間接民主制の限界とAI活用の模索
当然、ホッブズの社会契約説、ロックの革命権、ルソーの一般意志は理解した上で、今の国会運営が果たして一般意志の創出につながっているかと考えると、甚だ疑問ではある。
民意を問うと言いながら、選挙を行えば有権者の数が多い高齢者の意見が尊重される。政党は支持母体からの意見を聞かざるを得ず、利権が発生し、お金を投資した組織に有利な政策が推し進められる。
衆議院を解散して、選挙に勝つことで、今の政権は自分たちが支持されていると証明をすることができる。それが世論となる。その世論を盾に、政策が進行される。
その形式的なプロセスが重視されているが、では中身が一般意志なのかと言われると、やはり懐疑的になってしまう。
ここで感じる違和感は、制度そのものだけではなく、制度を運用する人間の性質にも根差している気がする。
選挙制度は多数の声を拾う仕組みではあるが、それは必ずしも社会全体の長期的な利益や、将来世代の意思を反映する仕組みではない。
短期的な支持、数として見えやすい声、組織化された意見が、どうしても優先されやすい構造になっている。
選挙、民主主義の限界なのか。
かといって独裁が良いかと言われれば違う。
寡頭制も違う。
やっぱり、今の民主主義がやはり一番マシには見える。
だが、そろそろアップデートしていく必要があるのではないだろうか。
こんなことは今までの歴史の中で、たくさん頭のいい人が考え尽くしている。
が、結論が出ない。
テクノロジーと国家運営の融合。
一般意志と思われるものを、どう納得感を持って作ることができるか。
AIを絡めて、選挙や政治情勢を分析することは、良いことだと思う。
膨大な数の声を分析することができるからだ。
ただし、それが単なる多数決の補助になってしまっては意味がない。
「〇〇という意見が多いから、それが世論だ」
「人々が一番求めているのは〇〇だ」
そうなってしまえば、何もかもアンケート形式で行えばいいという話になる。
しかし、一般意志の形成は、そんなに単純なものではない。
おそらく、AIに任せるべきなのは「判断」ではなく「整理」なのだと思う。
矛盾する意見、対立する感情、立場による認識のズレ。
それらを可視化し、人間が考えるための材料を整えること。
最終的な意思決定は、人間が引き受け続ける必要がある。
しかし、人間が意思決定をする時点で、その人間の色眼鏡が入ってしまう。
代表者の文化的、社会的背景が、一般意志の解釈に反映される。
それは果たして、一般意志たりうるのか。
こうやって書いている自分自身が、利己的な想いなしに世間を見ることができているかと言われれば、自信はない。
誰もが何かしらの立場を持ち、完全に中立な視点など存在しないのかもしれない。
それでもなお、
「どうすれば、よりマシな一般意志に近づけるのか」
この問いを考え続けること自体は、放棄してはいけない気がしている。
そんなことを考えている、今日この頃。
補足:
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN060HL0W6A100C2000000/
オードリー・タン氏は実際にアメリカでAIを活用して、意見の収集をおこなっている。
