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時計を忘れた

⏱️ 手首の違和感

家を出て、駅に向かう道を歩いているときに気づきました。

ふと手首を見たら、何もない。時計をつけ忘れていました。

一瞬、足が止まりそうになりました。引き返すべきか。でも、駅まではもう半分以上来ています。それに、正直に言えば、階段を上るのが少し面倒でした。スマートフォンもあります。

手を振ってみると、手首が軽い。いつもそこにあったはずの重さが、ない。それだけのことなのに、妙に気になります。

結局、そのまま駅に向かいました。


🚶 時間はわかるのに

駅に着いて、ホームの時計を見上げました。

次の電車まで、あと8分。スマートフォンを出して確認するまでもなく、時刻はそこにありました。困ることは何もないのに、手首のあたりがときどき気になります。

電車に乗ってからも、何度か手首を見そうになりました。

見ようとして、何もないことに気づく。その繰り返しです。3回目くらいで、さすがに学習してもいい気がしました。でも、4回目もありました。5回目も、たぶんありました。

時計があれば時間がわかる、というわけでもありません。車内にも時刻を示す表示はあるし、スマートフォンもあります。それでも、手首に何かがあることに、ずいぶん慣れていたのだと思います。


🕰️ 時計が担っていたもの

時計は、時間を知るための道具です。

でも、たぶんそれだけではなかったのだと思います。

手首に何かがあることで、時間を「持っている」感覚があったのかもしれません。時計を見るという動作そのものが、今の時間を確かめる儀式のようになっていた気もします。

スマートフォンを出して画面を見るのと、手首を少しだけ傾けるのとでは、同じ「時間を確認する」という行為でも、何かが違う。

その違いが何なのかは、まだうまく言葉にできませんが。


🌿 時計がない時間

会社に着くまでの道のりで、スマートフォンは一度も出しませんでした。

別に、時間を気にしないつもりだったわけではありません。ただ、出すタイミングを逃したというか、手が伸びなかっただけです。

横断歩道で信号待ちをしているとき、ふと空を見上げました。

雲が、思ったより速く流れていました。いつも見ている空のはずなのに、そんなことに気づいたのは久しぶりな気がします。

角を曲がったところで、パン屋の前を通りました。焼きたてのにおいが、少しだけ漂っていました。朝のこの時間に、ここを通ることは何度もあったはずです。でも、におい、を意識したのは初めてかもしれません。

時計がなくても、時間はわかります。でも、時計がないと手首ばかり見ている。我ながら、不思議な話です。

そのあいだ、時間はちゃんと進んでいたはずです。

でも、進み方が少しだけ違って見えた気もします。信号が変わるまで、あの角を曲がるまで、パン屋を通り過ぎるまで。そういう区切りで、時間が動いていたような感覚がありました。


🧭 安心の正体

時計がないと不安、というわけではありませんでした。

でも、時計があると安心する、というのはあったのかもしれません。

その安心は、時間を知ることから来るのではなく、時間を「手元に置いている」ことから来るものだったのかもしれない、と思いました。

時計は、時間そのものというより、時間との距離を調整する道具だったのかもしれません。


🌅 また明日

結局、会社には普段とほぼ同じ時刻に着きました。

スマートフォンで時間を確認したのは、ビルの入り口に着いてからでした。それまでは、だいたいの感覚で歩いていたことになります。時計、なくても大丈夫だったということです。

デスクに着いて、少しだけ息をつきました。

手首には、何もありません。でも、何かが足りないという感じは、もうありませんでした。

家に帰ってから、充電器の横に時計を見つけました。そこにいたのか、と思いました。

明日は忘れずにつけると思います。たぶん、つけます。

でも、ときどき忘れてもいいのかもしれません。そんな日があってもいいような気もしています。

時計がない時間も、悪くはなかったので。


あとがき

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

なんとなく、書きたくなって、書いてしまいましたw

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