悪役の創造性
今更ながら、ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービーを見てきた。話題としては完全に周回遅れになった感があるが、それでもやはりいい映画だった。
多分、語れる要素はいっぱいある。例えば、特に前置きなく元ネタありきのネタや表現を放り込んでくるところとか。制作側が視聴者側をあまりにも信頼しすぎている。仮に元ネタを直接知らなかったとしても、スマブラとかで間接的に知ってるはずだからイケる!とばかりに小ネタが放り込まれてくる。そしてなんというか、すごくいい意味でハリウッド映画っぽい。画面もキャラクターもストーリーも一瞬とて止まらない。そしていやスターウォーズだよねコレ、となるような、いい意味での絵作りがうまい。
他にも触れておきたい要素はあるが、一番語りたいのはこれだ。
本作では、悪役側が作り、主人公側がそれを壊し、枠を乗り越える。
この構図が明確化されている。
普通は逆のはずだ。
正義の側の主人公たちが作り上げてきたものを、悪役たちがぶっ壊し灰に変える。だからこそストーリーは進む。イメージしづらければ、とりあえずストーリー序盤で焼かれる主人公たちの村を考えてもらえばいいだろう。理由はともかく、悪役が村を焼くから主人公たちの物語は勢いよく転がり始めるわけだ。だが本作では違う。
悪役側は、とにかくいろんな物を生み出している。即興で作り出すものもあれば、おそらくは計画的に生み出した大規模なものもある。そして主人公側はそれらをぶっ壊しながら、時には元ネタとなったそれのルールすら乗り越えて、最終目的に向かって突き進んでいく。これは、普通に考えれば構図としては逆転している。だが、物語上の違和感はまったくない。
なぜだろうか。
恐らくそれは、「ゲームというものは元々そういう構図であるから」なのかもしれない。
思えば、ゲームに出てくる悪役というのは非常に創造力豊かな存在だ。理由はともかく、目的のためにいわゆる「敵キャラ」を大量に生み出し、主人公たちが苦しむように「敵ステージ」を構築し、要所要所に「ボスキャラ」をも配置する。普通に考えれば、これらの存在はすべて悪役が創造したものだ。分かりにくければ、ロックマンの敵ボスキャラあたりをイメージしてもらえばいいと思う。敵のワイリー博士は、少なくともそういう意図はないにせよロックマンたちが打倒すべき存在として毎回8体以上のボスキャラを創造している。いわゆる雑魚キャラを含めればもっと生み出しているだろう。そしてそれらはたいていの場合、プレイヤーの手によって無慈悲に破壊される。
これは、善悪の話ではない。主人公側は必要があってそれらを破壊して回っているし、たいていの場合それは正義の行いであり、非は悪役側にある。自分の国に攻め込んできた戦車を破壊したからと言って、敵国からなぜ壊したと文句を言われる筋合いはない。
とはいえ、ゲームという枠組みで見たときに、より「創造的」なのは悪役側であり、「破壊的」なのは主人公側なのは否めないだろう。
悪役は、というよりはゲーム開発者はというべきかもしれないが、ともかく彼らは恐ろしいものも楽しいものも創造する。そしてプレイヤー側はそれを想像力でもって受容し、時にはその枠を超えて突破していく。だからこれは楽しいんじゃないか、そう思った。
いいなと思ったら応援しよう!
頂いたチップはまずうちの猫のご飯代になり、その次に猫砂代になり、最後にChatGPTPlus代になります。