その偏差値でその参考書はねぇよ【塾講師の日常ショートショート】
「君、その学力でその参考書はキツイだろ…」
そう言いたくなる生徒が、私の塾にもたくさんいます。
そんなとき、私はどうしているのか?
私の指導の真骨頂を小説にしました。
実在する参考書名もたくさん出てきますので、
是非お読みください。
三月のある日の午後。
「入塾希望です」と告げて、一人の少女が燕塾を訪れた。高校二年生。春から受験学年になるため、面談を受けに来たのだ。
講師の石川光太郎(いしかわ・こうたろう)はまず、差し出された成績表に目を通した。
——英語、国語、数学。どれも偏差値は四十二ほど。なんとか中堅私立大学、たとえば専修大学や東洋大学なら狙えるが、それ以上となると厳しい。
「なるほど。ここからなら中堅私大を目標にするのが現実的だね」
そう言いかけた時、彼女のカバンから分厚い参考書が顔をのぞかせた。
手に取って開いた光太郎は、思わず眉をひそめる。
そこに並んでいるのは、『英文解釈の技術100』や『英作文のトレーニング』。どちらも通葉市立大学志望者が手に取るような、難関国立大向けの参考書だった。
通葉市立大学——この街の名門。偏差値六十五。関東なら一橋大学、関西なら大阪大学に匹敵する難関校だ。
「これ、全部やってるの?」
「はい! ネットで『通葉市立を目指すなら絶対このシリーズ!』って書いてあったんです。だから、これさえやれば大丈夫だと思って……」
少女の声は力強かった。だが光太郎は静かに首を振った。
「いや……君の現状でこれをやるのは、無謀だよ」
「なんでですか!?」
少女の目が大きく見開かれる。
「だって難しい問題を解けるようにならないと、通葉市立には受からないじゃないですか! ネットにはそう書いてありました!」
少女は口を尖らせた。
そんな少女を尻目に、光太郎は彼女が今やるべき難易度の参考書を取り出し、机の上にドンと置いた。
「『ターゲット1400』とか、『これでわかる基礎問題集 英文法』なんて、簡単すぎます。今さら中学生みたいな勉強したくありません!」
光太郎は少し笑って、机の端にあった『ターゲット1400』を手に取った。
「じゃあ、試しにやってみようか。君がすでに“できている”っていうなら、これくらい楽勝のはずだ」
ぱらりとページを開き、指で単語をなぞる。
「——determine」
少女は一瞬で固まった。
「……えっと、えっと……“消す”?」
「違う。『決定する』だ」
光太郎は次のページをめくる。
「じゃあ——regard」
「……“守る”?」
「あらら。『みなす』だ」
少女の顔に赤みが差す。光太郎は本を閉じ、静かに言った。
「ね?土台を飛ばして“難しい本”に走るのは、合わない靴で無理に走るのと同じなんだよ」
少女は黙り込み、光太郎はさらに続けた。
「正直、あなたが通葉市立に合格する可能性はゼロだ」
少女は体を震わせ、目を真っ赤にする。
「現実的に合格可能な中堅私大に舵を切った方がいい。そうなると君に必要なのは、この分厚い問題集じゃないんだ。まずは『ターゲット1400』で単語を固めること。そして『これでわかる基礎問題集 英文法』で文法を整えることだ」
沈黙ののち、少女は小さな声でつぶやいた。
「石川先生の言う通りにします。こんなにちゃんと教えてくれるなんて。しかも、まだ塾生じゃない私に。感動しました。入塾したいです」
光太郎は微笑んだ。
机の上の分厚い参考書は、その瞬間、静かにカバンへ戻されていった。
「いつか、その難しい参考書を使う日が来るように、頑張ろうぜ」
少女は柔らかな笑みとともに頷いた。
——自習を導くのは、本ではなく、人。
その真実を理解したとき、受験はようやく始まる。
少女が帰り際、ふと振り返って言った。
「石川先生、ネットの人たちって、やっぱり嘘つきなんですかね?」
光太郎は肩をすくめた。
「嘘じゃないさ。ただ、君に合った薬じゃなかっただけだ。胃薬を頭痛に飲んでも効かないだろ?」
少女は一瞬ぽかんとした後、くすっと笑った。
——重苦しい空気の中で、ようやく少しだけ、春の光が差した。
【あとがき】
こういう相談、本当に多いです。
「ネットで見た“オススメ参考書”を信じて突き進む」
そこ気持ちは分かるのですが、合わない靴で走っても遠くへは行けません。
受験において大切なのは、参考書そのものではなく、「自分に合った段階のものを、きちんと積み上げること」です。その道を一緒に見極め、管理していくのが講師の役目です。
参考書選びこそ、「大人が介入すべき事案」だと、私は思っています。
こうした“段階に合った勉強法”をもっと具体的に知りたい方は、私のメンバーシップでお話ししています。教材選びに悩む先生・保護者の方にとって、きっとヒントになるはずです。
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