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「多賀大社」②滋賀県犬上郡多賀町・建築さんぽ

多賀大社の中にある、奥書院と庭園。有料エリアを見学してきました。
こちらが江戸時代の「書院造」の特徴がよく出ていてとてもよかったのです。

奥書院(おくしょいん)

安永3年(1774)建立 → 江戸時代中期の書院建築。

  • 構造:1重寄棟造・桟瓦葺。

  • 元は多賀大社の別当寺「不動院」の書院。不動院は明応3年(1494)近江国守護佐々木高頼の命により開基された別当・神宮寺のひとつ。

  • 鶴の間・歌仙の間や茶室・脇の間などからなっている。

  • 狩野派の絵師による襖絵は金地を基調とした農済が出、唐獅子牡丹図や花鳥図など金蘭豪華な中にも江戸期の書院様式をよくとどめている

  • 昭和43年に滋賀県有形文化財に指定。

襖絵 

襖絵

  • 江戸時代の作、狩野派系統の絵師による襖絵。

  • 安永3年(1774)の大火の際に建物は焼失したが、襖は運び出されて現存。

  • 主題:梅・鶴など吉祥モチーフ。

  • 平成10年に多賀町指定文化財となった。

襖絵 神々しい・・・天井はさほど装飾なし

鶴の間

床の間の壁間に富士山の裾野で舞う数多くの鶴が描かれていることからこの名がついた。また壁には白鳥と白梅、襖には鶴や群鶴子に群飛などが描かれている。

江戸時代には勅使や公卿の参向、彦根藩主井伊家など社参の折にこの間で接待が行われたと伝えられる。
別名「勅使の間」ともよばれている。

鶴の間
唐獅子や牡丹
富士山と鶴

庭園

奥書院から見下ろすように築かれた安土桃山時代の池泉鑑賞式の庭園。広さは約200坪、正面に守護石を末、左右に鶴と亀の岩島を配し、大きな自然石を渡して橋としている。社伝によれば、天正16年(1588)豊臣秀吉がその母大政所の病気平癒を祈願して奉納した米1万石をもとに築造されたと伝える。全体的に桃山時代の豪放な特徴がよく表現されており、昭和10年国の名勝庭園に指定された。(チケット案内文より)

鶴と亀になぞらえた岩と石橋がバランスよく配置されている
奥書院から見える庭

その他にも入口の扉にも絵があったり、

大正時代の鳥瞰図では、今の様子と少し違うところなどもあり、幾度も改修や整備が行われたのだろうと想像します。

大正時代の鳥瞰図


庭園は特に紅葉の季節などは、美しいのではと思います。
奥書院の案内文を見ても、一度大火で燃えて襖だけ運び出されたとか、あり、実際の建築年は若干不明です。

観覧料は300円でした。冬季は閉鎖されるようなので、春から秋にかけてはぜひ見る価値アリ、です!

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