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九州・志賀海神社【海神の総本社】大海原で感じる禊祓の意味

@Ricoです。

大阪の住吉大社を参拝してから、ちょうど半年後。九州巡礼のタイミングがやってきました。その際に福岡の筑前國一宮住吉神社へ参拝に上らせていただき、住吉さんの流れを重ねた九州巡礼の旅。
(このときに宇佐神宮と高良大社へもうかがってますが、話の流れは「すみよっさん」から❗️)

その最終地点として訪れたのが、福岡市東区志賀島に鎮座する志賀海神社です。
神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要地として篤く崇敬されてきたこの神社には、住吉信仰とも深く結びついた重要な意味が隠されています。

今回の記事では、海を超えて辿り着いた志賀海神社での参拝を通じて、禊祓の本質と大海原の力を体感した経験をお伝えしていきます。

振り返ってみたら、まさかの
丁度、一年前の「本日」でした‼️
めっちゃ、不思議過ぎるw


志賀海神社とは|海神の総本社

志賀海神社は、福岡県福岡市東区志賀島に鎮座する神社です。

  • 式内社(名神大社)、旧社格は官幣小社。現在は別表神社

  • 全国の綿津見神社、海神社の総本社を称する

  • 「海神の総本社」「龍の都」として古来より崇敬を集める

  • 伊邪那岐命の禊祓によって出現した綿津見三神を奉斎

  • 住吉三神の兄弟神

※大阪・住吉大社、福岡・住吉神社の記事でも、住吉三神との繋がりに触れてきましたね!


海を超えて志賀島へ|遥かなる旅路

志賀海神社への参拝は、まさに海を超える旅から始まります。
博多湾を臨み、海に囲まれた志賀島という地理的条件そのものが、この神社の持つ意味を体現しています。

<参拝ルート&ポイント>
・JR香椎線西戸崎駅から西鉄バスで約10分
・志賀島バス停下車後、徒歩10分
・または博多港ベイサイドプレイスから福岡市営渡船で約30分
・陸路も海路も、海を意識する道のり
・到着までの過程そのものが禊の始まり

車窓からの景色
禊祓のイメージしかありません!
車両がかわいい^^
西戸崎からは、バスで向かいます。


電車で海岸沿いを走り、バスで島へと向かう道中、目に映るのは美しい海の景色です。向こうに見える島影、波の音、潮の香り。
すべてが、これから訪れる聖地への期待を高めてくれます。

バス停「志賀島」で降りると、そこから参道が続いています。海に囲まれた環境の中、神社への道のりそのものが特別な意味を持っているのです。

参道の入り口|清めの始まり

志賀海神社の参道に入ると、まず目に入るのが「御潮井」です。これは清め砂のことで、参拝前にこの砂で身を清める習慣があります。

<参拝ポイント>
・参道入り口に御潮井(清め砂)が置かれている
・左、右、左の順で体に砂をかけて清める
・福岡の「御潮井取り」の発祥地とされる
→玄関や家の四隅に盛ってお清めとする風習が「御潮井取り」
・持ち帰り用の御潮井も境内で頒布されている

「しかうみさま」と呼ばれるそうな!

この御潮井で身を清めることは、志賀海神社ならではの伝統的な参拝方法です。海の砂で身を祓うという行為は、まさに禊祓の精神そのものを表しています。

左、右、左と体に砂をかけながら、心を静めます。
そして、日常の穢れを祓う行為となります。

末社 印鑰社|守護の神々

御潮井で身を清め、階段を上り始めると、途中に末社 印鑰社が鎮座しています。

御祭神
久那土神
 天磐楠船神
 火具土神

この社は、不忽来社、船玉社、愛宕社の三社を合祀したものです。それぞれが、《境界を守る神、航海安全の神、火の神》として、参拝者を守護してくださっています。
参道を進む途中で、神域へ入る前に改めて心を整える機会を与えられているように感じます。

万葉歌碑|航海の祈り

さらに参道を進むと、万葉歌碑が立っています。

「ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神」

※志賀島から船出して奈良の都へ向かう官人が詠んだ歌

航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、海路の無事をお願いしたこの志賀の神様を忘れませんよ、という意味が込められています。

古代から、志賀海神社は航海安全を祈る人々の心の拠り所であったことが、この歌からも伝わってきます。万葉の時代から変わらぬ信仰が、今もこの地に息づいているのです。

宝篋印塔|県内最古の石造物

参道の途中には、宝篋印塔も見ることができます。これは完存する福岡県内最古の石造の宝篋印塔とされ、歴史的価値の高いものです。

神仏習合の時代、志賀海神社には神宮寺として金剛山吉祥寺がありました。創建は永享年間(1429年-1441年)とされ、この宝篋印塔はその時代の信仰を今に伝える貴重な遺構なのです。

伸びやかな空気の中、長い歴史を刻んできた石造物を前にすると、この地が古来より祈りの聖地であったことを実感します。

山神社|海と山の調和

参道の先、楼門の手前には山神社が鎮座しています。

御祭神:大山津見神

案内板には「幸福の水先案内の神」とあります。
海の神を祀る志賀海神社において、山の神もまた重要な存在なのです。

海があって、山がある。山があって、海がある。
山が豊かであれば、水も湧き出でます。
万物生まれし、その水の働きがいかに尊いものか。

海の神社でありながら山の神も祀るという姿勢に、自然の摂理への深い理解が感じられます。

石橋と楼門|聖域への入口

やがて目の前に、美しい石橋が現れます。結界の引かれた石橋の先に、いよいよ楼門が見えてきます。

<参拝ポイント>
・楼門は神域と現世を分ける結界
・境内に入る前に一礼
・足を踏み入れた瞬間から神聖な空気に包まれる
・重厚な佇まいが心を静める

楼門をくぐる瞬間、空気が変わるのを感じます。海からの風が心地よく吹き抜け、鳥のさえずりが響く境内は、まさに神々の住まう場所です。

御神木と烏帽子石・陰陽石|聖なる力

楼門をくぐってすぐのところに、御神木と烏帽子石、陰陽石があります。

これらの石は、それぞれが持つ形から特別な意味を与えられ、古くから信仰の対象となってきました。自然石の持つ力強さと神秘性が、境内の神聖な雰囲気をさらに高めています。

鹿の角の奉納|神功皇后の伝説

境内で驚かされるのが、大量の鹿の角が奉納されていることです。

<鹿角奉納の由緒>
・古代、神功皇后が三韓出兵の際、戦勝祈願として対馬で鹿狩りを行った
・無事に三韓を平定された後、狩った鹿の角を志賀海神社に奉納
・戦勝と航海安全の奉告祭を斎行したことが奉納の始まり
・戦国時代には多くの戦国大名が御神威を賜ろうと鹿の角を奉納(遠く加賀藩からも奉納記録が残る)
・先の大戦前まで奉納が続き、角の本数は一万本を超える
・現在は鹿角庫に保管されている

神功皇后の三韓出兵という歴史的出来事が、志賀海神社の信仰と深く結びついていることがわかります。この伝説は、宇佐神宮から始まった九州巡礼の旅を通じて、何度も出会ってきたテーマです。

神功皇后ゆかりの場所がどうやら気になり始めたのはいつぞや?と振り返ってみると、、、
兵庫ねえさんぽの「廣田神社」参拝のときだよね、と思っていたら、実は「白山比咩神社」参拝のときに、「兆し」のようなものがあったのが判明‼️

ちなみに、廣田神社さんは夢から始まってますw


拝殿|綿津見三神とのご対面

階段を上ると、いよいよ拝殿が目の前に現れます。ここが今回の九州巡礼を取り纏める場所。ありがたく手を合わせる瞬間は、感動に満ちています。

御祭神
左殿: 仲津綿津見神(相殿:神功皇后)
 中殿: 底津綿津見神(相殿:玉依姫命)
 右殿: 表津綿津見神(相殿:応神天皇)

綿津見三神は、海の底、中、表を守り給う海の主宰神です。
古事記によれば、伊邪那岐命の禊によって生まれた底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神として記されています。
住吉三神が同じく伊邪那岐命の禊から生まれた兄弟神であることを思い出します。住吉三神と綿津見三神は、ともに禊祓から生まれた海の神なのです。

また、古事記では第二の箇所にも綿津見神が登場します。

火遠理命(山幸彦)が訪問した綿津見神の宮に住む綿津見神で、綿津見大神とも称されています。火遠理命を歓迎して娘の豊玉毘売を結婚させ、火遠理命が無くした兄の釣り針を探すのを助けて見つけ出し、その帰る際には、潮盈珠・塩乾珠を授けて、兄を懲らしめる方法を教えたとあります。

もちろんこの潮満珠と潮干珠は、大阪の住吉大社・福岡の住吉神社で確認した伝説とつながってきます。
海の干満を掌る呪力を持つ綿津見神は、まさに海を司る支配者なのです。

拝殿の前でも、御潮井を使って自らを清めてから参拝します。この習慣は、志賀海神社ならではの伝統として今も受け継がれています。

亀石遥拝所|千珠万珠の伝説

拝殿の右に向かうと、そこには特別な場所があります。亀石遥拝所です。

<亀石の伝説>
・神功皇后が三韓へ出兵される際の伝承
・正面対岸の打昇浜にある亀ヶ池・亀生池の辺りで無事凱旋を祈願
・阿曇磯良丸を通じて七日七晩の神楽を奏した。すると黄金の雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現
皇后に千珠万珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導いた
・黄金雌雄の亀は亀ヶ池・亀生池に放たれた
・後に石となって現在の金印公園近くに現れた
・寛文10年(1671年)4月11日に社前に納められた

ここがファイナルミッションの場所のように感じます。

感慨深い思いで、亀石の前に立ちます。

遥拝所からは、美しい海の景色が広がっていて、もっと近くで海を感じたい、海に入りたいという思いが湧き上がってきます。

柵のキワまで近づいてみると、海と空がひとつになった光景が目の前に広がります。矢印のように見える雲の流れは、まるで何かを指し示しているかのようです。

表津宮・仲津宮・沖津宮|創祀の地

さて、志賀海神社の御由緒を振り返ってみましょう。
ここに、重要な事実が見えてきます。

<創祀の地>
・創建は明らかではないが、古くは志賀島北部の勝馬に三社が建てられていた
▶︎「表津宮」に表津綿津見神
▶︎「仲津宮」に仲津綿津見神
▶︎「沖津宮」に底津綿津見神が祀られていた
・二世紀から四世紀の間に表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座
・併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀された
・綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきた

現在の志賀海神社本社は、元々の表津宮を遷座したものです。そして、仲津宮と沖津宮は境外摂社として、今も志賀島北部の勝馬地区に鎮座しているのです。

特に沖津宮は、干潮時に浅瀬となった海の中道を渡って辿り着く小島にあり、島自体が古墳とも言われています。島の中央には鳥居があり、その上が沖津宮となっています。

ただし、沖津宮は女人禁制とされており、島までの上陸は可能ですが、御本殿への参拝には制限があります。このことは、古来からの神聖さを今に伝えるものと言えるでしょう。

勝馬という地名も興味深いものがあります。神功皇后が志賀大明神に奉賽した際、馬が喜びいなないたので勝馬となったと伝えられています。

摂社 今宮神社|阿曇族の神裔

本殿に最も近い場所に、摂社今宮神社が鎮座しています。

御祭神
宇津志日金拆命
 住吉三神
 天児屋根命
 阿曇磯良丸命をはじめとする神裔阿曇諸神

宇津志日金拆命は、綿津見神の御子神です。長野県の穂高神社でもお祀りされており、阿曇族との深い関わりを示しています。

阿曇族は、古代の九州北部で海人を統率した有力氏族です。志賀島と海の中道を含めた一帯が阿曇族の本拠地であったとされ、志賀海神社は阿曇族の中心地であったと考えられています。

現在も志賀島の全域は神域とされ、神主家も阿曇氏の後裔を称しています。阿曇族の活動は日本全国に展開したとされ、長野県安曇野市、石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島といった地名は、その遺称地と伝えられています。

阿曇族といえば、最初に参拝したのは、長野県の穂高神社でした❗️

境内末社|多彩な神々

今宮神社の先には、末社エリアへの鳥居があります。

<境内末社>
松尾社(御祭神:大山咋神)
秋葉社(御祭神:火之迦具土神)
熊四郎稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)
磯崎社(御祭神:少彦名神、大己貴神)

磯崎社は病気平癒の御利益があるとされ、大阪の少彦名神社でも見た医薬の神が志賀海神社にも祀られていることに、深いつながりを感じます。

さらに、本殿後方には別の末社群もあります。

荒神社(御祭神:奥津比古神、奥津比賣神、火産霊神)
祇園社(御祭神:建速須佐之男神)
大神宮社(御祭神:天照大御神、豊受大神)
忽社(御祭神:八百萬神)

これらの摂社末社を巡ることで、志賀海神社が単なる海の神を祀る社ではなく、多様な神々を包含する総合的な信仰の場であることがわかります。


神功皇后伝説|志賀島に残る地名

志賀海神社と神功皇后の関係は極めて深いものがあり、志賀島には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く残されています。

<神功皇后ゆかりの地名>
✔︎ 舞能ヶ浜:阿曇磯良を海国から召し出そうと七日七晩神楽を奏したところ
✔︎ 叶ヶ浜:志賀島にお着きになり願いがかなったと仰せられたところ
✔︎ 下馬ヶ浜:皇后が馬から下りられたところ
✔︎ 勝馬:志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたところ
✔︎ 勝山:志賀海神社裏手の山で、櫂を奉られたところ

これらの地名は、神功皇后の三韓出兵という歴史的出来事が、志賀島という地と深く結びついていることを示しています。


事無き柴の伝説|椎の木の信仰

志賀海神社には、独特の信仰があります。それは「事無き柴」の伝説です。

<事無き柴の由来>
・神功皇后が三韓出兵の際、志賀海神社で無事成功を祈願
・事無く凱旋帰国できた皇后は大変喜ばれた
・お礼の祭典を奉仕し、椎の木でできた船の舵の柄を境内勝山の山中へと挿し立て奉納
・後にこの舵の柄より芽吹いた葉を「事無き柴」と称えた
・外出の際にひと葉を懐にすれば、事(災難)無く我が家に還ることができると伝えられる
・神社だけでなく志賀島の神事などには榊ではなく椎(柴)を用いる

この伝説は、航海の安全、そして旅の無事を祈る人々の思いが込められています。「事無き」という言葉には、災難なく平穏に過ごせるようにという願いが込められているのです。

山誉祭|海の民が山を誉める祭り

志賀海神社には、ユニークな祭りがあります。それが山誉祭です。

<山誉祭の特徴>
・福岡県の無形民俗文化財に指定
・毎年4月15日と11月15日に行われる
・春を「山誉種蒔漁猟祭」、秋を「山誉漁猟祭」と称する
・以前は旧暦2月15日、11月15日の春秋2回行われ「狩漁の御祭」と称した
・海の民である漁師たちが山を誉める
・海の豊かさは山の豊かさによってもたらされるという思想

海の神を祀る神社で、山を誉める祭りが行われることは、一見矛盾しているようにも見えます。しかし、これこそが志賀海神社の深い智慧なのです。

山が豊かであれば、清らかな水が川を流れ、やがて海に注ぎます。その水が海を豊かにし、魚を育てます。海と山は切り離せない関係にあり、両者が調和してこそ、豊かな恵みがもたらされるのです。

海も山も、われわれになくてはならない存在


歩射祭と御神幸祭|一年七十の祭り

志賀海神社には、一年に大小あわせて七十ものお祭りがあります。その中でも特に重要なのが、歩射祭と御神幸祭です。

<歩射祭>
・正月2日から15日まで行われる年頭の行事
・馬に乗らずに弓を射るのでこの名がある
・阿曇百足の土蜘蛛退治伝承にちなむ
・破魔の目的と年占の意味がある
・福岡県の無形民俗文化財に指定

<御神幸祭>
・2年に一度の10月に行われる当社最大の祭礼
・十一日に三柱の御祭神が神輿に乗られて奏楽と共に頓宮にお下りになる
・十二日の国土祭では約330メートルの流鏑馬神事が行われる
・福岡県の無形民俗文化財に指定

これらの祭りは、志賀海神社が単なる参拝の場ではなく、地域の人々の生活と深く結びついた生きた信仰の場であることを示しています。


金印と阿曇氏|奴国との関わり

志賀島は、国宝「漢委奴国王印」、いわゆる金印が出土したことで知られています。

<金印発見の謎>
・江戸時代の天明4年(1784年)、志賀島で金印が発見された
・教科書にも載る有名な遺物
・当地で奴国の印が出土した理由は明らかではない
・阿曇氏ひいてはその氏神たる志賀海神社と奴国の関わりを推測する説もある
・同東区名島の名島神社では阿曇氏を儺(那)懸主であるとしている

金印の発見は、志賀島が古代から重要な地であったことを示す証拠の一つです。海上交通の要衝であり、阿曇氏の本拠地であったこの地が、奴国という古代国家とどのような関わりを持っていたのか。その謎は、今も歴史学者たちの研究テーマとなっています。


蒙古襲来|戦いの舞台となった志賀島

志賀島は、鎌倉時代の元寇の際に戦場となりました。蒙古襲来絵詞には「志賀島大明神」の名称で志賀海神社が記載されています。

国難に際して、人々は志賀海神社に祈りを捧げました。海の守護神として、外敵から国を守る力を願ったのです。この歴史もまた、志賀海神社が果たしてきた重要な役割を物語っています。


海辺での禊祓|渾身の祈り

御朱印を授かる際、社務所で海岸に降りていける場所を確認しました。残念ながら、境内から直接海岸に降りていける場所はないとのことでしたが、どうしても海を近くで感じたいという思いが止まりません。

バスの時間ギリギリでしたが、海近くまで猛ダッシュします。そして、一番海を近く感じる場所を目指し、なんとか近くまで到着しました。

最高の風が吹き抜けており、まさに海の本質です。ビュービューと吹き付ける海風は、まさに禊祓そのものです。

この海風の祓いを受けて、渾身の想いを込めて祝詞を奏上します。

「底津海津見神 底筒男尊、中津海津見神 中筒男尊、上津海津見神 上筒男尊・・・」

住吉三神と綿津見三神の御名を唱えながら、この旅の意味を噛みしめます。

龍の都の始まりの地である勝馬の地には伺えませんでしたが、この海の流れに乗って、禊祓の祈りがどうか隅々まで行き渡りますようにと願います。

海と空がひとつになった光景を前に、大海原の力を全身で感じます。波の音、潮の香り、風の強さ。すべてが、禊祓の本質を教えてくれているように思えたのです。

雲掛稲荷社|伏見からの勧請

海辺から戻る途中、雲掛稲荷社を発見しました。これは伏見稲荷大社から勧請されたものでした。

京都の伏見稲荷大社と志賀海神社の共通点は、信仰のネットワークが全国に広がっていることでしょう。各地の神社が独立して存在するのではなく、互いに結びついているのです。

九州巡礼の完結|海から始まり海に還る

無事にバスに間に合い、志賀島を後にします。車窓から見える海は、やはり気になります。寄り添うような雲とともに、空港まで無事に到着しました。

宇佐神宮から始まった九州巡礼の旅は、高良大社、住吉神社、そして志賀海神社へと続きました。
それぞれの神社で感じた神々の御神威、歴史の重み、そして人々の祈り。

特に、大阪の住吉大社から福岡の住吉神社、そして志賀海神社へと続く流れの中で、禊祓という概念の深さを改めて感じます。それが「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」と深く関わっているのだと。

住吉三神と綿津見三神は兄弟神であり、ともに伊邪那岐命の禊から生まれました。海の底、中、表を守る神々は、われわれに何を伝えようとしているのでしょうか。

それは、清らかな心で生きることの大切さです。
日常の穢れを祓い、本来の清らかな自分に立ち返ること。そして、大海原のように広い心を持ち、すべてを受け入れる柔軟さを持つこと。


志賀海神社が伝える生き方

志賀海神社への参拝を通じて、いくつもの重要な教えを受け取りました。

まず、海と山の調和です。
海の民でありながら山を誉める山誉祭は、自然の循環を理解することの大切さを教えてくれます。すべては繋がっており、一つの要素だけを見ていては本質は見えてこないのです。

次に、禊祓の継続性です。御潮井で身を清め、参拝し、そして海辺で風の祓いを受ける。一度の禊で終わるのではなく、常に清浄を保ち続けることが重要なのです。

そして、航海の守護という意味の深さです。志賀海神社は単に船の安全を守るだけではありません。人生という航海を守護し、目的地へと導いてくださる神なのです。


おわりに|大海原の力を胸に

志賀海神社での参拝は、九州巡礼の旅の締めくくりとして、これ以上ない場所だったと思います。
海神の総本社、龍の都と称えられるこの聖地で、禊祓の本質を体感することができたのです。

海を超えて辿り着いた志賀島。参道を進み、綿津見三神に手を合わせ、亀石遥拝所から海を眺め、そして海辺で風の祓いを受ける。その一つ一つの行為が、心を清め、魂を磨く過程だったのです。

大海原の力は、圧倒的でありながら包容力に満ちています。激しい波も、穏やかな凪も、すべては海の一部です。われわれの人生も同様に、順風満帆な時もあれば、嵐に見舞われることもあります。しかし、海の神々に守られていることを信じ、清らかな心を保ち続けることができれば、必ず目的地に辿り着くことができるのです。

志賀海神社が今も変わらず、海神の総本社として人々の信仰を集めているのは、この普遍的な真理を伝え続けているからでしょう。

もし機会があり、気になるのであれば、ぜひ、志賀島を訪れ、志賀海神社に参拝してみてはいかがでしょうか。海を超える旅そのものが禊であり、境内で過ごす時間が心を清めてくださいます。
そして、大海原の力を全身で感じてください。
その経験は、きっとあなたの人生という航海を守護する力となるでしょう。


納得の参拝をしたい方へ↓


では。

いつも、ありがとう^^

@Rico

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