#23|島史上最大級の火事で起きた奇跡。被害、避難、そしてその後。
はじめに
6月6日午前10時頃、私が住んでいるイバイ島で火事が起きた。
島内のメインビジネスの一つの倉庫から出火し、島唯一のホテル、民家10世帯が全焼してしまった。大惨事であったが、私もその被害を受けた1人である。
なぜなら、家の隣で起きた火事だったからだ。
ヒルダ・ハイネ大統領90日間の非常事態宣言に署名し、現在は復興に向けて動いているが、その時の様子や、ほぼ同じ日常を取り戻すまでの過程で思ったことをまとめようと思う。
そして、被害を受けたイバイが一日も早く復旧・復興をすることを心より願っています。#EbeyeStrong
非常事態宣言に関する記事:RMI declares emergency on Ebeye
火事当日 2026年6月6日
出火した時、暮らしている島から船で20分ほど離れた別の島にいた。前日に予定されていたミーティングが延期になり、同僚と朝から打ち合わせに行っていた。
約束した時間になっても来ない先方を待っているとき、隣に住んでいる友人から電話がかかってきた。
「火事で大変なことになっている。我が家も燃えるかもしれない。立て直せないかもしれないレベルだ。」
と、今までに感じたことのない緊迫感を電話から察した。
そして、慌てて船に乗り込み、イバイに向かおうとしたが、別の島の船着場からでも、イバイから黒煙が上がっている様子が見え、事の重大さを認識することとなった。
どれくらいの被害なのか、イバイはどうなっているのか、全くわからない中、船で徐々に島に近づいているときは、今までに味わったことのない、不安感があった。

火事で起きた奇跡
イバイにつくと、すぐに自宅方面に向かった。
空まで届きそうな黒煙、煙の匂い、同僚たちがトラックを乗り回し忙しく動いている様子。
通勤路が火の海になっており、それらをバケツリレーで消火活動をしていた。
幸いにも、6時間ほどで家に帰れるくらいに静まった。何よりも幸いだったのは、死者・負傷者がいなかったことだ。この規模の被害があったにも関わらず、怪我人すらいなかったのは、奇跡的であろう。
我が家も、風向きと強さが違えば間違いなく火の中であったが、無事だった。
とは言え、火事の被害は大きく、我が家がある地域は火事の時から停電が始まり、全てのインフラ(水、電気など)がダウンした。
午前中に出火したものの、鎮火に時間がかかり家に戻ることができたのは夕方で、家の前には爆発したであろうブタン缶や灰が飛んできていた。また、匂いがキツく、気温30度を超える中でクーラーが使えない部屋で、窓を開けずに寝るしかなかった。
停電には慣れていたが、復旧に少なくとも数日はかかり、直る見通しが立っていないことが翌日にわかった。すぐに首都へ避難できるように手配してもらったが、丸三日インフラがない生活をしたことは、さすがに心身の消耗につながった。
飲み水でさえ売り切れる店があり、飲料水を制限して飲むため、軽い熱中症になり、蒸し風呂のような部屋では睡眠不足になり、冷蔵庫の中のものを食べたら腐りかけでお腹を壊し、それでもトイレは水汲み式のため制限しなければならず、日常の生活の尊さを実感した。
インフラがしっかりしていないと、火がおさまったら無事でよかったとはならず、長い避難生活が始まった。

消化活動をしてくれた皆さんには感謝!!!
火事から得た教訓①許すこと
私の隣人は家を失った。家具・家電だけでなく、明日着る洋服も、家族の思い出も燃えてしまったはずだ。それでも、火事があった夕方から、いつものように我が家のセキュリティーとカバを飲んでいて、「いつも通りに暮らしすぎではないか」とツッコミを入れたくなった。
そんな彼に、I am sorry for your lostと言うと、彼は、
「It’s okay. I already forgave them.Because they said sorry sorry sorry.」と言ったのだ。
え、Forgiveしたの?!と驚いた。死ぬかも知れなかったし、実際にたくさんのものを失っているが、すでに出火元のオーナーを許していたのだ。
なぜこんなにも寛容になれるのか。なぜ許せるのか。失ったようで、失っていないのか。
睡眠不足や避難しないといけない状況にやれやれと思っていたが、家が全焼した彼ですらIt’s okayなのだから、私も大丈夫なんだろうとなんだか軽やかな気分になった。
許すとは何なのだろうか。

火事から得た教訓②日常感
こんなにも大きな火事があったけれど、イバイの人を観察してみると、堂じていないすごさがある。この島には消防車がなく、バケツリレーで消火活動をしていたため、鎮火に途方もなく時間がかかっていた。私は雨が降らないかと願ったが、雲一つない晴天で、黒煙がはっきりと見えていた。
そんな中、火事から30mほど離れたスモールストアの前を通ると、いつも通り軒先で肉を焼いていた。お昼ご飯用のBBQをしていたのだ。
こんな怖い思いを「火」でしているのに、BBQを始められるんだと驚いたし、お腹が減ってはたしかに何もできないかと思ったが、この状況でもいつも通り過ごせる力に感動した。
どんな時でも、いつも通りに過ごすことは案外難しいのではないか。

火事から得た教訓③知識や訓練の大事さ
小学校の頃から火事の避難訓練をしてきたが、その時のことを思い出した。火の消し方、煙からの逃げ方など、記憶に残っていた。また、焼却炉見学時に教授から教えてもらった煙の状態の知識から、黒煙を見ながら鎮火のフェーズを何となく予想することができた。
こんな風に訓練が役に立つと小学生の頃は思っていなかったが、危機管理に関する知識はナンボあっても良いんだなと思った。

おわりに
火事の影響で数日間は島中で停電が頻発していたようで、我が家のインフラ復旧には、2週間ほどかかった。
首都には20日ほど避難しており、現在は任地に帰って少し落ち着き始めた。いつインフラが復旧するかも、いつ任地に帰ることができるのかもわからない中で過ごす日々は、不安だった。もちろん、予定していたミーティングは延期になったり、参加できなかったりした。うまくいかなかったり、コントロールできなかったりすることが多いのが日常になっているが、起こり得るパターンをいくつか頭に置いて、どのパターンでも「大丈夫」もしくは「大丈夫にできる」と整理することが徐々に早くなってきた気がする。
27歳を迎えて早々、思いもよらない経験をしたが、「命があればAll okay. That’s meaningful experience」ということなのだろうか。
読んでいただきありがとうございました!どうか、安全第一、健康第一、火の用心で!

