AI時代の到来を、自分の仕事で実感した日

AI時代の到来を、自分の仕事で実感した日

私は76歳になる。大学を出てから半世紀以上、さまざまな仕事に携わってきた。某組織に28年間勤務した。12年ほど経ったころ事務の現場でパソコンと出会った。それまでは、パソコンなしで仕事をしていたのだ! 当時は、一太郎やマルチプランでした。その悪戦苦闘した日々から数えれば、パソコンとの付き合いは40年を超える。

NIFTY-Serveのフォーラムで(このころにShareという概念を得た)見知らぬ人々と情報をもらい交換し議論を交わし、そしてWindows 95に興奮し、ブロードバンドの到来を経験し、iPhoneを日本発売後間もなく手にした。テクノロジーの進化とともに歩んできた、若干だが自負がある。だから、AIについても「これは来る」という確信は早くからあった。

しかし、「確信がある」ことと「自分の身体で実感する」ことは、まるで違う。


数日前、ある業務でAIの支援を受けた。Webの管理システム上で、千件近くにのぼるデータの整合性を一件ずつ確認し、不備があれば修正するという、地味だが正確さを求められる仕事である。

参照表と実データを突き合わせ、数値のずれを見つけ、原因のパターンを分析し、修正を施し、反映し、再び検証する。ページ構成や座標の計算も絡む。手作業でやれば丸一日ではとても終わらない。数日かけている類いの仕事だ。何十年ものあいだ、こうした「作業をパソコンの前でこなし」てきた。

AIにこれを依頼した。AIが人のパソコン作業を代替し始めたと世界で騒がしくなっている。この仕事をやってもらおうとチャレンジした。

結果は、驚くべきものだった。AIはデータを取得して参照表と照合し、数十件の規則的な誤りを検出した。さらに別のデータ群では、統計的な分析から、ある特定の数値だけが完全に欠落しているという異常を見つけ出した。数字の取り違え(「25」と「35」のような)が原因だった。AIはそれらを特定し、修正し、検証まで一貫して完了した。

私がしたことは、作業の依頼と、途中経過の確認だけだった。作業の依頼には少々「AI言葉」と「AI発想」が必要になる。初めての体験だけど、私にはAIというアドバイザーがいる。AIの支援を得て、AIへの適切な依頼文を作った。AIに作業をさせるにもAIがいなければできないのだ。(ちょっと言葉にするとややこしいけど…)


この体験で感じたことは、メディアが繰り返し報じている「AIが仕事を奪う」という話とは、少し違うものだった。

私が感じたのは、もっと静かで、もっと具体的なことだ。

今、日本だけでも何千万人という人が、毎朝オフィスに出勤し、パソコンの前に座り、データを照合し、数字を確認し、表を更新し、ファイルを整理している。私自身が何十年もやってきたことだ。その仕事の一つひとつは、派手ではないが、正確さと忍耐を必要とし、経験と勘がものを言う。だから「給料の源泉」たり得てきた。

その仕事を、AIがほぼ問題なくやり遂げた。しかも、私より遥かに遥かに速く、私より正確に(人間はルーティンな仕事では特に"間違い"を犯す)。

これは、テレビやSNSで見聞きした「AIが仕事を変える」という話ではない。自分の手元で、自分の仕事で、自分の目で確認した事実である。


誤解のないように書いておきたい。私はこのことを悲観として語りたいのではない。逆だ。人類の明日への希望を見たのだ!

76歳にして、自分の作業を支えてくれる存在が現れたことは、率直にありがたい。体力も視力も、若い頃とは比べものにならない。数百件のデータを一つずつ目視で確認する作業は、正直なところ身体的につらくなってきた(めんどい…が先に立つ)。AIがそれを引き受けてくれるのであれば、私はその分の時間と体力を、もっと本質的なことに使える。何を作るか、誰に届けるか、どんな価値を生むか。そちらに集中できる。

しかし同時に、この技術が広がったとき、30代や40代の働き盛りの人たちにとって何を意味するかは考えざるを得ない。パソコンの前でデータを扱う仕事は、多くの人にとって生活の糧であり、社会参加の手段であり、自分の居場所そのものだ。それが「AIにもできる仕事」「AIの方が安く、早く、正確にできる」となったとき、人はどこに自分の価値を見出すのか。

私にその答えはない。しかし、この問いは空想ではなく、もう現実に起きていることだ。


40年前、事務所に初めてパソコンを導入したとき、周囲には使う人が誰もいなかった。「そんなもの、何の役に立つのか」とか「手書きではなくワープロで打ったお詫び文を送ってきよった!」とある取引先からクレームを言われた。それでも私はキーボードを叩き続けた。なぜなら、これは来ると確信していたからだ。

今、同じことを感じている。AIは来る。もう来ている。

違いがあるとすれば、40年前のパソコンは「人間がやる仕事を効率化する道具」だったが、今のAIは「人間がやっていた仕事をそのまま代替し遂行する存在」だということだ。道具と協働者の違いは、想像以上に大きい。

能楽堂に30年以上通い続けて、ようやく700年の芸術の深さがわかりかけてきた。物事の本質を理解するには、長い時間がかかる。AIが社会をどう変えるかも、今はまだ輪郭が見え始めた段階にすぎないだろう。

ただ、一つだけ確かなことがある。

これは誰かの予測でも、ニュースの見出しでもない。私が自分の仕事場で、自分の手で確かめた事実だ。その重みは、どんな記事よりも大きい。


当然ですが、この文も大半はAIが書いてくれました。若干の修正を入れたのみです。


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