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本のある場所:「風の盆恋歌」 新潮文庫 著:高橋 治

越中八尾、その名を聞くだけで、胸がぎゅっとなる。
何回目かの再読である。最初に読んだのは、たぶん三十代か四十代のころ。子育てのまっただ中で、なぜこの本を手に取ったのか、今となっては思い出せない。きっとテレビドラマや歌が流行っていたせいだろう。
ただ、その内容よりも「越中八尾」という響きに惹かれたように思う。その証拠に、物語の筋はほとんど覚えていないのに、行ったこともない八尾の町並みがまるで見てきたように浮かび、胡弓の調べに乗って切なさだけが残っていた。
不倫という言葉も、その頃の私にはまだピンとこなかった。

越中おわら風の盆を背景に、二十年にわたる男女の恋を描く、そう本の帯にあった。

「もう一度、私を風の盆に連れて行ってください」

(おわら風の盆より)

五十代半ばにも読み返している。このときは内容に強く反応した。
すでに「不倫」という言葉では括れない。こんな純愛はもうないな、羨ましい、と感じたのを覚えている。

互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女がたどる、あやうい恋の旅路を、金沢、パリ、八尾、白峰を舞台に美しく描き出す、直木賞受賞作家の長編恋愛小説。

新潮社の紹介文にはそうある。ただ、「あやうい恋の旅路」という言葉が少し引っかかる。不倫小説やメロドラマを匂わせるその響きが惜しい。
私には、金沢や白峰といった思いの深い土地を舞台に、登場人物たちの息づかいがひたひたと伝わってくる作品として記憶されている。
行ったことのない八尾さえも、目の前に浮かぶのが不思議だ。地元の血がそう感じさせるのかもしれない。

母が亡くなった。母は北陸の生まれだった。当時は「北陸出身」同士というだけで、互いに助け合うような文化があった。あの暗い雲の下で半年を過ごす、そんな鬱屈を共有していたのかもしれない。

物語の舞台・富山県八尾町(現・富山市八尾町)は、北東から南西へと細長く伸びる坂の街。その光景が目に浮かぶ。この作品が1984年に『小説新潮』へ発表されたときの原題は「崖の家の二人」だったという。「風の盆恋歌」という改題によって、初めてこの物語が救われた気がする。

AIの説明によると、「風の盆」は富山県八尾地域に伝わる伝統行事で、収穫前の稲が風の被害に遭わないよう豊作を祈る祭り。毎年9月1日から3日に開催され、編笠をかぶった男女が哀愁を帯びた三味線や胡弓の音に合わせて優美に踊るという。

昨年、母の本を書いた。母は十代後半を東京で過ごし、旧家に下宿しながら女中奉公をして学校に通った。そのとき同じく下宿して学校に通った友人がいた。ともに卒業し、田舎へ帰る予定だった。
昭和二十年三月、空襲の夜を二人で逃げ、やがて離れ離れに。
母はその友人が八尾の出身だと話していた。きっと生き延びて、八尾で幸せに暮らしているだろうと信じていたのだろう。
だが、その彼女は空襲で亡くなっていた。それを知ったとき、母は六十歳を越えていた。

七十五歳の今、再び読み返した。なぜ八尾が気になったのか。あの町が私にとって「哀しい場所」だったのは、母の記憶が私の中に生きていたからだと気づく。

おわら風の盆では、踊り手が編笠を深くかぶって踊る。照れや恥じらいを隠すためといわれるが、もとは手拭いで顔を覆っていたものが時代とともに編笠に変わり、表情を隠すことで仕草や身体の動きに集中できるようになったという。
顔を隠すことで、かえって横顔や口元のわずかな動きに視線が集まり、より洗練された美しさが際立つ。
そして、顔を隠すことには「亡者の姿を表す」「供養する」という意味合いもあると聞く。そう思えば、この地でこの物語が生まれたことに深く納得する。これは不倫でも純愛でもなく、この土地が生んだ二人の魂の物語なのだ。
死が二人を分かち、そして結びつける。無表情な踊りが、その静かな運命を語っている。

胡弓の調べが途切れることなく流れ、無言で繰り返される型の中に、痛いほどの情がある。
母は踊る人だった。父を亡くした六十代のころ、自由になった母はきっと風の盆に出かけたのだろう。そして、そこで知った友の死。それまでは母の戦後が続いたのだ。

おわら風の盆の始まりは、町をあげての祝いごとで町衆が三日三晩唄い踊り明かしたことにあるという。踊り手は、踊っている間だけは暮らしや名前を忘れ、「嬉しい」「楽しい」という感情にとっぷり浸るのだという。もしその友が生きていたなら、きっと一緒に踊っていたに違いない。

積極的に型にはまることで、我を忘れる――それが風の盆の魅力だ。
非日常の夜、私はいつかこの物語の舞台を歩き、あの町で珈琲を味わい、夜通し踊って朝を迎えてみたいと切に思う。

物語は二人の死を持って昇華した。その場面でとことん泣いた。この歳になっても、まだこれぐらい泣けるのが不思議だった。
笑うことはエイジングになる。泣くこともまた、エイジングになる。
そうそう、「おわら」の語源は「お笑(おわらい)」なのだとか。
笑って泣いて、泣いて笑う。そうやって、いつまでも若くあれたらと思う。



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