私が「読書好きとつながりたい」と言わない理由。
「読書好きとつながりたい」
「本好きとつながりたい」
というハッシュタグがありますよね。
X(以下、Twitterと書きます)にも、noteにも。
私はこれを使うことができません。
というより、使わないように意識しています。
理由は「このタグは、小説が好きな人々のためにある」という認識が強くあるためです。
先日Twitterを見ていたら、それを改めて思い知らされるツイートを見つけましたので、今日はそんなお話をひとつ。
「本と呼ばれる物のイメージが違い過ぎた」
「読書好きとつながりたい」が小説を読む人向けのハッシュタグであることは、長いTwitter生活の中で何となく自覚していて、
このタグを付けているツイートを見るたびに、新書や実用書を好んで読んでいる自分はお呼びでないと感じていました。
そんな中、年末に見掛けたツイートでついに確信に至りました。

これは自称「1000冊は楽勝で読んでいる」人がオススメしていた本に対して、
「私のイメージする本と異なりますね」という趣旨の引用リツイートがされたものです。
この人のオススメした本とは
『イシューからはじめよ』
『嫌われる勇気』
『人を動かす』
などで、いわゆるビジネス書や自己啓発書の類です。
この引用リツイートは1万件以上のいいねを獲得し、賛同するリプライや引用リツイートが多く付いています。
それらには「浅い内容だ」「ただの情報でしかない」「それだけ読んでいて純文学の一つもないのか」と書いてありました。
ちなみに引用元のツイートはこの後、削除されました。
引用元が何となく鼻につく文体のツイートであったことを差し引いても、やはり本にはある種、序列のようなものがあるのだと痛感したのです。
「本」って抽象的な言葉だよなあ
「本」とか「読書」って言葉は抽象的です。
ユネスコの定義によれば、「本」とは「本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」です。

だからこそ「本好き」という言葉が包含する範囲も極めて広いです。
小説が好き、ビジネス書が好き、マンガが好き、新書が好き。
その中でも「本好き=小説好き」のイメージが多数派を占めるのは、やはりそれだけ小説好きな方が多いことを示しているのでしょう。
私は「読書のおすそ分け」という方針で発信していますが、
一体どれだけの人が私の記事を見て「なんだ、小説じゃないのか・・・」と落胆し離れていくのだろうと、時おり考えてしまいます。
先のツイートに対しても「いや本の定義なんて人それぞれで良いだろ」と正論じみた自由主義を掲げてみても良いのでしょうが、
そのツイートに付された圧倒的なイイネとリツイートの数字が物言わぬ冷たい目線を私に浴びせ、ただただ萎縮させられます。
それでも私は「読書が好き」と言おう
ただ、しかしそれでも私は「読書が好き」と言います。
私の発信は「読書のおすそ分け」であって「教養のおすそ分け」ではないからです。
ただの知識が欲しいのならGoogleで検索して、chatGPTに聞いたらそれで終わりです。
私はそうではなく、著者が自身の半生を凝縮して、言葉を自身で選択して、それを詰め込んだ媒体である「本」が好きなのです。
また小説ではない本を好んで読み漁っている変なやつだからこそ、おすそ分けする価値が生まれるとも思っています。

しかし今回の経験は、小説も読んでみようかな、と考えるキッカケにもなりました。
ぜひ、オススメの小説があったら教えて下さい。
普段は読書によって得られた知見を交えながら日記を書いています。
子育てについて発信することが多いです。
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それでは、また。
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