見出し画像

読書感想文の苦い思い出

わたしは作文は得意だったけれど、感想文は苦手だった
思ったことを書けばいい、それを思うように文字に、言葉に出来なかった

そもそも読書が苦手だった

小学校5年生の時だったと思う。課題図書ではなかったかもしれない。当時は映画と同時進行で小説や児童書、写真集なども出ていたかもしれない

『南極物語』

わたしの親友はとても賢く勉強もできた。宿題も課題もサクサクとこなしていた。でもわたしにはできなかった。やりたくなかった。やってもできないことが多かったから
わたしは彼女のような優等生に憧れた。彼女のようになりたかった。彼女と遊ぶだけでなく、勉強の話もしたかったから、近づきたかったし、同じレベルに立ちたかった。すると子どもは「できる振り」をする。わたしも、そうした

彼女は活字を読み、なおかつ映画を見に行って感想文を書いた。わたしは映画に行ける状況でもなかったから、彼女の話だけで感想文を書こうとした。当然それは薄っぺらなものだった。それでも結果は同じ。とりあえず仕上げたのだから
けれどわたしは小心者で、罪悪感に襲われた。それでも本は読みたくなかった。びっくりするくらい頑なに!
彼女はわたしに本を貸してくれたけれど、2週間、家の中に置いてから彼女に返した。結局読めなかった
本は嫌いじゃないし、図書館も大好き。なのに活字はわたしを拒んだ。何故だろう

精神年齢って関係あるのかな。今なら、児童書は読める。大人になってから呼んだ児童書はとても面白かったし、子どもの頃に読めたら良かったという後悔もついてきた。感じることが違うだろうと思ったから

『南極物語』というと、健さんの「タロ」「ジロ」という声が聞こえる。あの感動の再会シーン
実は小学校自分のわたしは、この映画を観ることすら苦痛だった。なんで漫画じゃないのか、と。多分じっと座っていることも、アニメじゃないと無理だったと思う

後にテレビで観ることになる。昔だったからカットされたものをCM含め2時間弱。ちょっとうるっとしたかもしれないけれど、当時の感情は覚えていない
そして今は、映画は好きだけれど『南極物語』のような映画は覚悟を決めないと観れない。今は犬も飼っているし、映画の中のわんこたちが悲惨な最後を迎えるシーンがツラい

何年か前、どうしても観たくてレンタルしようとしたら健さんのやつではなく海外のものしかなく、なんで?となったことがあった
大人になると、夏目雅子のシーンとか、観たいところはたくさんあって「あぁ高倉健って、ほんとにかっこいいんだな」とか、感じるところもまた違った

今なら読書感想文も書けなくはない。小学生の自分にも「ほんとバカだなおまえ」くらいの皮肉も言ってやりたい。おそらく授業だって今なら楽しく受けられるのに、あの頃はなんで出来なかったんだろう。精神年齢とか家庭環境ってあるのかな
自分がそんなだったから我が子もそんなだろうと思っていたけれど、そうでもなかった。じゃぁやっぱりわたしがバカなだけだったんだろうか

適齢期! そういうことはあるかもしれない
なんでもできる年齢ってある気がする。小学校の頃のわたし、同級生だからといって同じようには行かなかった。やっぱり少し遅れていたのだと思う。気持ちも体も
大人になってからだって、仕事もサクサク行かなかったし、30過ぎた頃ようやく納得できたことがある。ひとより10年くらい、わたしには経験が足りてないんだろうな。今も

感想文書こうとは思わないけど


なんか支離滅裂だな




いいなと思ったら応援しよう!

たゆ・たうひと いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです

この記事が参加している募集