何者にも戻らなかった日
気づけば僕は、長いあいだ「何者か」であろうとして生きてきた。
空気を読める人。
場を乱さない人。
期待に応えられる人。
そうしていれば、居場所を失わずに済むと、どこかで信じていた。
幼い頃から、そうだった。
大人に褒められる振る舞いを選び、
嫌でも笑って、
「いい子」でいることで、自分の立ち位置を守ってきた。
社会に出てからは、それがもっとはっきりした。
上司の機嫌を読み、
先輩を立て、
自分を引き立たせるために、他人に媚びることも覚えた。
生きるためだった。
間違いじゃない。
あの頃の自分には、それしかなかった。
ただ、年を重ねるにつれて、
その「何者かでい続ける生き方」が、
少しずつ、確実に、心と体を削っていった。
ある日、ふと立ち止まった。
今日は、もう戻らなくていいんじゃないか、と。
誰かに必要とされなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
気の利いたことを言えなくてもいい。
何者にもならないまま、
一日が終わっていく感覚。
それは、少し不安で、少し心細くて、
それでも、不思議と静かな時間だった。
40代後半、50代になると、
無理は効かなくなる。
見ないふりも、誤魔化しも、続かない。
それでも僕たちは、
「まだ頑張れる自分」を演じてしまう。
そうしないと、価値がなくなる気がして。
でも、その日、僕は戻らなかった。
役割にも、期待にも、
「何者かであろうとする自分」にも。
それは、勝った日じゃない。
解放された日でもない。
ただ、
これ以上、自分を裏切らないと決めた日だった。
誰かに認められなくても、
評価されなくても、
必要とされなくても、
それでも生きていていいと、
初めて自分に許可を出した日だった。
もし今、
同じように疲れている人がいたら、
役割を降りて、少し孤独を感じている人がいたら、
それは、間違った場所にいるからじゃない。
ようやく、
自分の人生の地面に、足がつき始めただけだ。
何者にも戻らなかった日。
それは、人生を諦めた日じゃない。
人生を、自分の手に戻した日だ。
そしてもし、
あなたにも、何者にも戻らなかった日があるなら、
その静けさを、どうか間違いだと思わないでほしい。
