カレー事件と「幸福を許さない人たち」—日本保守党の異常な執着を読み解く
飯山あかりさんの最新note「カレーへの執着。人生を楽しむのは許さない。」を読んだ。
正直、戦慄した。
この記事で飯山さんが指摘しているのは、単なる「カレー事件」という過去の出来事ではない。今この瞬間も続いている、日本保守党とその支持者たちによる異常な執着と嫌がらせの実態だ。
誰が「カレー、カレー」と騒いでいるのか
飯山さんの記事に列挙された事実を見てほしい。
2025年10月16日(つい最近):
百田尚樹氏が島田洋一氏のポストを引用し、「たった一回カレーを食えなかったことで1年間恨みごとを言い続けるなんて異常もいいとこ」
2025年8月1日:
有本香氏がカレーを食べる百田氏の写真を投稿
百田氏が「もし、わしの分がなかったら、9ヶ月以上粘着するとこやったで😅」
2025年10月15日:
支部長クラスの党員が「#カレー4日目」などとSNSで嘲笑
これは誰が「カレーに執着」しているのだろうか?
飯山さんではない。日本保守党側だ。
「粘着」という言葉の恐ろしい倒錯
島田洋一氏は「たった一回カレーを食えなかったことで1年間恨みごとを言い続ける」と飯山さんを非難する。
百田氏は「9ヶ月以上粘着するとこやった」と笑う。
しかし、実際に何ヶ月も何ヶ月も「カレー、カレー」と擦り続けているのは彼ら自身だ。
飯山さんは内部告発として、組織の問題点を指摘する文脈で言及しただけだ。聞かれたから答えただけだ。
一方、日本保守党側は:
党代表自らが繰り返し言及
事務総長がわざわざカレーの写真を投稿
議員がカレーで侮辱
支持者が「#カレー4日目」などと延々と嘲笑
誰が「粘着」しているのか、一目瞭然ではないか。
なぜこれほどまでに「カレー」なのか
私は飯山さんのnoteを読んで、ひとつの仮説に至った。
彼らは本当に「カレー事件が大したことない」と思っているなら、こんなに執拗に擦らない。
彼らが「カレー、カレー」と騒ぎ続けるのは、問題を矮小化し続けないと、本質的な問題に向き合わざるを得なくなるからだ。
本質的な問題とは何か?
飯山さんが指摘した通り:
「食事は用意しておく」と候補者をホテルに返し
その間にCoCo壱カレーを食べながら前夜祭を開き
配信で本人の前で「みんなで前夜祭やりました」と言った
これは組織文化の問題だ。パワハラの問題だ。候補者への敬意の欠如の問題だ。
だから彼らは、この問題を「カレーが一回食べられなかった」という些細な問題に矮小化し続けなければならない。
「カレー、カレー」と騒ぎ続けることで、本質から目を逸らし続けているのだ。
「食わしていた」という言葉の暴力性
百田氏の言葉を読んで、私は背筋が凍った。
「飯山候補には毎朝3000円のホテルの朝食を食わしていたのにね。」
「食わしていた」。
この言葉の選択に、すべてが凝縮されている。
飯山さんも指摘している:
「私はそんなものは頼んでいない。豪華朝食を優雅に楽しむ時間などない。自分たちで勝手に選んだホテルに私を宿泊「させ」、勝手に朝食を「当てがい」、それで「食わしていた」と恩着せがましく繰り返し」
これは完全に上下関係を前提にした言葉だ。
候補者は党のための駒であり、「食わせてやっている」存在だという認識。
選挙に出る候補者は、党に「食わせてもらっている」立場なのか?
違うだろう。
候補者は党の顔であり、最前線で戦う主役だ。
その候補者に対して「食わしていた」という言葉を使う感覚。これこそが、組織文化の問題の核心ではないのか。
飯山さんの洞察 - イスラエルとの重ね合わせ
飯山さんはこの問題を、イスラエル・ハマスの構造と重ね合わせている。
ハマスの人質だったノアが、解放後にダンスを楽しむ姿を「ふしだら」「浮気」と批判する人々がいる。
飯山さんはこう指摘する:
「イスラエルを、ユダヤ人を憎悪する人たちは、イスラエル人やユダヤ人が生きていること自体を憎悪しているのです。」
そして:
「なんとまあ、この構造は、私が日本保守党とその支持者らから受けている仕打ちにそっくりではありませんか。」
彼らは飯山さんが「生きることを楽しむ」ことが許せないのだ。
だから:
飯山さんが明るく前向きに活動すればするほど
飯山さんが笑顔で発信すればするほど
飯山さんが人生を楽しめばえ楽しむほど
彼らは「カレー、カレー」と騒ぐ。
「お前は被害者なんだから、打ちひしがれていろ。楽しそうにするな。」
そういうメッセージだ。
執着の正体
私は思う。
日本保守党側の「カレー執着」の正体は、「飯山あかりという存在を消したい」という願望ではないか。
彼女が内部告発をし、党の問題点を指摘し、それでもなお明るく前向きに活動し、多くの支持を集めている。
これが許せない。
だから:
「カレーで騒ぐ異常な女」というレッテルを貼り続ける
「粘着する女」という印象操作を続ける
「恨みで狂った女」という中傷を繰り返す
飯山さんという存在を、「カレーの女」という矮小化されたイメージに固定しようとしている。
しかし、それは失敗している。
なぜなら、飯山さんは:
論理的に問題点を指摘し続けている
明るく前向きに活動し続けている
人生を楽しむことで対抗している
飯山さんの言葉:
「私が明るく楽しく生きること自体が、私の戦いなのです。」
私たちに見えてきたもの
この「カレー執着」を見ていて、私たちに見えてきたものがある。
日本保守党という組織の本質だ。
批判者への異常な執着
問題の矮小化と印象操作
集団での嘲笑と嫌がらせ
党代表自らが先頭に立っての中傷
これが「保守」を名乗る政党のやることだろうか?
これが「国政政党」のやることだろうか?
島田氏は「国政どころか幼稚園の演芸会に出る資格もない」と飯山さんを侮辱した。
しかし、「カレー、カレー」と何ヶ月も騒ぎ続ける政党のほうが、よほど幼稚ではないのか。
最後に
飯山さんのnoteを読んで、私は確信した。
この「カレー執着」は、日本保守党が抱える問題の象徴だ。
批判に向き合えない
本質的な問題から逃げ続ける
批判者を人格攻撃で黙らせようとする
集団で嘲笑することで優位に立とうとする
こういう組織文化を持つ政党に、私たちの税金(政党助成金)が使われている。
そして、こういう政党を支持する人々が、「保守」を名乗っている。
飯山さんは言う:
「最後に勝つのはどちらでしょう?粘着しつづけるヘイターたちか、それとも日々に感謝し人生を楽しむ者たちか。」
私は、後者だと信じたい。
そして私たちは、この「カレー執着」という異常な現象を記録し、記憶し、語り継ぐべきだと思う。
これは単なる「カレー事件」ではない。
組織による個人への執拗な嫌がらせと中傷の記録だ。
そして、それに屈せず、明るく前向きに生き続ける一人の女性の記録だ。
追記:
飯山さんのnoteのタイトル「カレーへの執着。人生を楽しむのは許さない。」は、完璧だと思う。
この問題の本質を、これ以上ないほど的確に表現している。
執着しているのは飯山さんではない。日本保守党側だ。
そして、その執着の根底にあるのは、「お前が人生を楽しむのは許さない」という憎悪だ。
私たちは、これを見抜かなければならない。
