療育の現場で聞こえた「早くして」にモヤっとした理由
最近、療育の現場である声かけを聞いて、ふと違和感を覚えたことがあった。
子どもたちに向けた、よくある声かけだ。
「急いで」
「早く」
「早くしないと先生行っちゃうよ〜」
「はい、5、4、3、2、1!」
子育てをしている人なら、一度は言ったことがある言葉かもしれない。
園でも家庭でも、活動の流れがあり、時間の制約がある中で子どもたちを動かさなければいけない場面はたくさんある。
朝の準備、着替え、片付け、移動。
大人が次の予定を把握しているからこそ、どうしても子どもを急かす言葉が飛び交う。
そして実際のところ、こうした声かけは「行動を促す」という意味ではある程度有効だと思う。
焦りの感情が生まれることで、子どもが動き出すことは確かにあるからだ。
時間が限られている生活の中では、必要になる場面もあるだろう。
だから私は、こうした声かけ自体を完全に否定するつもりはない。
ただ、同じ言葉を療育の活動の中で聞いたとき、私はとても大きな違和感を感じた。
それはなぜだろうか。
少し立ち止まって考えてみた。
そもそも療育とは何だろう。
私は療育の大きな目的の一つは、
「その子らしさを持ちながら社会参加できるようにすること」
だと思っている。
さらに言えば、
・自分の気持ちを知ること
・気持ちを調整する力を育てること
・人との関係の中で安心して行動できること
こうした力を少しずつ育てていく場でもある。
そう考えると、
「とにかく活動に参加させる」
「流れに合わせて動かせるようにする」
それだけが目的ではないはずだ。
もちろん、活動に参加する経験は大切だ。
集団の流れに乗る経験も、社会性を育てる上では重要だろう。
しかしそれは、無理にでも参加させればよいという話ではない。
その子が
「やってみようかな」
「ちょっと参加してみようかな」
と、自分の中で気持ちを調整しながら行動できるようになること。
そこに意味があるのではないだろうか。
療育の現場では、子どもが活動にすぐ参加しないことはよくある。
・気持ちの切り替えが難しい
・新しい環境が不安
・感覚的に苦手なことがある
・そもそも今はやりたくない
理由は様々だ。
そんなとき、大人が
「早くして」
「5、4、3、2、1!」
と焦らせて行動させることは、一見するとスムーズに見える。
でもそれは、
子どもが自分で行動を選んだわけではない。
焦りやプレッシャーに押されて動いただけかもしれない。
それは本当に療育的と言えるだろうか。
私はそこに、少し疑問を感じてしまう。
もちろん、支援の現場では難しいこともたくさんある。
時間の制約もある。
他の子どもたちもいる。
活動を進めなければならない場面もある。
だからこそ、支援者にはスキルが求められる。
例えば、
・今は参加できない理由は何だろう
・少し待てば気持ちが整うのか
・環境を変えれば入りやすくなるのか
・役割を作れば参加できるのか
そんなふうに、子どもの様子を観察しながら関わり方を調整していく。
時には
「見てるだけでもいいよ」
と伝えることが必要なこともある。
すると、しばらくしてから
子どもが自分から近づいてくることもある。
その瞬間こそが、
子ども自身の**「やってみたい」という気持ち**から生まれた行動なのだと思う。
そして、その経験こそが
「できた」
「参加できた」
「楽しかった」
という成功体験につながっていく。
私は、療育の現場にいる大人には
子どもを動かすスキルではなく、子どもを理解するスキルを大切にしてほしいと思っている。
焦りの気持ちを利用して行動させることは、実はとても簡単だ。
でも、
子どもの気持ちを読み取り
環境を調整し
安心できる関係を作り
自分から動きたくなる状況をつくる
これは簡単ではない。
だからこそ、支援の専門性が必要になる。
療育とは、
子どもを「型にはめる場所」ではない。
その子がその子らしくいながら、
社会の中で安心して生きていく力を育てる場所だ。
だから私は、
療育の中でこそ
急かす言葉ではなく、待つ力
を大切にしてほしいと思う。
大人が少し待つだけで、
子どもは自分のタイミングで動き出すことがある。
その小さな一歩は、
誰かに急かされて踏み出した一歩よりも
ずっと大きな意味を持つ。
療育に関わる人たちには、
ぜひこの視点を忘れずにいてほしい。
私は、あの日感じた小さな違和感が
改めて療育の大切な視点を思い出させてくれた気がしている。
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