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僕にはギターが5本ある。たぶん、もう十分だ。

こんばんは!どうも、僕です!!

気がつけば、僕の家にはギターとベースが合わせて5本あります。

5本も必要なのか、と聞かれたら、たぶん必要ではありません。

ギターなんて一本あれば弾けます。曲も作れます。僕の場合、5本を平等に愛しているわけでもありません。よく手に取るものもあれば、しばらく触っていないものもあります。

それでも一本増えるたびに、それなりの理由はありました。

違う音が欲しかった。違う見た目が欲しかった。安かった。珍しかった。

そしてたぶん、「このギターを持った僕なら、今までとは少し違うことができるかもしれない」と思ったのです。

ギターを買う理由は、だいたい後からついてきます

ギターを買おうか迷っているとき、人間はとても理論的になります。

このギターにはこのピックアップが載っている。

今持っているギターとはスケールが違う。

この木材だから、こういう音がする。

中古相場を考えれば、この値段ならむしろ安い。

今後これ以上値下がりする可能性は低い。

場合によっては「これは資産価値がある」などと言い始めます。

恐ろしいものです。

さっきまでギターが欲しかっただけの人間が、いつの間にか投資家のような顔をしています。

僕も何度もやっています。

海外のサイトまで見ます。YouTubeで試奏動画を見ます。掲示板も読みます。

「別に買うつもりはないんですけどね」

という顔をしながら、中古価格まで調べています。

買うつもりがない人は、普通そこまで調べません。

でも、欲しいものがあるときの調査は楽しいのです。

もしかすると、買ってしまった後より楽しいかもしれません。

欲しかったものが「家にあるもの」になる

そして、いよいよ買います。

届きます。

箱を開けます。

嬉しいです。

ギターなら、とりあえず生音で鳴らします。

アンプにもつなぎます。

歪ませます。

クリーンでも弾きます。

写真も撮ります。

場合によっては動画まで撮ります。

「これは今までのギターとは違うぞ」と思います。

実際、違うのでしょう。

ところが人間というものは恐ろしいもので、しばらくすると、そのギターは「家にあるギター」になります。

あれだけネットを検索して、スペック表を眺めて、海外の知らないおじさんのレビューまで読んでいたギターが、普通に部屋に立っています。

昨日もいました。

今日もいます。

明日もたぶんいます。

「欲しいもの」だったはずの存在が、「持っているもの」に変わります。

これはギターに限った話ではありません。

服でも、靴でも、パソコンでも、スマートフォンでも同じです。

欲しいときには、それを手に入れた後の生活が少しだけ輝いて見えます。

ところが手に入れてしばらくすると、それは生活の一部になります。

人間の順応能力というのは、便利なのか残酷なのか、よく分かりません。

僕たちは未来も一緒に買っているのかもしれません

考えてみると、僕たちは物だけを買っているわけではないのかもしれません。

新しいギターを買えば、新しい曲を弾くかもしれない。

今までとは違う音を出すかもしれない。

新しい服を買えば、どこかへ出かけるかもしれない。

新しいパソコンを買えば、何かを作り始めるかもしれない。

つまり僕たちは、商品と一緒に「それを持っている未来の自分」まで想像して買っているのではないでしょうか。

少なくとも僕は、そういうところがあります。

このギターを買ったら、もう少しギターを弾くかもしれない。

この機材を買ったら、もう少し良い曲を作れるかもしれない。

この道具があれば、今まで面倒だったことをちゃんとやる人間になれるかもしれない。

もちろん宅配便のお兄さんが運んでくる段ボールに、そんなものは入っていません。

入っているのはギターです。

僕の新しい人格は同梱されていません。

残念ながら別売りです。

しかもAmazonを探しても売っていません。

50代になっても、まだ「次」が欲しい

若い頃に物を欲しがることには、それほど不思議な感じがありませんでした。

これから先が長いからです。

いつかこのギターを買いたい。

いつかこんな服を着たい。

いつかこんな部屋に住みたい。

いつかこんな音楽をやりたい。

「いつか」は、いくらでもありました。

50代になった今、「いつか」という言葉は、若い頃とまったく同じ意味ではありません。

だからといって、もう何も欲しくならないわけではありません。

むしろ普通に欲しくなります。

困ったものです。

ただ、昔とは少しだけ違う気もします。

若い頃は、物を買うことで「何者かになれる」と思っていたところがありました。

良いギターを持てば、良いギタリストに近づける。

格好いい服を着れば、格好いい人になれる。

少なくとも、そんな期待が今より大きかったように思います。

今はさすがに、ギター一本で人生が劇的に変わるとは思っていません。

ギターを買っても、翌朝起きれば僕は僕です。

昨日できなかったフレーズが突然弾けるようになっていることもありません。

請求書も来ます。

部屋も狭くなります。

ギターを置く場所も考えなければなりません。

現実は実に現実的です。

それでも、新しいギターを手にすると弾いてみたくなります。

今まで弾かなかった曲を弾いてみたりします。

音を録ってみたりします。

動画にしてみたりもします。

それなら、完全な勘違いでもないのでしょう。

物を買っただけで別人にはなれません。

でも、物が昨日とは少し違うことをするきっかけになることはあります。

そのくらいの小さな変化なら、段ボールの中に入っていることがあります。

「十分」は、案外いい言葉なのかもしれません

そして現在、僕にはギターとベースが5本あります。

たぶん、もう十分です。

足りない音があるかと聞かれても、今のところ特に思いつきません。

曲を作ることもできます。

録音もできます。

動画も撮れます。

何より、まだそれぞれの楽器で試していないことが山ほどあります。

だったら、今あるものをもっと弾けばいい。

実に正しい話です。

正しすぎて、何も言い返せません。

でも最近、「十分」というのは、それほど寂しい言葉ではないような気もしています。

もう何もいらない。

もう新しいことはしない。

ここで終わり。

そういう意味ではありません。

今ここにあるもので、まだしばらく遊べる。

そういう意味の「十分」なら、なかなか悪くありません。

5本のギターとベースがあって、アンプがあって、エフェクターがあって、パソコンがあって。

それでもまだ「この音、どうやって出すんだろう」と考えています。

50代になっても、そんなことをやっています。

たぶん僕に必要なのは6本目のギターより、今ある5本をもっと弾く時間なのでしょう。

珍しく、とてもまともな結論にたどり着きました。

自分でも少し驚いています。

僕にはギターが5本あります。

たぶん、もう十分です。

ただ困ったことに、

「十分」と「もう欲しくない」は、どうやら同じ意味ではないようです。


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