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年に一度の奇跡|興福寺・南円堂の不空羂索観音菩薩さまに導かれて

@Ricoです。

巡礼の道を歩いていると、時折「偶然」という言葉では片づけられないご縁に出会うことがあります。

今回お伝えするのは、まさにそのような体験のひとつと言えるでしょう。

葛城の地を巡り、奈良市内へと戻ったその夜。
突然のメッセージをいただきます。

「明日はどちらへ?」
「もし、奈良市内であれば、興福寺の観音さまの御開扉がある年に一度のタイミングです」と。

年に一度。10月17日。
興福寺南円堂の御本尊である国宝・不空羂索観音菩薩坐像が、その扉を開かれる、たった一日だけの特別な日。

葛城の巡礼を終えたこの日が、まさにその前日であったという事実。 こういう素晴らしいご縁をいただけたのも、お知らせいただけた方々のおかげさまと感じます。

今回の記事では、その御開扉の体験とともに、不空羂索観音菩薩とは何か、南円堂が背負ってきた歴史、そしてこの場所でしか得られない「気づき」について、深く掘り下げてまいります。

葛城から奈良へ|巡礼の流れが導いた一日

その日は朝から小雨の中、葛城の地を歩いていました。

長尾神社から當麻寺へ。葛城古道の入り口に位置するこのエリアは、古代より神々が降り立つ聖域として知られた土地です。當麻寺では中将姫の伝承で知られる当麻曼荼羅の世界に触れ、祈りの時間をいただきました。

(この葛城シリーズの個別記事も神仏霊場バージョンで書くかもしれません!)

葛城での巡礼を終え、奈良市内へ戻った夜のことです。
いつもお世話になっている方から届いたお知らせ。
それが、翌日17日の興福寺南円堂御開扉の情報でした。

自分で調べていたワケでもなく、葛城へ向かうと決めた時点で、翌日が10月17日であることを意識していたわけでもありません。
けれど、巡礼の流れが、自然とそこへ導いてくださった。 人の縁と仏さまの縁が、重なり合う瞬間というものがあるのだと、あらためて感じた出来事でした。

興福寺南円堂とは|藤原北家の祈りが生んだ八角円堂

興福寺を訪れたことがある方は多いと思います。 奈良公園に隣接し、猿沢池のほとりから仰ぎ見る五重塔の姿は、まさに奈良を象徴する景観のひとつ。「南都八景」にも選ばれた、いにしえからの名勝です。

しかし、この興福寺という寺院が持つ歴史的重みを正確に理解している方は、案外少ないかもしれません。

興福寺の起源は、天智天皇8年(669年)にまで遡ります。

藤原鎌足の病気平癒を祈り、夫人の鏡女王が京都山科の私邸に建立した「山階寺」がその始まりとされています。その後、飛鳥の地を経て、和銅3年(710年)の平城遷都に際し、藤原不比等によって現在地に移され「興福寺」と号しました。

奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺のひとつに数えられ、藤原氏の氏寺として比類なき繁栄を誇りました。

そのなかで、南円堂は特別な位置を占めています。

弘仁4年(813年)、藤原冬嗣が父・内麻呂の追善供養のために建立したのが南円堂の始まりです。

藤原冬嗣という人物は、嵯峨天皇の信任を得て左大臣にまで昇った平安初期の有力公卿です。彼は藤原北家の礎を築き、後の藤原道長へと繋がる摂関家繁栄の出発点となった人物でもあります。

その冬嗣が父への想いを込めて建てた堂が南円堂であり、興福寺のなかでも藤原北家にとって格別の意味を持つ場所であったのです。

注目すべきは、南円堂の基壇築造に際して、地神を鎮めるために和同開珎や隆平永宝が撒かれながら版築されたことが、発掘調査によって明らかにされている点です。さらに、鎮壇の儀には弘法大師空海が深く関わったことが諸書に伝えられています。

空海と興福寺の接点。これは神仏習合の歴史を考えるうえでも、非常に興味深い事実でしょう。

現在の南円堂は創建以来4度目の建物で、寛保元年(1741年)に立柱、寛政元年(1789年)に再建されたものです。日本最大の八角円堂であり、重要文化財に指定されています。再建にあたっては北円堂の古い様式を参考にしたと考えられており、江戸時代の建築でありながら古代・中世の趣を色濃く残す、興福寺の中でも唯一無二の存在です。

不空羂索観音菩薩とは──「空しからざる縄」が意味するもの

南円堂の御本尊として祀られているのが、不空羂索観音菩薩です。

この名前をはじめて聞いた方もいらっしゃるかもしれません。
千手観音や十一面観音に比べると、一般にはあまり馴染みのない観音さまかもしれません。しかし、その名に込められた意味を知ると、この観音さまが持つ救済の力の深さに、心が打たれるはずです。

サンスクリット語で「アモーガパーシャ(Amoghapāśa)」。

「アモーガ」は「不空」すなわち「空しからず(決してむなしくない)」。 「パーシャ」は「羂索」すなわち「狩猟や捕縛に用いる縄」を意味します。

つまり不空羂索観音とは、「心念不空の索をもって、あらゆる衆生をもれなく救済する観音」ということになります。

この「もれなく」という点が、非常に深く響きます。

観音菩薩はもともと、人々の声(音)を観じて救いの手を差し伸べる存在です。そのなかで不空羂索観音は、羂索という縄をもって迷いの海に漂う衆生を「ひとり残らず」引き上げるという、きわめて力強い誓願を立てています。
縄で捕らえるという表現は一見厳しく聞こえるかもしれませんが、羂索とは本来、相手を殺さず生け捕りにするための道具です。つまり、命を損なうことなく、確実に救い上げるという慈悲の象徴なのです。

経典においては、不空羂索観音を信仰すると現世で20種の功徳が得られるとされています。病気にかからない、財宝を得る、水火の災難を逃れる、煩悩が消えるなど、きわめて具体的なご利益が説かれています。

変化観音のなかでは十一面観音に次いで古い歴史を持ち、日本においては特に奈良時代に信仰が盛んでした。鎮護国家を祈る仏として造立されたことから、国家的な祈りとともに歩んできた観音さまでもあります。

南円堂の御本尊|康慶一門が15ヶ月をかけた魂の造仏

南円堂に安置されている不空羂索観音菩薩坐像は、鎌倉時代の文治5年(1189年)に完成した国宝です。

像高336センチメートル。
3メートルを超える大像は、堂内で見上げるとその迫力に圧倒されます。

制作を手がけたのは、仏師・康慶とその弟子たちです。

2022年の特別御開扉

康慶という名は、仏像に関心のある方ならばご存知でしょう。
そう、あの運慶の父であり、快慶の師でもある人物です。「慶派」と呼ばれる仏師集団の基礎を築いた康慶は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、興福寺を中心に活動しました。

治承4年(1180年)の平重衡による南都焼き討ちは、東大寺・興福寺の伽藍を焼き尽くしました。その復興事業において、康慶一門は南円堂の造仏を担当します。当時の興福寺復興は、京都の円派・院派の仏師が金堂や講堂といった主要堂塔を担い、奈良仏師である慶派は南円堂の造仏にあたるという分担でした。

藤原氏の中でも南円堂への崇敬がとりわけ篤かった九条兼実(当時の氏の長者)が復興に深く関わっていたことは、兼実の日記『玉葉』からも知ることができます。

康慶一門が約15ヶ月をかけて造り上げたこの不空羂索観音坐像は、寄木造、漆箔仕上げ。瞳には玉眼が嵌められ、桧材を用いています。

その像容は、一面三目八臂。
すなわち、顔はひとつ、眉間に第三の目を持つ三つ目、そして八本の腕を持ちます。

髪を高く結い上げ、宝冠には阿弥陀如来の化仏をつけます。
上半身には鹿皮を斜めにまとっています。

この鹿皮は不空羂索観音の大きな特徴であり、春日大社の神鹿信仰との結びつきを示す、藤原氏ならではの信仰のかたちです。
春日大社の第一殿に祀られる武甕槌命の本地仏が不空羂索観音とされたことから、鹿皮をまとうこの観音像は、藤原氏にとって氏神と氏寺を結ぶ、まさに信仰の要であったのです。

八本の手にはそれぞれ意味があります。

第一手は胸前で合掌。
第二手の左手に蓮華、右手に錫杖。
第三手は両手とも脇下に垂らし五指を伸ばして掌を前に向けます。
第四手の左手には羂索、右手には払子を持ちます。

興福寺公式サイトによれば、「重量感のある体、威厳のある顔」に天平時代や平安時代初期彫刻の伝統が息づいているとされています。
康慶は天平仏の古様に学びながら、新しい鎌倉様式の萌芽を示したと言われ、藤原時代の優雅な表現から脱し、力強い写実性を獲得したこの作風は、やがて子の運慶によって完成されることになります。

南円堂の堂内には、本尊の不空羂索観音菩薩坐像のほかに、四天王立像(国宝)と法相六祖坐像(国宝)が安置されています。11躯すべてが国宝であり、すべてが康慶一門の手になるものです。
堂内に足を踏み入れたとき、そのすべてが国宝であるという事実の重みに、息をのまずにはいられません。

法相六祖坐像は、法相宗の興隆に貢献した6人の高僧の像です。
常騰、神叡、善珠、玄昉、玄賓、行賀という実在の僧侶たちの姿を、康慶一門が驚くほどの個性と写実性をもって造り上げました。壮年から老年まで、異なる年齢・表情・姿勢で表現された六人の高僧の姿は、前代にはみられない鎌倉彫刻の新しさを体現しています。

10月17日の御開扉|大般若経転読会のなかで

毎年10月17日。この日にだけ、南円堂の扉は開かれます。

普段は柵に囲まれ、堂の扉は常時閉ざされている南円堂。
西国三十三所の第九番札所として日々参拝者が絶えない場所ですが、御本尊のお姿を直接拝むことができるのは、一年に一日だけなのです。

御開扉にあわせて行われるのが「大般若経転読会」です。

かつて玄奘三蔵が訳した『大般若波羅蜜多経』は全600巻にも及ぶ、仏教最大の経典です。

転読法要では、導師の「大般若〜」の発声とともに、複数の僧侶が大声で経典の題目・訳者を唱えながら、折本経典を空中に乱舞させます。
そして読み終えると元の箱に収められる。この転読の作法は、600巻すべてを読誦することに等しい功徳があるとされる、諸願成就の祈祷です。

法要の時間帯は堂内が混み合い、入堂規制がかかることもあります。しかし、法要後には参拝者も堂内に入ることができ、八角形の須弥壇に安置された御本尊をはじめ、四天王立像、法相六祖坐像のお姿を間近に拝することができます。

実際に不空羂索観音菩薩さまのお姿を前にしたとき、その存在感に圧倒されました。

336センチメートルの大像を見上げると、そこには、大きく金色に輝く御身体。そして、繊細でありながら豪華な光背。八本の手がそれぞれに持物を持ち、胸前の合掌が静かにこちらを見守ってくださっている。
そして眉間に位置する第三の目が、まっすぐにこちらを見つめていました。

慈悲という言葉から連想される繊細さや優しさとは、少し異なる印象を受けました。 もっと広大で、宇宙的ともいえるスケールの力を感じたのです。

「なにをこだわっておる? ちいさい、ちいさい」

そんなメッセージが、御姿を通じて伝わってくるように感じました。

私たちが日常で抱える悩みや執着。それがいかに小さなものであるか。
不空羂索観音菩薩さまの広大な御力の前では、そのすべてが些末なことに思えてくる。それは「突き放す」のではなく、「大きな視座に引き上げてくださる」感覚でした。

西国三十三所第九番札所としての南円堂

南円堂は、西国三十三所観音巡礼の第九番札所でもあります。

西国三十三所は、奈良時代の養老2年(718年)に長谷寺の開基・徳道上人によって始められたと伝わる、日本最古の巡礼路です。近畿地方を中心に二府五県にまたがる33の観音霊場を巡るこの巡礼は、「日本遺産」にも認定されています。

南円堂の御詠歌は、
「春の日は 南円堂に かがやきて 三笠の山に 晴るるうす雲」

春の日差しが南円堂を照らし、三笠山にかかる薄雲が晴れていく。
この御詠歌には、観音さまの慈悲の光が世界を照らすという象徴的な意味が込められています。

33の札所のなかで、不空羂索観音を御本尊とするのは興福寺南円堂のみです。千手観音や十一面観音が多い西国札所のなかにあって、不空羂索観音の札所は際立って珍しい存在です。

しかも、普段は秘仏として扉が閉ざされている。巡礼者は堂の前で手を合わせ、見えない御本尊に祈りを捧げます。その見えないからこそ感じる「存在の重み」もまた、巡礼の醍醐味なのかもしれません。

そして年に一度の10月17日。 扉の向こうにいらっしゃった観音さまのお姿を、直接拝することができる。

見えないものへの祈りと、見えた瞬間の感動。この両方を体験できるのが、南円堂という札所の唯一無二の魅力です。

鹿皮の観音さまと春日信仰|神仏が結ばれる場所

不空羂索観音菩薩が身にまとう鹿皮には、深い意味があります。

先にも触れたように、不空羂索観音は春日大社第一殿の祭神・武甕槌命の本地仏とされてきました。本地仏とは、神仏習合の思想において、日本の神々の「本来の姿」とされる仏のことです。

春日大社といえば、鹿。
春日の神が常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮から白い鹿に乗って奈良の御蓋山に降り立ったという伝承は広く知られています。鹿は春日の神の使いであり、今日でも奈良公園の鹿は国の天然記念物として保護されています。

その鹿の皮を身にまとう不空羂索観音は、まさに春日信仰と密接に結ばれた観音さまなのです。

興福寺は藤原氏の氏寺であり、春日大社は藤原氏の氏神。
この神と仏とが一体となった信仰のかたちが、南円堂の不空羂索観音菩薩に凝縮されています。

神仏習合という概念を頭で理解することと、実際にその象徴たる仏像を前にして感じることとでは、まったく異なります。鹿皮をまとった観音さまの御姿は、「神と仏は別々のものではない」という古代日本人の世界観を、言葉を超えて伝えてくださっているようです。

奈良に集う三体の不空羂索観音|なぜこの地に集中するのか

不空羂索観音菩薩は、日本全体でも作例が非常に少ない観音さまです。
全国でおよそ10体ほどしか確認されておらず、そのうち4体が奈良に集中しているとされています。

なかでも特に名高いのが、「奈良の三不空羂索観音」と呼ばれる三体です。

一つめは、東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音立像。

奈良時代の天平仏であり、像高は362センチメートル。乾漆造による堂々たる立像で、頭上の宝冠の美しさでも広く知られています。法華堂の仏像群はすべて国宝であり、天平彫刻の粋を集めた空間として、仏像愛好家にとっての聖地とも呼べる場所です。

二つめが、本記事のメインである興福寺南円堂の不空羂索観音坐像。

鎌倉時代の康慶作。天平仏の東大寺像に対し、鎌倉新様式の力強さを見せる坐像です。

三つめは、新薬師寺の近くに位置する不空院の不空羂索観音坐像。

鎌倉時代の作で、東大寺や興福寺の像に比べると小柄ですが、親しみやすいお姿が特徴です。不空院では、春日大社の神さまが鹿に乗ってこの寺に来られ、不空羂索観音に姿を変えるという伝承が残されており、春日信仰との結びつきがここでもはっきりと示されています。

では、なぜ不空羂索観音の作例は奈良に集中しているのでしょうか。

その理由は、不空羂索観音がもともと鎮護国家の仏として造立されたことにあります。奈良時代、国家の安寧を祈る目的で造られた仏像は、当然ながら都のある奈良に集中しました。
さらに、藤原氏の氏寺である興福寺と氏神である春日大社を結ぶ本地仏として特別な信仰を集めたことが、奈良における不空羂索観音信仰を決定的なものにしたのです。

天平の立像(東大寺)と鎌倉の坐像(興福寺)。
時代も技法も異なるふたつの不空羂索観音を見比べると、日本の仏教彫刻が数百年のあいだにどれほど変化し、成熟していったかを肌で感じることができます。南円堂の御開扉の日にあわせて東大寺法華堂も訪ねれば、不空羂索観音菩薩への理解はさらに深まるはずです。

五重塔と巡礼のタイミング──「いま」しか出会えない風景

この奈良巡礼で、もうひとつ特別だったことがあります。

興福寺の五重塔です。

国宝に指定されている興福寺五重塔は、東寺の五重塔に次ぐ日本で二番目の高さを誇る木造塔です。猿沢池越しに望むその姿は、奈良を代表する景観として古くから愛されてきました。

この五重塔が、御開扉の前日まで特別公開を行っていたのです。
公開の最終日は10月16日。そして翌17日以降、五重塔は約120年ぶりとなる大規模修繕工事に入り、その姿はしばらく拝観できなくなるとのことでした。

つまり、葛城からの巡礼を終えた10月16日は、五重塔の姿を間近に拝める最後の日でもあったのです。

特別公開の拝観は叶いませんでしたが、外から手を合わせ、しばしその姿を目に焼きつけました。120年ぶりの修繕を前にした五重塔の佇まいは、静かな覚悟のようなものを纏っているように見えました。

巡礼には「タイミング」というものがあります。
いつ行っても同じではないのです。

南円堂の御開扉は年に一度。五重塔の姿が見られるのも、修繕が終わるまでの期間は叶わない。
この日この場所でなければ出会えなかった風景が、確かにありました。

こうした「いま」でしか出会えないものへの感謝が、巡礼の旅をより深いものにしてくれるのだと感じています。

左近の藤の時期にも伺ってみたいです!

東金堂と国宝館|御開扉の日に触れるべき興福寺の奥行き

御開扉の日に南円堂を拝した後は、ぜひ東金堂と国宝館にも足を運んでいただきたいと思います。

東金堂は神亀3年(726年)、聖武天皇が元正太上天皇の病気平癒を祈願して建立したお堂です。御本尊の薬師如来坐像を中心に、日光菩薩・月光菩薩、文殊菩薩、維摩居士像、十二神将像、四天王像といった諸仏が安置されています。

私が東金堂で特に印象に残ったのは、日光菩薩と月光菩薩でした。

月光菩薩の伸ばされた手のひらと指が、胸に向かってきているように感じたのです。「内に向けよ」というメッセージ。
外に答えを求めるのではなく、自分自身の内側に向き合いなさいという導きだと感じます。

そして日光菩薩からは「強く真に向かうべし。チカラは必要」という力強さを授けてくださったような気がします。

国宝館は、興福寺が誇る国宝仏像群の宝庫です。
旧食堂の建物を活用した館内には、阿修羅像をはじめとする八部衆像、天燈鬼・龍燈鬼像、千手観音菩薩立像など、日本彫刻史の至宝が集結しています。

興福寺は「日本の国宝仏像の約15パーセントが集まる寺」とも言われます。南円堂の御開扉という特別な日にこれらの仏像を巡ることは、仏さまの世界にどっぷりと浸かるような、かけがえのない時間となるはずです。

御開扉のあとは、静かにただ祈りの時が過ぎゆく
その向こうにはあたたかな眼差しがあることを感じながら。

御開扉が教えてくれること──「空しからず」という救いのかたち

最後に、このタイミングでの参拝体験を通じて感じたことをお伝えしようと思います。

不空羂索観音菩薩という名前に込められた「空しからず」という言葉。
これは単に「願いが叶う」という意味ではないと、私は感じています。

「空しからず」とは、
「あなたの祈りは、決して空を切ることはない」ということ。

たとえ目に見える成果がすぐに現れなくても、祈りと歩みは必ずどこかに届いている。あなたが一歩を踏み出したその足取りは、決してむなしいものではない。

巡礼を続けていると、ときに「本当にこれでいいのだろうか」と迷うことがあります。日常のなかで自分の方向性を見失いそうになることもあります。

けれど、こうして巡礼の流れのなかで、思いもよらぬご縁に導かれて、年に一度しか開かない扉の前に立てたとき。
何かが人生に起きている。「あぁ、空しくはなかったのだ」と、幾許かの祈りの積み重ねを感じるのです。

不空羂索観音菩薩さまの羂索は、煩悩の海に漂う私たちを、ひとり残らず引き上げてくださる縄。その縄に捕まりたいと思えることそのものが、すでに救いの始まりなのかもしれません。

奈良は、何度訪れても新しい発見と気づきを与えてくれる土地です。
興福寺南円堂の御開扉は、毎年10月17日。 この特別な一日に、不空羂索観音菩薩さまに会いに行かれてみてはいかがでしょうか。

普段は閉ざされた扉の向こうで、観音さまは静かに待っていてくださいます。 あなたの祈りは、決して空しくないのだと伝えるために。


では。

いつも、ありがとう^^


@Rico

幸せは自分のために
世界が平和であるために

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