積んでいると思われる箇所から何かが染みている。男はすぐに燃料が漏れていることに気付いた。

 着陸時に問題はなかった。恐らく離陸時わずかに傾いた時の衝撃で岩に引っかけたのだろう。しばらくすると、燃料漏れは止まったように見えた。しかし漏れた一部が体にこびりついている。比重が変わる。このままでは恐らく体勢を制御できない。

「しっかりしろ」

「はい」

 男が声をかけると、返事がある。

 しかし彼は自分の体を制御できないまま、ゆっくりと宇宙空間を回転していた。そして突然スイッチが切れたように、ふつりと眠りについた。

 体が傾いたせいで、翼のパネルの角度がタイヨウから外れたせいだ。そのせいでチキュウとの通信も途絶えている。

「生きて還るんだろう。タマテバコを持ち帰るんだろう。頑張れよ」

 何度呼びかけても、男の言葉は彼に届かなかった。


 男は彼の体に触れることができない。こうして見守る事しかできない。それが歯がゆくて仕方なかった。

 ヨモツヘグイ。死の国のものを腹の中に入れた時点で死んでしまうのだったか。

 彼の腹の中には今タマテバコが入っている。その中に収められているのは、宝物だ。死者の国のものではないはずだ。

 男は、自分があんな話を彼にしてしまったことを後悔していた。自分が話さなければ、もしかしたらこんな風にはならなかったかもしれない。彼の国には「コトダマ」というものがあるのだと男は後から知った。言葉には力があるとされている。口に出して言った言葉は現実になるのだそうだ。

 それでも、それが本当に彼らの言う宝物だとしたら、彼はきっと死ぬことはない。現に彼は死んではいない。深く眠っているだけだった。

 そうして、もしかしたらこれで良かったのかもしれない、と男はまたふと思う。少なくとも、彼の体が四散することはない。このまま目覚めないかもしれないが、それでも男は彼の傍にいることができる。

 これは元々男自身が望んでいたことだ。コトダマが効いたのなら、男の願いはまさしく叶ったことになる。

 それなのに、男は自分の体にぽかりと大きな洞が開いたように思えた。実際に穴が開いているわけではない。でもなぜかそう感じた。自分の体の中を、冷たい風がひゅうひゅうとすり抜けていくように感じる。

 体に開いたその見えない穴は、男の中で次第に広がっていった。その真っ黒な大きな穴はどんどん広がって、そのうち男自身を飲み込むのではないかと思った。そうしていつか男の体も消えて、宇宙の一部になるのかもしれない。「死ぬ」とはそういう事なのかもしれないと、男は何となくそう思った。

 男は、自分の星のことを誇り高く、楽しそうに話す彼が好きだった。広大な宇宙の片隅で、彼と二人でいる空間は寂しくなかった。

 いや、それは少し違う。男は寂しいなんて感情をそれまで知る事がなかった。知識としては知っていても、心でその感情を感じたことはなかった。この寂しいと思う感情を男に教えてくれたのは、彼だった。

 彼と会って、彼を知って、彼を失って、初めて知ることが出来た感情だった。

 彼がいなければ、二人でいる喜びも楽しさも、自分以外のものに興味を持つことも、体に穴が空いたような虚しさも、胸を締め付けるような痛みも、泣きたくなるような冷たい寂しさも男は知ることはなかった。

 時間が経つにつれ、男の中にそんな色々な感情が押し寄せて溢れてきた。眠り続ける彼の隣で、男は時間をかけてそれを一つずつ嚙みしめるように味わった。

 そうして導き出された男の望みは一つだった。

「また、君と話がしたい」

 男は、彼に向かって幾度となく言葉にした。もちろんそれが届くはずもなく返事もない。それでも男は言葉にした。「コトダマ」の力を信じた。

 男は、心の中でも何度もそれを口にしていた。もう一度だけ彼と話がしたい。それ以上の事は望まない。本当にそれだけで良いと思った。

 彼の体が四散するよりはこのまま自分の傍にいれば良いとさえ思っていたことが、遠い昔のようだった。

 例え帰還して大気圏で彼の体が燃え尽きたとしても、彼が自分の誇りだと言っていた、このミッションを成功させてやりたいと男は思うようになっていた。彼のたった一つの願いを叶えてやりたい。でも男にはどうすることもできない。

 だからせめて、彼の体が朽ちるまで寄り添っていようと決めた。



「お前、まだ休暇中だって? 随分長い休暇だな」

「所長」

 どれぐらいの月日が経ったのか。男と彼だけのその場所にふいに所長が現れた。

 男がなかなか観測所に戻らないことにしびれを切らしたのか、座標を移動してきたのだろう。こんな風に所長が現地まで足を運ぶのはまれだった。思えば男が所長に最後に連絡をしたのは彼の最終ミッションの前だった。男は彼が眠りについてから、何もかもを放棄していた。

 所長は小さな半透明のパネルを持ち出して、彼の体を解析しながら探っているようだった。

 それを何となくぼうっと見ながら、久しぶりに彼以外と会ったなと男は思った。所長とは、男が休暇前に顔を合わせてから久しぶりの対面だった。男が観測所で働いてから、他の観察者にこんなに長期間会わずにいたのは初めての事だった。

「彼はこのままロストされるんでしょうか」

 男が口を開くと、所長はパネルを見つめながら考えこむように口元に手を当てた。

「どうだろうな。彼の体は離陸時の岩との接触の衝撃で回転したままだ。つまり、まだ望みはあるとも言える」

「……え?」

 予想外の所長のその言葉に、男は一瞬自分の耳を疑った。

「この小惑星の公転と自転に乗ってこのまま彼の体が回転していれば、いずれ角度が変わって彼の翼のパネルはタイヨウの方へ向くだろう。そのタイミングで、チキュウからの通信をキャッチ出来ればあるいは……」

「それは、そのタイミングが来るのは、いつですか」

 男の声は心なしか震えていた。それに所長は少し驚く。

 男はここに彼を観察に来てから明らかに変わった。その変化にかなり前の段階から、恐らく男本人が自覚する前から、所長自身は気付いていた。何にも興味を持てず、暇つぶしのために仕事をしていた男が、休暇が終わっても一度も観測所に戻ろうとしなかった。しかも休暇の延長申請までしていた。いつもはやることがないと休暇を早々に切り上げて仕事をしているような男だった。

 そして現地でこうして男を目の当たりにして改めて驚いていた。所長にはその変化の理由が分かったような気がしたが、それについてはあえて言及しなかった。

「可能性があるとしたら、計算上ざっと一年以内に六十から七十パーセントと言ったところだろうな。可能性としては低くはない。

 ただ、それがどのタイミングで繋がるかはわからない。しかもその間もずっとチキュウから彼に向けて電波を発信続けていなければ成功はしないだろう」

「もし、チキュウのヒト達が彼を諦められていたら……」

「ロストだ。ロストされた機体は今の彼らの技術では回収できない。彼はずっとこの宇宙空間をこのまま彷徨うことになるだろうな」

 いちるの望みが見え一旦浮上した男の心が、また重く沈む。

「いやです……。例え彼が還った先に死が待っていたとしても。タマテバコをチキュウに届けるという、彼の望みを叶えてあげたい。

 そして、俺はもう一度彼と話をしたい」

 所長がふと男の手元を見ると、両手を合わせるように固く握りしめていた。そこには今まで見たことのない彼の姿と、強い願いがあった。

「……それは、祈るしかないな」

 所長が小さく息を吐いた。調べる事はできても、観察者が出来る事はないのが現実だった。所長には、男を慰める言葉は無意味だと思えた。

「……テンシって、願い事を叶えてくれるんですか」

 ふと、男は彼の言葉を思い出す。テンシはカミの遣いだそうだ。テンシが願えば、カミがそれを叶えてくれるかもしれない。

「何だ、テンシって」

「ヒトに翼が生えたものだそうです。俺は彼にそう呼ばれていました」

「ふうん、テンシね……。祈りが届くかは分からないが、何もしないよりは気が紛れるだろう」

 所長はそれだけ言い残すと、その場を去った。

 また男と彼だけが残される。テンシは祈りながら、彼に傍に寄り添い、眠る姿を見続けた。



 ジジ、ジ、ジジジ……。

 数か月が経った頃、静寂を破るように彼の体から音がし始めた。ちょうどタイヨウの光が翼に反射している。

 男はその様子をじっと見つめながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 同時に彼の体が息を吹き返したように、内部が何かに反応し始めた。男がしばらく観察していると、少しずつ彼の体が動き出した。

「……私は、眠っていましたか」

 久しぶりに彼が言葉を発した。まるで微睡みから目覚めたような軽い言葉だった。きっと彼にとってはそのくらいの感覚だったのだろう。

「おはよう。眠っていたよ。ずっと、目覚めないかと思ってた」

 男はようやく大きく息をついた。まるで、今まで息をするのを忘れていたかのように、呼吸が急に楽になった。胸にあった大きなつかえがとれたような気持ちだった。

 チキュウの研究者たちは、ずっと彼を諦めていなかった。

 男はそれが嬉しかった。宇宙空間のどこにいるか分からない、どんな状況かもわからない彼に、チキュウの研究者たちは届くか分からない信号を送り続け、ずっと呼びかけていたのだ。たった一人宇宙に取り残された彼を助けるために。

 それが彼らにとってどんなに困難なことなのか、彼が眠っている間にチキュウにアクセスしていた男は知っていた。

 彼を待っているヒト達がたくさんいる。彼は、チキュウという惑星にとっての大きな希望だった。それが男にとっても誇らしかった。

「しばらくリハビリテーションが必要なようです」

 タイヨウの熱により、彼の体にこびりついていた燃料が蒸発していく。

「はは、そうだろうな。ずっと眠りっぱなしだったんだ。燃料も少し漏れている。生き残った回路を繋いで少しずつ動かしていくしかないだろう」

「はい」

 また数か月をかけて、チキュウからのプログラムの書き換えを行いながら、眠っていた体をほんの少しずつ動かす、彼のリハビリが始まった。今度こそ、彼はチキュウに帰還する。

 その先のことは男は話さなかった。

 彼が目覚めた、また話せた。男にはそれだけで充分だった。男の体にあったはずの見えない穴は、いつの間にか消えていた。



「チキュウへ帰還します」

 帰還のための全ての準備を終えた彼がそう言った。その瞬間が訪れるのはもうすぐだと男には分かっていた。

「そうか」

「今まで、ありがとうございました」

 彼の言葉に男は少し戸惑った。

「俺は何もしていない」

 実際、彼の体がロストしそうになった時でさえ、男にできた事は何一つなかった。

「いいえ、ここについてから、眠っている間も、ずっと私の傍にいてくれました。私はこの広大な宇宙空間で一人ぼっちではなかった。それがどれだけ心強かったか。

 私はテンシさんといられて、とても幸せでした」

 彼は嬉しそうにそう言った。

「そうか」

 男はその言葉を聞いて胸がいっぱいになった。自分の存在が彼の救いになったのならそれだけでここにいた意味はあったのだと思った。良かった。男は心からそう思った。

「さようなら」

「うん、さよなら」

 最後に交わした言葉はそれだけだった。それだけで充分だった。

 別れの瞬間まで、彼をここに引き留めたいと思う気持ちが、男にないわけではなかった。でもそれを口に出すことはなかった。彼にとっての幸せは、眠りながらこの宇宙空間に自分と居る事ではない。彼にとっての一番の幸せは、命に代えても大事な任務を全うすることだ。男にはそれが充分に分かっていた。彼が幸せならばいい。彼にとっての幸せが、男にとっての幸せでもあった。

 それなのに、この胸の詰まるような感覚は何だろうか。男には分からなかった。胸につかえた何かのせいで、また会おうという言葉はとうとう出てこなかった。その願いが叶わない事を男は知っていた。叶わない約束はできなかった。

 ゆっくりと真っ暗な宇宙空間を進みながら、彼の姿が遠ざかっていく。またしばらく彼の一人きりの旅が始まる。

 男はその姿が小さな点になって見えなくなっても、ずっと見送った。



「お、珍しく仕事してるな」

 男の頭に、所長の手のひらがポスンとのる。男はそれを首を動かして振り払った。

 男は長い休暇を経て、通常通り観測所の仕事に復帰していた。休暇中の手当は約束通り所長によって振り込まれていたが、男はそれを確認しなかった。

「今日辺りじゃなかったか」

 所長が興味深そうに男の顔を覗き込む。

「何がですか」

 目の前にいくつも浮かんだ半透明のパネルに向かいながら、男はぞんざいに返事をする。

「彼の帰還」

 所長のその言葉に、男は一瞬手を止めそうになって、何でもないようにまたいつもの作業を続ける。

「さあ」

「見ないのか」

「別に」

 男は所長にそっけなくそう言うと、興味がないふりをしながらパネルから視線を離さなかった。しかしその指先が動いていないのを、所長は見逃さなかった。

「ふうん」

 その脇で、所長が手元の小さなパネルに目を向ける。映し出されているのは、彼の帰還間近の姿だった。

「無事にチキュウまで還れたようだね」

「彼は優秀ですから」

「ふうん」

 所長は面白そうなものを見る目で男をちらりと見た。そしてまたパネルに視線を戻す。

 彼が無事にチキュウまで旅を続けたことは、男も知っていた。ずっと見ていた。それでも、彼の最後の姿は見たくないと思った。大気圏に突入すれは、彼の体は燃え尽きる。何度も想像したが、男にはどうしてもその姿を見る勇気が持てなかった。

 男は、ともに過ごした一年半の彼の誇り高く立派な姿だけを覚えていようと思っていた。


『――六年の長い旅を終えて、小惑星リュウグウを目指した探査機が地球に還ってきました。オーストラリアのウーメラ砂漠を目指して、探査機から切り離されたカプセルが大気圏に突入しました。満天の星空の中を、光の筋が真っすぐに横切っていきます。美しい光跡です。パラシュートを開いて減速したカプセルは、信号を発しながら回収の居場所を知らせます――』


 所長の持つパネルからそんな言葉が流れた。男は思わず息を呑んだ。

 夜空を横切る一筋の光。その光景を思い浮かべた。そうか彼は無事にミッションを終えたのか。タマテバコをチキュウに持ち帰る事、それはたった一つの彼の願いだった。彼の願いは叶ったのだ。その身を犠牲にしても。

 彼の体は燃え尽きたのだろうか。男がその姿を想像していると、ふいに所長が声を出した。

「スイングバイだ」

 いつか彼から聞いたことのあるその言葉に、男は立ち上がった。

「スイングバイ?」

「ああ、見てみろ、彼の軌道だ」

 差し出されたパネルを見てみると、サンプルを切り離した後、彼は大気圏に突入することなくそのまま地球の軌道を回っている。

「チキュウの軌道を周りながら、重力を利用して加速している。スイングバイだろう」

「本当だ」

 あの小さな星に辿り着くまで、彼はこのチキュウの重力を利用したスイングバイという方法で加速したのだと言っていた。燃料の節約にもなるのだと言っていた。チキュウの軌道と探索先の星の位置をピッタリと合わせるのはかなり計算が難しいのだと。

「本当だ……」

 パネルに映し出された軌道をじっと見ながら、男はまた同じ言葉を呟いた。

「恐らくまた探索先に軌道を合わせるのに時間は必要だろうが、彼はこのままチキュウには還らずに拡張ミッションを続行するんだろう」

「拡張ミッション……」

「ああ、また彼は新しい星の探索をするための旅に出るということだ」

 所長がまた男の頭にポンと手のひらをのせる。男は今度はそれを振りほどかなかった。

「そう、ですか」

 急に体の力の抜けた男は、その場でしゃがみ込む。生きていた。彼はまだ四散することなく、生きていた。

「ただ、恐らく次回の旅は本当の意味で片道切符にはなるだろうな」

 それは、男にも分かっていた。彼の体は二度とチキュウに帰還することはない。元々還るように作られた体ではなかった。それでも彼は自分の使命の為に行くのだろう。

「また休暇を取ってもいいですか」

 男は所長に尋ねる。所長は腕を組みながら、大きくため息をつく。

「まあ、異物の観察も仕事のうちだからな。どちらにしても誰かついているしかない。希望者がいれば優先させる。休暇申請は出さなくていい。ただ、今回はここをもっと長く空けることになるだろうから、引継ぎだけはしっかりやっとけよ」

 所長がまたぐりぐりと男の頭を撫でる。

「はい」

 男の顔を見て、所長は眉尻を下げる。

 所長の頭の中に、資料で見つけたテンシの姿が思い出された。真っ白な翼を持ったヒトの形をしたもの。そう言えば、遠い先祖がチキュウでそんな名前で呼ばれていたなと思い出すが、言葉にはしなかった。自分たちが何者であろうと、関係ない。ただそこに在るだけだ。

 男の心はもうすでにここになかった。

 彼が宇宙空間に出てくるのはいつ頃だろうか。今度はどんなミッションを遂行するんだろうか。旅の期間はどのくらいだろうか。話したいことはまだたくさんある。

 それから俺の事も話そうか。彼の話ほど面白くはないが、長い旅のいい暇つぶしにはなるだろう。

「今度は一緒に旅をしよう」

 男はパネルに映る彼の姿を見つめてそう呟いた。彼に聞こえなくてもいい。それは男の「コトダマ」だった。

 二人で翼を広げながら、どこまでも真っ暗な宇宙を旅しよう。今度は目を逸らさずに、ずっと彼の傍にいよう。彼の命が尽きるその瞬間まで。

 それが唯一、男が彼の為にできること、そして男のたった一つの願いになった。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集