【雑記】三月と原宿
三月は、僕にとって割と特別な記憶のスイッチを押してくれる。
ある年、僕は不登校になった。
大学入試に全て失敗した僕は、上京することにした。
東北の片田舎の高校生が、いきなり東京の予備校に通うことになった。
当時、山手線に乗って原宿を通過していた皆さんはご存じと思うが、原宿駅竹下口の直ぐ前にその予備校はあった。
なぜ、そこに通うことになったのか。父が勝手にそうしたのである。
入試に全て落ちたのを知った父は、一応僕の意向を聞いてくれはしたが、そこは典型的な昭和の親父だった。
「どうする?」
「東京に行きたい」
「じゃあ、予備校に行け。 後は任せろ」
父は、さっさと予備校の申し込みを済ませて、「ここへ行け」だけだった。
いつも、独断専行だった。いずれにしろ東京に無知な僕には何もできなったに違いない。
父は、目黒で生まれ育った江戸っ子でその証拠に気が短いことで周囲に認知されていた。
今となるとそれも懐かしい。
予備校への登校初日である。
教室内はざわついていた。講師が登壇して少しは落ち着いた気もしたが、それにしても気になったのは前の方の生徒たちと講師が妙に馴れ馴れしいことだった。
おそらくではあるが、現役高校生時代からここに通っているグループが存在するのだった。
皆、同じスタートラインからと思っていたが、違っていたを思い知ったのである。
驚くほど急速にモチベーションが低下した僕は耐えきれずに教室を抜け出した。
何もない日の午前中、うららかな日だった。
竹下通りを散歩するなら絶好の設定に違いなかった。
突き当りの明治通りまでぶらついた。
明治通りを渋谷方面へ少し行くとオープンしたばかりのラフォーレ原宿があって入口前の歩道には手回しオルガンを鳴らす外国人のおじさんがいたりした。
僕の典型的な原宿のイメージは、今もこの場面である。
次の日も早々に教室を抜け出した。竹下通りを抜けてキディランドで時間を潰す。
その次の日は、キャットストリートを渋谷までただ歩くだけ。
などなど、とにかく一年中暇つぶしのネタには事欠かないのだった。
そのうちに予備校にはほとんど顔を出さなくなってしまった。
生れてはじめて不登校になっていた。
それでも、予備校まではほとんど毎日通っていた。
原宿までの定期券もあったし、好きな時間に電車に揺られるのは嫌いじゃなかった。
親の援助に対する後ろめたさもあったに違いない。
結局、原宿の予備校に一年、次の年から渋谷の専門学校に二年通うことになった。予備校時代の不登校のおかげもあってこの界隈には少しばかり詳しくなってしまった。
変わり続ける街だから、もう役には立たないけれど。
原宿駅は旧駅舎の方が味があったな。ラフォーレやキディランドは健在らしい。最近の竹下通りの混雑ぶりを見るにつけ、もうそこを歩く気になれない自分がいる。
渋谷のタワーレコードは宇田川町から移転してしまったし道玄坂のヤマハはもうなくなってしまったのだな。
LPレコードを置き忘れて、戻ってみたらもう無かったセンター街のゲーセンはとっくの昔に跡形もないだろうな。
もう少しあったかくなったら懐かしい界隈をぶらつくのも悪くないかなと、久しぶりに思う今日このごろ。
今日は、この時期にしては珍しくうららかな日だったから、つい、長々と思い出に浸ってしまった。
