世界が同時に揺れる時代に——フランクルが見出した、誰にも奪えないもの
「衆生困厄を被って 無量の苦 身を逼めんに 観音妙智の力 能く世間の苦を救う」
衆生が困厄を被り、無量の苦しみがその身に逼るとき、観音の妙なる智慧の力が、世の苦しみを救う
土曜日の昼前、ニュースを開けば、世界のあちこちで紛争が続き、天災が相次いでいます。
「世界同時多発紛争と天災地変の時代」という言葉がふさわしいほどの、激動の時代を私たちは生きているように感じます。
ヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所という、人類史上最も過酷な現場を生き抜いた精神科医でした。妻も両親も収容所で失い、自身も極限の飢えと寒さ、そして暴力の中に置かれながら、彼はそこで一つの真実を見出しました。名著『夜と霧』の中で、フランクルはこう記しています。
人間に残された最後の自由、それは与えられた環境に対して自分の態度を選ぶ自由である
衣服を剥がれ、名前を奪われ、家族を奪われ、明日の命の保証さえ奪われた場所で、フランクルが見出したのは、誰にも奪うことのできない「最後の自由」でした。状況そのものは選べない。しかし、その状況にどう向き合うか——その態度だけは、最後まで自分のものとして残るのだ、と。
これは、戦乱や天災に直面する現代の私たちにも、深く響く言葉ではないでしょうか。
今、世界で起きていることの多くは、私たち一人ひとりの力では到底止めることのできないものです。しかし、それにどう向き合うかという「心の姿勢」だけは、誰にも奪われることがありません。
冒頭に引いた観世音菩薩普門品第二十五の言葉が、改めて胸に去来します。
この一節が説いているのは、苦しみが魔法のように消えてなくなるということではないように思います。むしろ、無量の苦しみがその身に迫るような容赦のない現実の中でこそ、それを乗り越えるための「観音の妙なる智慧の力」が内側から働く、ということではないでしょうか。
苦しみのただ中にこそ、救いの(あるいは、生き抜くための)力が現れる----。フランクルが収容所の中で見出した自由と、観音の妙智の力。これらは、まったく異なる時代と背景を持ちながら、人間の精神の同じ深淵を指し示しているように感じられます。
世界が同時に揺れているこの時代だからこそ、私たちにできることがあるはずです。状況を変えられなくても、自分の態度だけは選べる。苦しみのただ中にあっても、智慧の力が働く場所は必ずある。
そう信じて、今日という一日を、静かに、しかし確かな足取りで歩んでいきたいと思うのです。
考え、歩みを進めてまいりましょう。
諸仏の智慧が、甚深無量であるように。

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