賢い人ほど、なぜ朗らかなのか
智慧のもっとも明らかな徴(しるし)は、絶えざる朗らかさである。
モンテーニュ『随想録』第一巻「子供の教育について」
モンテーニュは、智慧を、難しい顔をして世間を見下ろすようなものとは考えませんでした。この言葉の直前で彼は、哲学を宿した魂の平静や満足は、外側にまで現れるはずだと語っています。
世の中を深く知れば、嫌なものも、人間の弱さも見えてきます。
それでもなお心まで濁らせない。
モンテーニュにとって智慧とは、知識をたくさん持っていること以上に、人生の嵐にのみ込まれない心のあり方だったのでしょう。
妙法蓮華経・安楽行品第十四
「亦勿輕罵學佛道者。求其長短」亦、仏道を学する者を軽罵し、其の長短を求むること勿れ。
仏道を学んでいる人を軽んじて罵り、その長所や短所をあげつらってはならない。
この言葉の前には、嫉妬やへつらい、欺く心を抱かないことが説かれ、後には、声聞を求める人、辟支仏(びゃくしぶつ・縁覚)を求める人、菩薩道を求める人たちに「あなた方は道から遠い」などと言って、疑いや後悔を起こさせてはならないと続きます。
そしてさらに、「一切衆生に於いて、大悲の想(おもい)を起すべし」と説かれます。これは単なる「人の悪口を言わない」という処世訓ではありません。自分が正しい教えを知っていると思うときほど、その正しさを使って他者を見下してはいないか――法華経は、そこまで問いかけているのです。
勉強すればするほど、人の間違いは見えるようになります。
しかし、人の間違いがよく見えることと、智慧が深いこととは同じではありません。正すべきものは正しながら、それでも人間そのものを軽んじない。深く学びながら、なお朗らかでいる。モンテーニュの言葉と法華経のこの一句を並べてみると、本当の智慧とは、自分を高い場所へ運ぶものではなく、より深く人間を理解し、それでも人間を見捨てないためのものなのだ――そんなことを考えさせられます。

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